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さて、ヒルのNBAデビューを語る前に、簡単にピストンズの歴史をおさらいしようと思ったらHOOP誌2月号で特集されてましたので、引用でもしつつまとめましょう。

1941年、日本が真珠湾攻撃でアメリカに宣戦布告した年に、インディアナ州フォートウェイン市を本拠地としてフォートウェイン・ツェルナー・ピストンズが創設されます。NBAの前身リーグの一つであるNBLに加盟したピストンズは2度優勝を飾ると、'48-'49シーズンにはこれまたNBAの前身リーグたるBAAへ移ります。NBAの前身リーグが2つ?ええ、NBLとBAA、2つのリーグが'49年に合併してNBAが誕生します。NBLとBAAの両方に属したことのあるピストンズは当然NBAにも参加。'57年にはデトロイトに本拠地を移転、ここに今に続くデトロイト・ピストンズが完成したのです。が、NBA加入後はずっとタイトルに縁の無い歳月を重ねていました。

転機は'81年でした。アイザイア・トーマスをドラフトで指名したのです。今でこそ無能GMよわばりされるわ自殺未遂事件を起こすわと散々なアイザイアですが、彼こそがピストンズというフランチャイズを支える大きな柱となったのです。そして'82年初頭にビル・レインビアとヴィニー・“マイクロウェーヴ”・ジョンソンをトレードで獲得します。

'83年にはHCにチャック・デイリーが就任。そして更なる転機は'85年に訪れました。この年のドラフトで、アイザイアに憧れたもう1人のガードがピストンズの指名を受けます。彼こそが現在最高の辣腕マネージャーの1人と謳われるジョー・デュマースだったのです。更にリック・マホーンも加入と、徐々に役者が揃っていきます。時は正にバードvsマジックの時代、セルティクスのBIG3やレイカーズのショータイム・バスケットボールに抗するべく、ピストンズにも彼らと違うアイデンティティーが必要でした。その答えこそが、悪名高いフィジカルなプレースタイル、通称「バッド・ボーイズ」だったのです。特にレインビアの荒々しいラフプレーの数々は対戦相手を恐怖に陥れ、「パブリック・エナミー」とまで言われました。その是非はともかく、ピストンズはピストンズなりに勝利に必死だったのです。プレーオフになるとジョーダン&ブルズを毎年のように反則スレスレのプレーで倒す姿は正しくNBAのヒールそのものでした。

エイドリアン・ダントリー、ジョン・サリー、そしてあのデニス・ロドマンが加入した'86-'87シーズンにはピストンズは完全にイーストの強豪としての地位を確立していました。が、プレーオフではカンファレンス・ファイナルでセルティクスと対戦、第5戦でラリー・バードが見せた「THE STEAL」と共にファイナル進出のチケットまでもスティールされてしまいます。



'87-'88シーズンにはやっとセルティクスを倒してファイナルへ進出しますが、今度はレイカーズがファイナルで待ち受けていました。3勝2敗と先に王手をかけたピストンズでしたが、第6戦で足首を捻るアクシデントに見舞われます。しかしアイザイアは足を引き摺りながら試合に強行出場すると、3Qだけで25得点を叩き出し、単独Qでのファイナル得点記録をマークする活躍でチームを牽引したのです。



それでも優勝に一歩届かなかったピストンズでしたが、ダントリーを放出してマーク・アグワイアを獲得した'88-'89シーズンにはファイナルでレイカーズを4-0で下して(パット・ライリーの練習熱心が過ぎて主力に怪我が続出したという逸話があります)初の王座獲得。翌'89-'90シーズンもドレクスラー率いるブレーザーズを倒して2連覇を達成しました。'83年のシクサーズを除く'80年代の王座を独占してきたセルティクスとレイカーズの2
強体制を、ピストンズが遂に打破したのでした。

しかし、革命者達の栄光の時は短いものです。'90-'91シーズン、ピストンズはカンファレンスファイナルで、ブルズというリーグきってのベイビーフェイスの前に0-4という完敗を喫したのです。ピストンズの主力達は試合が終わらないうちにロッカーへ下がるという、失礼極まりない、しかしあまりに彼ららしいやり方で去って行きました。最後までバッド・ボーイズは徹底したヒールであり続けたのです。この件が後に、アイザイアが初代ドリームチームに選出されなかった理由の1つとされています。



かくてピストンズの栄華の時は一旦終焉を迎えます。バッド・ボーイズの面々は徐々にピストンズを離れ、チャック・デイリーも'91-'92シーズンを最後に辞任。坂を転げ落ちるかのようにピストンズは弱体化していきました。'93-'94シーズン途中にはバッド・ボーイズの体現者と言って良かったレインビアが引退。頼みのトーマスも故障がちとなり、誰も居なくなったピストンズは新人アラン・ヒューストンの加入ぐらいでは到底彼らの損失を補えず、20勝というチーム史上ワースト2位の成績で終わります。そしてアイザイアもまた、'94年4月にアキレス腱断裂のため引退を余儀なくされたのです。

しかし、その成績故にドラフトで3位という高順位での指名権が得られました。アイザイアに代わるフランチャイズプレーヤーを正にピストンズは必要としていたのです。そして、グラント・ヒルという人材はその役割を果たすのに完璧なスターでした。

かくしてNBAデビューを果たすこととなったグラント・ヒル。1位指名だったグレン・ロビンソンがバックスとの契約金額で揉め、契約自体が遅れた事でややイメージを悪くした一方で、エリート家系に加えてNCAAでの輝かしい実績を引っ提げてやってきた、しかも爽やかイケメン。なんですかこのチートっ振り。バッド・ボーイズであれほど悪名を轟かせていたはずのピストンズは、彼らが去った後のロスターにおいて、ジョーダン以上のベイビーフェイスをフランチャイズの柱としたのです。

(以下、続・ピストンズ編へ続く)

※参考文献

デトロイト・ピストンズウィキペディア

DETROIT PISTONS Wikipedia

アイザイア・トーマスウィキペディア

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