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さて、'98オフ。当初こそキングス行きを嫌がったウェバーでしたが、新進気鋭のPGジェイソン・ウィリアムズとの出会い、ディヴァッツの加入などでウェバーの考えも変わります。特にJウィルのエキサイティングかつエンターテイメント志向なプレースタイルはウェバーにマッチし、キングスはリーグ屈指の地味(失礼)チームから一挙にリーグの注目を集めるチームへと変貌を遂げたのです。

移籍1年目からウェバー自身も13.0リバウンドを奪ってリバウンド王を獲得、'96-'97シーズンに続いてオールスターにも選ばれ、キャリア初のオールNBA2ndチームにも選出。そしてキングスのチーム成績も前年の27勝55敗から27勝23敗の勝ち越しへ一気にジャンプアップ、2シーズン遠ざかっていたプレーオフ出場へ導きます。この後もキングスはプレーオフ常連チームとなり、ウエストの覇権争いに必ず名前が上がる存在へとステップアップしていくのです。ウェバーはキングス在籍中の'99-'03年の5年連続オールNBAチームに選ばれましたが、特に'00-'01シーズンには27.1得点11.1リバウンドを叩き出し、MVP投票でも4位に入ります。キャリア唯一のオールNBA1stチーム入りを果たし、スポーツイラストレイテッド誌には"The Greatest Show On Court"とまでキングスが称えられたこのシーズンが、個人成績上ではウェバーのピークだったでしょう。そしてこのオフ、ウェバーはキングスと7年1億2700万ドルの契約を結んだのでした。

そんな絶好調キングスに対し、リッチモンドを迎えてチームバランスが良くなったはずのウィザーズは一向にチーム成績が良くなりませんでした。期待されていたセンターのミュアサンが故障がちで戦力として機能しなくなった不運(不運と言うより、彼の体格を考えれば膝を痛めるのは必然的だった気もしますが・・・)もあったにせよ、ロッド・ストリックランド、リッチモンド、ジュワンのBIG3を擁していたチームです。期待外れの成績と言われても仕方ありませんでした。

何しろウェバー離脱直後の'98-'99シーズンの成績は18勝32敗です(ロックアウトによる短縮シーズンのため50試合)。これを皮切りにウィザーズの成績は低迷していきます。勝ち越しはおろか勝率4割にさえ届かないチーム成績にワシントンのファンは失望するしかなく、彼らの怒りのぶつけどころは高給取りの3人に集中していきます。特に1億ドルプレーヤーたるジュワンへの風当たりは日に日に強くなっていく他無かったのです。ジュワン自身はそこそこ堅実なスタッツを残していたものの、それがチーム成績に結び付いていない以上、彼への非難は避けようが無かったのです。

'99-'00シーズンには29勝という不振にあえいでいたウィザーズにやってきたのが、現役を引退してなおNBAへの情熱覚めやらぬマイケル・ジョーダン。'00年1月19日にジョーダンは共同オーナーに就任します。が、事態は好転せず、'00-'01シーズンには19勝と最早コメントに窮する惨状。ジョーダンはこのシーズン途中でチームの大改造に着手します。後のクワミ・ブラウン指名、リップ・ハミルトン放出など手腕に疑問符の付く選択が多く、2シーズン限定の現役復帰後にはウィザーズを追われることになるジョーダンですが、最早完全に不良債権化したBIG3の処理を行った手腕は当時評価されました。即ち、ストリックランドとリッチモンドの契約はバイアウトし、ジュワンは'01年のトレードデッドラインをもってマヴスへとトレード放出したのです。総勢8人が絡んだ大トレードの次第はこうでした。

マヴス←ジュワン、カルヴィン・ブース、オビーナ・イグジー
ウィザーズ←クリスチャン・レイトナー、・ヴォート、イタン・トーマス、ヒューバート・デイヴィス、コートニー・アレクサンダー、現金

かくして石もて追われるが如く、ジュワンはウィザーズを去ります。しかし、彼にとってマヴスも安住の地ではありませんでした。マヴスでも結果を残せなかったジュワンは翌'02年のトレードデッドラインに、今度はナゲッツへとトレードされたのです。この時のトレードもなかなか大掛かりでした。

ナゲッツ←ジュワン、ドネル・ハーヴェイ、ティム・ハーダウェイ、'02年1巡目指名権
マヴス←リーフ・ラフレンツ、エイヴリー・ジョンソン、ニック・ヴァン・エクセル、タリク・アブドゥル・ワハド

こうしてジュワンがチームを流転している頃、キングスではウェバーが打倒レイカーズを誓って戦っていたのです。'99-'00シーズンには44勝、'00-'01シーズンには55勝を挙げたキングスでしたが1stラウンド及びカンファレンスセミファイナルでレイカーズに敗れます。'00プレーオフに先立ち「ここでレイカーズを止めておかないと、彼らは止まらなくなる」と予言していたウェバーでしたが3勝2敗と一歩及ばず敗れます。

ウェバーの予言は正に真実を言い当てたもので、シャック&コービーに名将フィル・ジャクソンまでもを擁したレイカーズは'00ファイナルを制して遂に頂点に立つと、翌'01のポストシーズンはなんとウエストの強豪全チームをスウィープで下すという圧倒的強さを見せて2連覇を飾ります。キングスもまたカンファレンスセミファイナルで0勝4敗の憂き目に逢い、JウィルをPGとして起用する限界を感じたキングスフロントはこのオフにグリズリーズとトレードに合意、Jウィルと交換でビビーを連れて来ます。彼にはJウィルのような派手さはありませんでしたがPGとしての資質は十二分であり、何よりもクラッチショットを沈める心の強さを持っていました。

