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さて、皆さんそろそろ忘れかけていらっしゃるかも知れませんが、グラント・ヒルはマジックに加入する直前、'99-'00シーズンに左踵を痛めたにも拘わらずプレーオフ1stラウンドに強行出場、結果としてシリーズ半ばにしてコートに立つ事も出来なくなっていました。そのため、オーランドに移籍交渉に来ていた間も杖が手放せない状態だったのです。しかし、それでもマジックのフロントはヒルの獲得に何の疑問も持ちませんでした。考えてもみて下さい、あなたが経営ないし応援しているチームにレブロン・ジェームズが来るのであれば、足の怪我ぐらい大した事じゃないと思っても可笑しくはありませんよね。マジックのフロントを誰が責められましょう。

しかし、この時マジックのフロントが犯した失策はあまりに多かったのです。1つ目は言うまでも無く故障持ちのヒルとマックス契約を交わした事。2つ目はマクグレディーとも同額で契約した事でした。既にリーグの顔であったヒルはともかく、まだ頭角を現しかけていたぐらいのT-MACまで最初からマックス契約の必要があったのかは疑問が残ります。もっとも、T-MACは他チームとの獲得競争があったのも事実ですが・・・。そして3つ目の失敗はこの2人以外の契約・放出の失敗だったのです。

'99-'00シーズンのマジックはアームストロングという優れたPG、そして何気に厚かったフロントコートで勝てていたのです。アームストロングはそのまま残留しましたが、問題はフロントコート。アウトロー、アメイチ、そしてベン・ウォーレスの処遇が問題でした。しかし、ヒルとT-MACにマックス契約を出してしまうと彼らとの再契約は難しくなります。結局アメイチはレイカーズからの誘いを断ってマジックと1年契約し、アウトローとベン・ウォーレスの二択になります。結局マジックが選んだのは以前からマジックに在籍し、ファンの人気者でもあったアウトローだったのです。ウォーレスはマジックからのオファー金額の少なさを見て移籍を決意します。

ここで再びデュマースが登場します。マジックとピストンズで話し合いが持たれ、結局ヒルはサイン&トレードでの移籍が決まりました。即ち、ベン・ウォーレス+チャッキー・アトキンスとのトレードでの移籍となったのです。このトレードが行われた際にはあまり気に留められていませんでしたが、ピストンズ復活の第一歩はこのベン・ウォーレス獲得に始まったと言っても過言ではないでしょう。デュマースは着任早々ヒルの慰留にこそ失敗したものの、只では起きないどころか見事な一歩を踏み出していたのです。

ともあれ、マックス契約の2人にヴェテランのディー・ブラウン(ダンクコンテストで目隠しダンクを披露したあの方です)を加え、マジックの新たな体制は確立しました。ダンカンはいなくともヒルが移籍してきたチームです。ピストンズ時代はHCの手腕が疑問視されることもありましたが、リヴァースHCの能力は既に立証済でした。マジックが上位を脅かす可能性は結構真剣に考えられていたのです。そんな中、当時日本NBAウェブサイト界の巨人の1人だった師範こと小林さんが当時「ヒルとT-MACという同じポジションの選手がエースのチームが上手く行くことは考えられない」といった意味のことを仰っていた記憶があります。師範の予言は、恐らく師範が思っていたのと違う形ではありますが的中する事となりました。

期待に満ちていたはずの'00-'01シーズン、ヒルは6ヶ月に渡る踵のリハビリをようやく終え、10/31からコートに戻ってきました。開幕のウィザーズ戦、ヒルは9得点5リバウンド10アシストとまずまずの出来。次のシクサーズ戦では18得点9リバウンド3アシストをマークします。が、復帰を急いだのかしばらく欠場。ようやく12/11・12と再びコートに立ちますが、この試合を最後にヒルは故障者リストへ。6週間後、左踵内側の骨にある踝内部の手術に踏み切り、僅か4試合の出場でシーズンを終えてしまったのです。オールスターには投票で選出されたものの、もちろん辞退せざるを得ませんでした。

この打撃の副産物がT-MACの予想以上の大ブレイクとMIP受賞、そしてヒルに代わって82試合中62試合でSF先発を果たしたマイク・ミラーの新人王受賞ではありましたが、結局チームは43勝39敗、大型補強を施したにも拘わらず僅か2勝しか勝ち星を伸ばせず、プレーオフでも1stラウンドでバックスに敗れてしまいます。

それでもヒルさえ戻って来れば・・・そんなマジック関係者及びファンの期待は更に翌'01-'02シーズンも打ち砕かれました。今度は14試合の出場で左踵に再度メスを入れてシーズンが終わってしまったのです。2年連続の事態に流石にマジックファンも「おいおい大丈夫かよ」と不審な風が吹き始めましたが、それでもT-MACの更なる活躍、ユーイングとホーレス・グラントの加入もあって44勝38敗、再度プレーオフ進出を果たします。が、バロン・デイヴィス率いるホーネッツの前に、またしても1stラウンドで屈してしまいました。

