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こちらの続編です

さて、ダンクコンテストです。ドミニクのダンクコンテストデビューは'84年になります。・・・ってそりゃあそうで、これがNBA開催では初のダンクコンテストだったのですよ。ジュリアス・アーヴィング、マイケル・クーパー、ダレル・グリフィス、ラルフ・サンプソン、クライド・ドレクスラーetc初手から結構なメンバーが揃う中、ドミニクはいきなり3位に入賞します。なお、記念すべき初優勝者はラリー・ナンスでした。



今見てみるとなかなか牧歌的といいますか、素朴な感じがするのは私だけでしょうか?そんな中でドミニクは早くもウィンドミル連発で、彼のスタイルを既に完成させていると言えます。実際1stラウンドではドミニクはナンスとアーヴィングを1点差で抑えて1位だったのです。セミファイナルで敗れたもののその差は決勝へ進んだナンス&アーヴィングと僅か3点であり、ドミニクの実力は明らかでした。そしてその能力に相応しい結果を、ドミニクは翌'85年のコンテストで早くも勝ち取ります。



ナンス、アーヴィング、グリフィス、ドレクスラーといった昨年からのメンバーに加わったのは若きマイケル・ジョーダン。ドミニクは美しい360度ダンクで50点満点を叩き出したテレンス・スタンスバリーという伏兵の出現にも怯まず1stラウンドで1位を奪うと、そのスタンスバリー、ジョーダン、そして1stラウンド免除のナンスとDr.Jとでセミファイナルを戦います。ここではジョーダンが50点満点を出して1位を奪うものの、決勝ではドミニクが2度の50点満点で圧勝、貫禄の初優勝を飾ったのです。首にゴールドチェーンを巻いてダンクする生意気盛りだったジョーダンですが、天狗の鼻をへし折られた訳ですね。

皆様大変ご存知の通り、ジョーダンというヒトはNBA史に残るぐらいに稀代の負けず嫌いです。トランプでも何でも一度負けたら勝ちに転じるまで勝負をやめない男が、よりによって自信のあったであろうダンクコンテストで負けたのを良しとする訳がありません。ジョーダンのリヴェンジ魂はこの時に激しく燃え上がったのでした。が、ドミニクとジョーダンの直接対決には1年では利かない程の時間が必要でした。



'86年、ジョーダンは故障のためダンクコンテストそのものを欠場してしまいます。こりゃあドミニクの独り舞台だろうと誰しも思った訳ですが、今度の伏兵は意外にも身内のホークス、スパッド・ウェッブだったのです。5-6、つまり身長168cmの小兵ウェッブが高く飛ぶ姿は観客を味方に付け、結局全ラウンドで1位という完全勝利でウェッブがこの年のダンクコンテストを持っていってしまいました。ドミニクは弟ジェラルドとの初の兄弟エントリーでしたが、これはもうウェッブが主役でも仕方無いなあという感じだったでしょうかね。それにしても、スタンスバリーがこの段階で早くも人越えダンクを披露しているのが凄いですな。

今度こそ、のはずだった'87年、今度はドミニクが怪我でコンテストを欠場。ジョーダンがダンクコンテスト初優勝を飾ります。そして'88年、遂にドミニクとジョーダンの直接対決が実現したのです。実に3年越し、誰しもが待ち焦がれていたであろう瞬間でした。



1stラウンドはドミニクとジョーダンだけが90点台、しかも2点差でドミニクがリードです。そしてセミファイナル、今度はジョーダンが2点差でドミニクをリードして決勝戦へ突入します。なお、このセミファイナルの他の2人はドレクスラー、そしてオーティス・スミスでした。ええ、現マジックのGMさんです。

期待通りの千両役者同士のファイナルに会場は大いに沸きました。決勝1本目、先攻のドミニクはボードにボールを当てて、ワンハンドキャッチで叩きつけます。50点!負けじとジョーダンも空中で体をひねってボースハンドのリヴァースダンクで50点。1本目からがっぷり四つ、両者一歩も引きません。

2本目、ドミニクはベースラインから得意のワンハンドウィンドミルが炸裂!なんと50点連発です。対するジョーダンは悩んだ挙句に同じくベースラインから飛び立ってボースハンドでウィンドミル。ですが、ドミニクのそれに比べると切れ味はやはり見劣りがしたのか、47点と遅れを取ります。残りあと1本、点差は3点。ここまで互角の勝負にあってこのリードは決定的であるように思われました。しかし、ドミニクにはたった一つの誤算があったのです。'88年、ダンクコンテストの会場はよりによってジョーダンのホーム、シカゴだったのでした。