ウェバーのウォリアーズ時代の親友スプリーウェルはウェバーとの離別後、ウォリアーズでP.J.カーリシモHCの首を絞める事件を起こしてNBA永久追放となりましたが、その後異議が認められて処分が軽減された後、ニックスへ移籍して'99ファイナルまで勝ち進んでいます。また、Fab 5のうちNBAに残ったもう1人の男、ジャレン・ローズも遂にペイサーズでブレイクし、'00ファイナルでレイカーズと戦っていたのです。彼ら2人からファイナルという大舞台に立つ喜びを聞かされたウェバーが奮い立ったであろう事は想像に難くありません。

かくして、ビビーを加えて堅実さを増したキングスは'01-'02シーズン、チーム記録となる61勝をマーク。それまでの補強でクリスティーというディフェンスの要、更には若きタコルーをはじめとする「ベンチ・モブ」(命名はその1人たるジョン・バリーだとか)の錚々たる面子も控えていたキングスは最早打倒レイカーズの最右翼と目されるところまで踊り出たのです。しかもこの成績はウェバーが故障で28試合を休んでの結果でした。2年連続レイカーズに倒されてきたキングスの面々にとっても、今度こそ、という気持ちが強かった事でしょう。そしてリヴェンジの機会はカンファレンスファイナルに巡ってきたのです。

'02プレーオフでキングスは1stラウンドにてジャズを3-1、カンファレンスセミファイナルにてマヴスを4-1で撃破します。一方のレイカーズも1stラウンドでブレーザーズを3-0、カンファレンスセミファイナルでスパーズを4-1で片付け、磐石の体勢で勝ち上がって来ました。後にファイナル以上とまで言われた名勝負の火蓋が、ここに切って落とされたのです。



既に2年連続プレーオフでも対戦し、お互いを知り尽くした対決はオーリーの有名な「ビッグ・ショット」もあって2勝2敗の後、第5戦で転機を迎えます。



残り11.4秒、90-91の場面でキングスはビビーがウェバーにスローイン。そのままウェバーはボールをビビーに渡しながらスクリーンをかけてレイカーズのディフェンスを止めます。フリーになったビビーは見事クラッチシュートを決めたのです。コービーのお返しブザービーターは決まらず、ヴァンクーヴァー・グリズリーズ(当時)でずっと日の当たらないところでプレーし続けていたビビーがリーグのトップニュースを飾ったのでした。そして、この勝利でキングスは3勝2敗とし、王者レイカーズに王手をかけたのです。しかもこの時、ホームコートアドヴァンテージはキングス側にありました。キングスの悲願、今度こそ成るかと思われる展開でした。



しかし、やはりレイカーズは強かったのです。第6戦をホームでキッチリ取り、3勝3敗の五分に戻したレイカーズは最終戦、延長戦まで縺れ込みながらアウェーでの戦いを制し、遂にキングスを下したのでした。プレーオフ史上屈指の激戦はここに幕を閉じ、またしてもキングスは頂点の座に一歩届かなかったのです。

それでも、この後3連覇を果たす事になるレイカーズをこのプレーオフで最も追い詰めたのがキングスである事は明白でした。これからウエストの覇権はレイカーズとキングスで争われるのかと思われましたが、残念ながら、このプレーオフこそがウェバーにとって、プレーオフでの最高到達地点となってしまったのでした。

翌'02'-03シーズンもキングスは59勝を挙げて意気揚々とプレーオフに臨みますが、1stラウンドこそジャズを4-1で下すものの、カンファレンスセミファイナルでマヴスと対戦した第2戦、ウェバーが左ひざ半月板を損傷してしまいます。ウェバーは以降シリーズに戻る事は出来ず、エースフォワードを欠いたキングスは3勝4敗で敗退の憂き目に逢ってしまうのです。まだまだ勝ち続けると思われていたキングスに、暗雲が立ち込めはじめていました。

一方、ジュワンもこのオフに転機を迎えます。彼を苦しめ続けていた長期契約が遂に終わり、このオフにFAとなったのです。僅か17勝止まりのシーズンの結果ドラフト3位指名権が転がり込んできたナゲッツを、しかしジュワンは後にします。移籍先にはウルヴスはじめ様々なチーム名が挙がっていましたが、なぜかジュワンが選んだのは有力候補とは思われていなかったマジック。慢性的ビッグマン不足に悩んでいたマジックはオロワカンディー狙いと思われていましたが、そのオロワカンディーがウルヴスへ、ジュワンがマジックへと専門家の予測とは異なる結果となりました。

高額契約故に不良債権扱いされる日々が遂に終わり、心機一転ミドル枠での契約で出直そうとしたジュワン。T-MACを擁して'03年にはカンファレンスファイナルまで進む事となるピストンズを3勝1敗と追い詰めたマジックは、その後3連敗してシリーズを落としたものの期待のチームではありました。グラント・ヒルが戦線復帰すれば・・・というのは毎年の決まり文句だったとは言え、マイク・ミラーとトレードで獲得したドリュー・グッデンぐらいしかまともなビッグマンがいないマジックは、確かにジュワンにとって働き甲斐がある場所に見えたのかも知れません。しかし、皮肉な事にこの決断がまたしても、ジュワンに塗炭の苦しみをもたらすことになってしまったのでした。

(以下、NBA完結編へ)

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