'02-'03シーズン、三度目の正直となったシーズンにヒルは再びコートに戻りました。ようやくT-MACとヒルが揃ったチームは5勝1敗と鮮烈なスタートダッシュを切ります。このシーズン、ヒルは29試合に先発出場を果たし、やっとマジックのプランが現実のものに・・・と思った途端、またしてもヒルは1/18付けで故障者リストに入り、シーズンを終えてしまったのです。3/18には4度目となる手術に踏み切ります。T-MACはじめマジックの面々にも流石に疲労が見え始めた矢先、マジックはT-MACの親友となっていたマイク・ミラーを放出してグッデンとギリチェックをグリズリーズから獲得、テンション下がり目だったチームを何とか立て直して42勝40敗に導き、プレーオフでピストンズと対決します。3勝1敗と決定的なアドヴァンテージを握ったはずのマジックでしたが、終わってみれば3勝4敗で敗退。

そして'03-'04シーズン、マジックの設立15周年だったこのシーズンにヒルはとうとうコートに立つ機会さえありませんでした。4回目の手術のリハビリ、更に5回目の手術・・・もうこの頃にはマジックファンはヒルへの期待を殆ど失っていたのです。そしてアニバーサリーシーズンだったはずのマジックを待っていたのは19連敗という絶望的な展開でありました。21勝61敗とどん底に沈んだチーム、戻って来るどころか引退の可能性さえ少なくないように思われたヒル・・・マジックファンの心も最早テンションどん底でありました。名将ドック・リヴァースは19連敗の最中に辞任、そしてこの体制を築き上げたガブリエルGMもまた、マジックを去る事となったのです。

何よりも皮肉だったのは、ヒルが去った古巣であり、前年のプレーオフでマジックが仕留め損なった相手でもあったピストンズがこのポストシーズンで、優勝間違い無しと思われていたレイカーズを倒して頂点に立った事です。ヒルは結局のところ、わざわざ勝てるフランチャイズを出て行ってしまった結果、みすみす優勝のチャンスを逃した事になります。もっとも、ヒルが健康を維持出来ていれば、の話ですが。

そして'04オフ、実質1人でヒルの不在を支え続けたT-MACは遂に我慢の限界を超えてしまい、ガブリエルの後任たるワイスブロドGMとの対立もあってトレード要求へとエスカレート、結局T-MACはロケッツへと去ります。しかし、ワイスブロドGMはドワイト・ハワードを1位指名、更にネルソンもドラフト当日のトレードで獲得します。そしてT-MAC、ルー、ジュワン・ハワード、ゲインズとのトレードでフランシス、モーブリー、ケイトーを獲得しました。またタコルーとミドル枠で長期契約をも果たします。そこへ、ヒルがようやく健康を取り戻して復帰してきたのです。遅きに失したにも程がある気もする復帰ではありましたが、ともあれフランシス、モーブリー、ヒル、ドワイト、ケイトーと先発のラインアップは揃いました。その中にあって、ヒルは遂に往年の輝きを幾分か取り戻す事に成功したのです。

またどうせ怪我してシーズン半ばでリタイアだろJK・・・という世間の声を乗り越え、このシーズンのヒルはなんと67試合に出場。19.7得点4.7リバウンド3.3アシストと往年のオールラウンドなプレーは流石に影を潜めましたが、キャリアハイとなるFG成功率.509(リーグ15位)は流石でした。チーム自体はモーブリーを更にトレードしてしまった事が祟って36勝46敗に終わり、プレーオフ復帰はなりませんでしたがヒル個人はマジック加入後初となるオールスター出場を果たしたのです。

また、このシーズンにはNBAのスポーツマンシップアワードを獲得します。これは皮肉にもジョー・デュマースのトロフィーだったんですが・・・。この時期、アーテストとベン・ウォーレスを中心とした観客まで巻き込んでしまった乱闘事件などもあって、NBAのイメージが悪化してました。リーグはNBAきってのベイビーフェイスだったヒルの復活劇を強調する事で、悪いイメージの払拭を狙ったと言われています。

こうしていよいよヒルも完全復活・・・と思ったら'05-'06シーズンはスポーツヘルニアで21試合の出場に戻ってしまいます。このシーズンもマジックは36勝46敗で終えてしまったものの、シーズン半ばでケイトーとドラフト1巡目指名権を放出してミリチッチとアロヨを獲得し、更にフランシスを放出してアリーザとペニー(獲得後すぐ解雇)を獲得。そしてヒル不在にも拘わらずシーズン終盤の22試合を16勝6敗で戦い抜き、未来への希望を垣間見せたのです。しかし、それは世代交代の足音が近付いている事の証左でもありました。

