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特にこれといった個性の無い関西のありふれた農家地帯に生まれた私は、生まれてすぐに天を指差したりとか馬小屋で生まれたりといった劇的なエピソードども皆無な次男坊として育ちました。そうですね、母の話によるとすき焼きに石鹸を投げ込んで牛肉を食べるリスクから家族を救ったり(まあその後で作り直して食べた訳ですが)、昔は4人分連続で使い回していた予防注射の針をブチ抜いて何人分かを無駄にする事で注射針使い回しの危険性を訴えたぐらいでしょうか。あ、因みに保健所の方に「こんな子知りません!」とブチ切れられたそうです。

ピンクレディーを子守唄に育った我々団塊Jr.世代にとって、バスケットボールなるスポーツに触れる機会は皆無でした。テレビは野球、しかも巨人の試合が殆ど。関西補正で阪神の試合が多かったのはサンテレビのおかげでしたが、それほどまでに当時のスポーツ人気は偏っていたのです。1に(プロ)野球、2に(高校)野球。相撲、格闘技、陸上長距離、ゴルフ。だいぶ引き離されてラグビー、サッカー、バレーボールにテニスでしょうか。F-1定期開催など夢のまた夢、競馬はもっと不健全全開なイメージでした。何しろ「競馬が原因で借金、一家心中」なんて見出しが踊っていた時代です。とても競馬はスポーツという認識では無かったと言って良いでしょう。確かにスポーツ新聞には載ってましたが。

それらから更に超えられない壁を経て、やっとバスケットボールのお出ましでは無かったかと思うのですね。何しろ、テレビで試合を放送などまず考えられなかった時代です。事実、小学校に入るまで、私はバスケットボールなるスポーツの存在を基本から認知さえしていなかったのです。それは極めて平均的な日本の小学生の姿だった事と思うのですね。

いや、小学校に入ってすらすぐにはバスケットボールに触れる機会は有りませんでした。代わりに、恐らくはバスケットボールへの導入として小学校低学年でやった球技、皆さん覚えていますか。そう、ポートボールって奴です。シュートが不正確な上にそもそも高さが出ない事を考えてあの球技が最初に行われた事と思うのですが、まあその後人生でプレーする機会の無い球技ランキングでは水球と双璧を為すんじゃないかと思います。海外の方々がやるとやはりアリウープ宜しく華麗なパスが自軍ゴールへ飛び交うのでしょうか?一度大の大人が真剣にプレーするのを見たい気もします、ポートボール。



小学3年生ぐらいからやっとバスケットボールの授業がスタートします。が、これがまたバスケット用のボールを使わなかったりするんですよ。なんか良く分からない、何にでも使い回せそうなボール。で、コートは外だったりするんですよね。というかアレじゃないですか、世の中には授業で習うと嫌いになるって定理もある訳ですよ。音楽の授業で聞かされたクラシックとかそのまま好きになるヒトの方が少ないでしょ?あれと一緒ですよ。こんなんでバスケという競技に魅了されるとしたら、そいつはもうバスケの神様に魅入られた人なんじゃないかと思うぐらいです。

野球、相撲、プロレス以外のスポーツにはオリンピックというチャンスがあるもんですが、そもそも日本代表が出場出来ないバスケットボールなどに注目が集まる訳がありません。私の実家に転がっていたオリンピックの本には、バスケなど本当にさらっと触れて終わりってなもんでありました。

やっとバスケットボールというものを取り上げたTV番組は、ダッシュ勝平でした。これ、残念ながらバスケはあくまでツカミ、話の内容はエロコメだった訳でして、まあこれでバスケットボールというスポーツの人気が出るとも思えません。第一、親が子供にこんなアニメを見せようと思わないでしょう。今より大らかな時代のようでいて、「ハレンチ学園」とか「まいっちんぐマチコ先生」とか国会で取り上げられるぐらいのバッシングでえらい目に遭ってたんですからね。