3本目、ドミニクは満を持してトレードマークのボースハンドウィンドミルをここで投入。どう考えても勝負あったはずのこのダンクにジャッジの採点は、なんと45点!!!明らかにドミニクの表情にも納得出来ない気持ちが溢れていますね。そう、ホームコートアドヴァンテージがこんなところで発動してしまったとしか思えませんでした。少なくとも、ジョーダンの2本目より低得点という事は考えられないダンクだったはずです。

かくしてジョーダンに逆転の目が復活しました。こうなればジョーダンがやるべきことは1つしかありません。ジョーダンのトレードマーク、フリースローラインからのレーンアップ(まあ元祖はジュリアス・アーヴィングな訳ですが)は50点をマークし、ここにダンクコンテスト史上に残る激戦は147-145という接近戦で幕を閉じたのです。決してクリーンな採点だったとは言い難いのも確かですが、ドミニクは腐らずに勝者ジョーダンを称えました。怒って帰る選手がいても不思議ではない状況下で立派な態度だったと言って良いでしょう。

晴れて(?)勝者となったジョーダンのダンクコンテスト挑戦はこれにて終わりました。ではドミニクはどうだったのかというと、なんと2年後の'90年に、もう一度だけダンクコンテストの舞台に立ちます。'60年1月生まれのドミニクですのでこの時既に御年30才でしたが、やはりあんな形でダンクコンテストを卒業したくは無かったのではないでしょうか。



1stラウンドでは若きショーン・ケンプに次いで2位に入ったドミニクはセミファイナルでもケニー・スミス(ええ、あの解説で御馴染みの方です)に次いで2位。'89年チャンピオンのケニー・ウォーカーを僅か0.3点差で下して決勝へ進むと、決勝でも1.7点差という僅差でスミスを下し、2度目にして最後のダンクコンテストチャンピオンに輝いたのでした。ドミニクはジョーダンと優勝回数で並んだのです。なお、今に至るまでダンクコンテストの個人最多優勝回数は2回。タイ記録保持者はベビー・ジョーダンと号されたハロルド・マイナー、そして近年のコンテストを盛り上げた立役者と言って良いジェイソン・リチャードソン(連覇達成選手はジョーダンと彼のみ)です。

最も得意とするダンクの分野ですらこのように、不運もあったとはいえやや不遇だったドミニクの報われない日々はまだ続きます。'96年、NBAはリーグ創設50周年を記念して「NBA史上最も偉大な選手50人」を選出します。しかし、そこにドミニクの名前は無かったのです。確かにプレーオフではカンファレンスセミファイナル止まりだった彼を選出しないという考え方も分からないではありませんが、この件がまたドミニクにはちょっと受け入れ難かったことと思います。なお、この結果に当てつけるかのように、SLAM誌が'03年に選んだNBATOP75選手ランキングでは27位にランクインしました。

かように不運なドミニクのキャリアでしたが、それでも'04年にはジョージア州のスポーツ殿堂入り、更に'06年にはバスケットボールの殿堂入りを果たしました(最も偉大な50人に選ばれなかった事が彼の選出を早めた可能性はあるかも知れませんが・・・)。'85-'86シーズンの得点王、'83年のオールルーキーチーム、'86年のオールNBA1stチーム、'87、'88、'91、'93年の2ndチーム、'89、'94年の3rdチーム選出、'86〜'94年まで9回連続のオールスター選出といったところが彼の個人アワードです。またレギュラーシーズンの1試合でフリースローをミス無しで決め続けた本数で23本というNBA記録を保持しております。更に957試合連続6ファウル退場無しという、モーゼス・マローンとウィルト・チェンバレンに次ぐ記録も保持していますね。あ、言うまでも無くホークスでは彼の21番は永久欠番です。



この動画で4:57あたりから見られますが、'05年のダンクコンテストで、ホークスの後輩に当たるジョッシュ・スミスがそのドミニクの永久欠番ジャージーを羽織り、ドミニクの十八番たるウィンドミルを決めた事はドミニクにとって嬉しかったことでしょう。スミスも今どきなかなか殊勝な若者ですね。また現在はドミニクの弟、ジェラルドの息子に当たるダミアン・ウィルキンスがNBAに在籍、彼ら兄弟には及ばないまでもNBAで頑張っているのは有名です。彼ら兄弟には適わなかった優勝の願いをダミアン、そしてホークスの後輩達が叶える日が来るのか、あるいは現在ホークスで働いているドミニク自らが指導者となってホークスをより高みへと引き上げる日が来るのか、まったりウォッチングしたいものですね。・・・今のところ、ドミニクはコーチングに興味は無さそうですが。

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NBA Atlanta Hawks 2009 Calendar
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