'06-'07シーズン。キャリアを通じてSFとして起用され続けていたヒルは、SGでのプレーに挑みます。ネルソン、ヒル、タコルー、バティー、ドワイトという布陣がほぼ定着したマジックは最早完全にドワイトのチームとなります。一方でヒルは65試合に出場して14.4得点3.6リバウンド2.1アシスト、更にキャリアハイを更新するFG成功率.518をマーク。ヒルは大型契約最終シーズンという事で何度かトレードの噂も出るものの、結局マジックに残って7年の契約を全うし、チームも40勝42敗で遂にプレーオフ進出を果たします。

これはマジックにとっては'03年以来の、そしてヒル個人にとっては実にピストンズ時代最後の'00年以来となるプレーオフでした。そして、第8シードでポストシーズンに臨んだ彼らの前に立ち塞がったのは、最早イーストの強豪としてすっかり定着していたピストンズだったのです。まだまだ経験不足なマジックは横綱相撲で完膚無きまでに叩きのめされての4連敗。そしてこのオフ、7年の契約期間を終えたヒルは完全FA選手となったのです。

このままマジックに残り、今まで明らかにコストパフォーマンスが悪かった分を取り戻すべく最低保証額でマジックと再契約してくれたならヒルへの評価も随分違ったでしょう。実際ヒルはマジックに復帰するという観測も少なくありませんでした。しかし、そのポストシーズン、TVでの解説をやっていた時に「サンズとスパーズ、加わるならどちらのチーム?」と尋ねられたヒルは「アップテンポなサンズのスタイルの方が自分にあっている」という趣旨の発言をしています。

あの大型移籍から7年、ヒルのキャリアももう長くはありません。優勝のチャンスがより近く、早いチーム。それも自分がバックアップなどではなく、ある程度中心になって貢献出来るチームをヒルは考えたと思われます。マジックもドワイトという柱があり、将来性は十分だったとも考えられますが、そもそも若いドワイトとネルソンを中心にチームを組むマジックは現在形ではなく未来に多くを求めるチーム構成です。ましてマジックがSFのルイスと大型契約を結ぶとあっては、そうでなくてもタコルーとポジションが被ってSGへのコンバートを余儀なくされていたヒルには、最早マジックでの先発の機会も少なくなる・・・そう考えても不思議ではありません。

かくして'07オフ、ヒルはマジックを去り、サンズへ向かう事となりました。マイク・ダントニの指揮の下、アップテンポな超攻撃型バスケットボールでリーグを席巻していたサンズは、しかし'05年にはスパーズ、'06年にはマヴスにカンファレンスファイナルで、そして'07年にはスパーズにカンファレンスセミファイナルで敗れていました。あと一歩で頂点に手が届くはず、そう思っていたサンズファンにとってヒルの移籍は正に天の恵みであったでしょう。

しかし、マジックファンにとってはどうでしょうか。マックス契約で7年間在籍し、結局出場試合はレギュラーシーズン合計でちょうど200試合。1シーズン平均にして28.57試合といったところです。そんな選手に大枚はたき続けた結果がこれだよ!良かったことと言えば成績低迷の結果としてドワイトをドラフト指名出来たことぐらいです。

正確にはヒルのサラリーは、怪我で出られなかった分に関しては保険会社が代わりに支払っていたりしたようですので、マジックの球団経営そのものへの負担は若干和らいでいますが、まあそういう問題じゃないですよね。T-MACは酷使されて体を痛め、チームはサラリーキャップを圧迫され続けてT-MACをサポート出来る人員を集めることもままならなかったのです。ドラフト指名の度重なる失敗もあるのでそれが全てではありませんが、大きな影を落とした事は言うまでもありません。

その原因を起こした当事者が貰うものだけ貰って、元気になったと思ったらマジックからさっさと出て行ってしまった訳です。マジックファンにこれを怒るなという方が難しいですよね。かくしてヒルは試合でオーランドに戻る度にブーイングを受ける身となってしまいました。シャックやペニーといったかつての功労者に対するマジックファンのブーイングはいかがなものかと思う私ですが、こればかりは止めようがないなぁというのが正直なところですね。故障で出場出来なかった分、少しは働いて返してくれよ・・・誰しもそう思うでしょう。この移籍の件はヒルの聖人君子なイメージに結構ヒビを入れてしまったように思います。

ともあれ、ヒルのマジックでのキャリアは終わりました。プレーオフ1stラウンド突破さえ成し遂げられないままにヒルがキャリア晩年を迎える・・・ヒルのNBAキャリア初期にそんな予言でもしようものなら、相当偏屈ないし常識の無い人間と思われてもしょうがなかったでしょう。しかし、あの鮮烈なNBAデビューから13年、ヒルは依然として優勝どころかプレーオフを一度も勝ち抜いた事が無い選手のままだったのです。

(以下、サンズ編へ続く)



※参考文献

グラント・ヒル公式サイトよりキャリアハイライト

nba.comよりキャリアハイライト

バスケットボール・リファレンス.comよりヒルのゲームログ

マジック公式HPよりチームヒストリー


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