かくして、小学生の間に私がバスケットボールという競技を好きになる可能性は殆ど無かったと言えます。家の近所のサッカー教室に通ってたぐらいでしょうかね。この時サッカー習ってたお陰で未だにサッカー上手いフリだけは出来る私ですが、もっとしっかりやってれば今頃は高校あたりでサッカー部のエースとなって女の子より取り見取り・・・それはないな。

それはさておき、私が中学に入ってもなおバスケットボールに対するる世間の扱いは大して変わっていませんでした。が、この時の体育の先生によって、私は初めてNBAの存在に触れたのも確かです。明らかにバスケ好きだった先生は「バスケットボールは一番大きいボールを一番小さいゴールに入れるスポーツです」と誇らしげに語っていたものです。そう、中学に入ってやっと本物のバスケットボールに触れたんですよ。まあゴム製ボールでしたが。

この先生は保健体育の授業も担当していて、たまに授業そっちのけでバスケの話をしてました。確か新婚旅行でロサンゼルスに行った話でしたね。2人で地下鉄乗ったら怖そうな黒人ばっかりでビビッたとか言ってた記憶があります。そりゃそうで、当時のアメリカではまだまだ地下鉄は危険な乗り物扱いだったんですよね。今にして思えば、先生が新婚旅行で見に行ったのはショータイムバスケ全開だった頃のレイカーズだった訳です。あの時代に新婚旅行でNBA観戦とは、奥さんもなかなか理解のある方だったんだなと思います。あ、さてはその後ディズニーランドに行くというパターンだったんでしょうか。東京ディズニーランドはもう出来てた頃ですが。

しかし、先生は当時「NBA」という単語は我々に言わなかった記憶があります。中学生にナショナルバスケットボールアソシエーションとか言っても分からないよなー、ってなところでしょう。レイカーズというチーム名も言ってなかったはずです。今から20年以上も前の事ですし、バード&マジック時代の到来とマイケル・ジョーダンのデビュー、デヴィッド・スターンの辣腕をもってしてNBAはやっとアメリカ国内での人気を決定的なものにした時期です。アジアの島国に住む中学生にまでその魅力を伝えるには、まだ時間が必要でした。だいたいこっちは阪神タイガースの優勝でそれどころじゃありませんでしたし。

私が高校生になってすら、この状況は殆ど変化していなかった感があります。アメリカ代表チームがソウルオリンピックで敗退するという事件も日本でのニュースとしては大した事も無く、やはり私の耳にはバスケットボールというスポーツの魅力は殆ど届きませんでした。高校で何故かタダ券配られて見に行ったバレーボールの方がまだ見てた方でしょう。だって、バレーボールは当時川合さんとかがアイドル的な人気で盛り上がってましたからねぇ。大林素子さんも今は良く分からない人になってますが、当時はやはりトップアスリートの1人でしたし。そういうTV映えする人材がバスケにはいなかったんじゃないかなと思います。

小中高12年間の学生生活の間、私にはバスケというスポーツの魅力を理解するチャンスはあまりありませんでした。あるNBA選手のニュースを予備校時代に聞かされたのが、初めてバスケットボールというスポーツを意識した時だったかなと思います。ええ、マジック・ジョンソンのエイズ感染ですね。新聞のスポーツ欄に結構大きく載ってたと思います。理由はどうあれNBAが日本の一般紙の紙面で大きく取り上げられたのは、あれが初めてだったんじゃないでしょうか?

しかし、当時はエイズに感染した俳優・有名人が次々と出始めた時期であり、その中の1人だったマジックにそこまで大きくスポットが当たった訳ではありません。少なくとも日本ではそうでした。まさか、あの頃HIVウィルスに感染した人々の中で、マジックだけが未だに元気なままでいるとは思いませんでしたけどね。

ともあれ、やっと私にもNBAというスポーツの存在が認識されました。しかし、プロ野球、高校野球(予選結果をよくチェックしてました)、相撲、マラソンあたりにスポーツの意識が集中していた平均的な日本人だった私にとって、それはまだ単なる知識でしかありません。私が今のようなバスケ好きになるには、井上雄彦さんと伊藤忠商事、ソニーミュージックエンタテインメントさんあたりの力が必要だったのであります。

(以下「2〜スラムダンクとドリームチーム〜」へ続く)

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