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前編

さて、満を持してNBAデビューを果たしたユーイングは、1年目から20得点9リバウンド2.06ブロックという新人離れにも程がある成績を挙げ、案の定といいますか鉄板の新人王を獲得、順調なプロ選手キャリアのスタートを切りました。切りましたが・・・ユーイングより先にデビューしていたライヴァル2人はそれは目覚しい活躍を見せていたのです。ジョーダンは既に爆発的な得点力とトレードマークのダンクでスターダムを駆け上がり、オラジュワンもサンプソンとのツインタワーでレイカーズを倒してファイナル出場を果たします。彼らの活躍に比べればユーイングの堅実(≒地味)なプレースタイルとニックスの今ひとつ伸びないチーム成績はニューヨーカーにとって不満材料となったのです。何しろユーイングが加入した最初2シーズン、ニックスの成績は23勝と24勝に留まっていたのです。

しかし、ユーイングのスタッツはそれは凄いものでした。得点力、リバウンド、ブロック、フリースロー・・・これだけオールラウンドに秀でたビッグマンなどNBA史上にもそう多くは探せません。ジョーダンのような世間的に分かり易い派手さやオラジュワン&ロケッツのような性急な結果は無くとも、いずれニックスが東の強豪へと伸び行くのは時間の問題でありました。マジソン・スクエアに集うファン達にとって必要なものはその日を待てる忍耐の心だけだったのです。もっとも、他のスポーツという選択肢があるニューヨークやロサンゼルスといった大都市の地元スポーツファンにはそういう忍耐といった精神が最も欠けがちなのなのですが・・・。

ともあれ、3年目の'87-'88シーズン、38勝と負け越しながらニックスは久々にプレーオフ戦線へ復帰。セルティクスに1勝3敗で敗れましたが、翌'88-'89シーズンにはオークリーをブルズからトレードで獲得してNBA屈指の堅いインサイドを構築し、遂に52勝30敗に達しました。マーク・ジャクソン、ジェラルド・ウィルキンス・・・戦力が揃いだしたこの頃のHCは、ケンタッキー大のNCAA制覇で名を挙げる事になるリック・ピティーノだったのです。このシーズン、ニックスは1stラウンドでシクサーズを3-0のスウィープで下します。意気上がるニックスの前に現れたのが、ジョーダン率いるブルズだったのです。オークリーと交換で移籍したカートライトをCに据えたブルズは若きピペンとホーレス・グラントを擁し、未来のBIG3の礎を築き上げ始めていました。

カレッジ以来のライヴァル対決を4勝2敗で制したのはブルズでした。ジョーダン加入以来プレーオフ常連となって5回連続プレーオフ出場中だったブルズに対し、ユーイング加入後今だ2回目のプレーオフだったニックスでは、経験値の差は明らかだったのです。リヴェンジならなかったユーイング、そしてニックスは'90プレーオフでもセルティクス相手に1stラウンドを3勝2敗で突破するものの、またもカンファレンスセミファイナルにて、今度はこの年2連覇を達成するピストンズに敗退。更に'90-'91シーズンは39勝43敗と負け越しシーズンに陥り、ブルズに1stラウンドでスウィープ負けを喰らうに至ります。



この動画1:28からジョーダンがユーイングの上から叩き込んだダンクはジョーダンのハイライトでもトップクラスに位置する一品です。ユーイングには屈辱だらけだったこのシーズンに、あのニックス魂を持った男、スタークスがニューヨークにやってきました。カット寸前の地位から這い上がった男は徐々に定着、ニックスにとって欠かせない男になって行くのです。

そしてこのオフにはもう1人、ニックスを更なる高みに引き上げる男がやって来たのです。パット・ライリー。“ショータイム・バスケットボール”レイカーズを率いて9年連続ディヴィジョン首位、7回NBAファイナル出場、4回チャンピオンシップ制覇を果たした名将の就任は、徐々にニックスを変えていきます。ライリーが作り上げてみせたのは、'80sレイカーズとは全く対照的なディフェンス志向のチームだったのです。

かくして役者は揃いました。ライリー政権1年目の'91-'92シーズン、ニックスは51勝まで星を伸ばします。プレーオフでも2年前までチャンピオンだったピストンズを3勝2敗で仕留めると、カンファレンスセミファイナルでまたしてもブルズと対戦。ユーイングは第1戦で34得点16リバウンド6ブロックという八面六臂の活躍で94-89の勝利へとニックスを導きます。しかし、初戦を制したにも関わらずディフェンディングチャンピオンだったブルズの前に2勝3敗まで追い詰められてしまいました。



敗退の危機にあってユーイングはそれでも戦います。踵を痛めているにも関わらず、ユーイングは第6戦で27得点を叩き出し、ニックスは3勝3敗のタイにまでシリーズを持ち込みました。この時のユーイングの姿を、当時NBCのアナウンサーで「YES!」の名文句で知られたマーヴ・アルバートは「ウィリス・リード・タイプのパフォーマンス」と称えたのです。足を痛めてもファイナルに出場して対戦相手のレイカーズをも戦慄せしめ、ニックス史上2回のチャンピオンシップ獲得の立役者だったレジェンドセンター、ウィリス・リードに喩えられる事は、ニックスのセンターとして最大の栄誉と言って良いでしょう。結局ニックスは第7戦で破れましたが、3PEAT(×2)中のブルズに4勝3敗まで縺れ込んだチームは、他に'98プレーオフ、カンファレンスファイナルのペイサーズしかありません。

このシーズンオフ、ユーイングとジョーダンはチームメイトになります。いえ、トレードではありません。世に名高い「ドリームチーム」です。バルセロナに降り立ったNBA最強軍団のセンターとして、ユーイングはデヴィッド・ロビンソンと共に活躍しました。ジョーダンやマジック、バークリー程の華は無くても、彼らビッグマンの存在がこのチームの安定した強さを支えていた事は最早言うまでもないでしょう。

明けて'92-'93シーズン、ニックスは一気に60勝にまで届きました。最早ニックスがイースト屈指の優勝候補である事は明白であり、このシーズンには遂にイースタンカンファレンス1位にまで届きます。ライリーは最優秀監督賞に選ばれました。プレーオフでもペイサーズ、そしてホーネッツに1敗しか許さず勝ち上がると、カンファレンスファイナルでまたまたブルズと対決、なんとホームで2連勝という最良の形でシリーズをスタートしました。しかし既に2連覇中のブルズもシカゴに戻って2連勝してシリーズをタイに戻します。スタークスがニックスファンの心を完全に掴んだ、ホーレス・グラントとジョーダン越しのワンハンドダンクはこの時に繰り出したものです。



しかし第5戦、互いにホームコートで勝ってきたこのシリーズで、ニックスはホームでブルズに屈してしまいます。結局このままニックスは連敗、2勝4敗で実に3年連続ブルズに苦杯を舐める事となってしまいました。しかし、ここ2年のニックスにはファイナルへ進出する可能性が垣間見えていたのは誰の目にも明らかでありました。そして、ブルズ最初の3PEAT後、ジョーダン1度目の引退という衝撃のニュースがこのオフに走ったのです。不世出のスーパースターを失って明らかに弱体化したブルズと裏腹に、ニックスに優勝のチャンスが遂に巡ってきたのでした。

(以下
後編へ)

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