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昔から、夢中になったら止まらない質でした。

兄の影響で色々ハマりました。昭和の子供にありがちですが太平洋戦争当時の日本艦隊の軍艦の名前を暗記したり、日本の城に詳しくなったり、国鉄(JR?何ソレ旨いの?)車両の種類を把握したり。プラモデル作るにもウォーターラインシリーズで何故か駆逐艦とか上陸用舟艇(分かります?)、しまいには戦艦ミズーリとか作るヒネクレ者でした。なぜそこで大和じゃない・・・。こういうところで既にマニアな性分が垣間見えてますね。

学生になってもハマるととにかく没頭しました。星新一の文庫本は全て中学時代に買い集めましたし、浪人中にそれまで買った総量以上のCD買ったりとかどないやねんと。実家には恐ろしい量のCDとカセットテープを置いてきてます。ちょっとでも安く、と関西人気質全開で日本橋(当時はまだ電気街でした)の中古CD屋とテープ屋をさ迷ったもんです。一時はカセットの商品名とグレードまで完全に頭に入ってたもんでしたね。

そんな具合でしたが、学生時代はお年玉だの小遣いだのバイトだのとありましたが、まあやはりハマれる趣味にも限界がある訳です。所詮は親に養われてる身ですからね。しかし、私も就職して自ら稼ぐ段となり、しかもたまたま一人暮らしとなりました。しかも知り合いもいない私にとって未開の地、名古屋です。元々大阪勤務時代に先輩方に仕込まれたせいで、私もそこそこスニーカーは増え始めてました。「営業だから靴がすぐ減る」なんて大ウソまでこいてましたが、まあそれでも親と同居してるうちは親が抑止力になっていた節があります。

その抑止力から遠ざかった尾張名古屋の地で、私は一人暮らしを始めたのであります。そりゃまあ色々暴走もしますよね。しかも、当時の勤務環境の都合で私には手当等が結構付くようになりました。要するに、経済面に余裕が出来た訳です。そんな時に私はスニーカーにハマりつつあったんですから、まあ渡りに舟だったんですね。まず私が始めた事は、名古屋の栄中心にスニーカーショップを回る事でした。

その頃、私は大阪時代の先輩が言っていた事を思い出しました。京橋にいたさるスニーカーショップ勤務の方が、そのショップ倒産後に独力でショップを立ち上げて頑張っておられると。時は既にインターネットな世の中になっていました。私がその京橋の店舗、KICKSをブックマークに加えるのにそう時間はかからなかったのです。更にこの時期、私は海外からの個人通販にも走り始めていました。イーストベイで買い物したら送られてくるカタログを会社の先輩が眺めていたのをたまたま見掛けて、私は個人輸入という手法を知ったのです。当時私が狙っていたのはズバリ、新興ブランド、AND1でした。

AND1が最初に日本のバスケファン、スニーカー好きにその名を認知させたのはミックステープよりもマーブリーとの契約とシグニチャーモデル発売では無かったでしょうか。何故か日本のスニーカーショップにも普通に置かれてた事もあるマーブリーの初代モデルは、しかしデザイン的にはまだまだこれから、って感じでしたね。私の心にAND1がヒットし始めたのはやはりダレル・アームストロングと契約した頃からでしょう。デザイン的にもレヴェルアップしていったのはこの時期だったと記憶しています。そして、その地位を確かなものにした選手が2人いました。

1人はラトエル・スプリーウェル。ウォリアーズ時代のカーリシモHC首絞め事件とNBA永久追放の憂き目からのニックス入り、そして'99プレーオフでの奇跡の第8シードからのファイナル進出。彼がその時履き続けていたのがまさしくAND1でした。「プラウド・サポーター・オブ・ラトエル・スプリーウェル」という誇らしげな広告のキャッチコピーのカッコ良さったら無かったですね。



もう1人は勿論ヴィンス・カーター。ルーキーイヤーに契約していたプーマと揉め、スニーカー界のFA状態になってナイキ、アディダスなどフリーに履いていたカーターが、史上最高のダンカーの地位を不滅のものとした2000年ダンクコンテストの夜、彼の両足を支えたのがAND1最高傑作と言える名バッシュ、タイチー・ミッドの白赤モデルだったのです。

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AND1 Tai Chi Mid アンドワン タイチ ミッド (White/Royal/Silver)
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当然ながらバスケファンの間でタイチーの人気はうなぎ登りになりました。が、当時まだ日本にAND1正規販売店はありませんでした。そのため、私はイーストベイ、そしてフットロッカーのウェブサイトに希望を求めたのです。当初私が欲しかったのはスプリーとアームストロングが履いていたモデルです。お分かりかと思いますが、これは青色ベースモデルでした。何とか1足はフットロッカーで仕入れたものの、サイズはやや小さ目でしたね。で、四苦八苦してた矢先にKICKSさんのサイトに辿り着いたという次第です。

KICKSさんが私の中で存在感をグッと増したのはやはりタイチー・ミッドを探し始めたあたりです。あの時点でAND1商品をあれだけガンガンに仕入れているショップはそうは無く、また名古屋というロケーションでは尚更店頭での商品探しは困難でした。

かくて私はKICKSさんのお世話になる事になりました。もう新しいカラー入る度に喜び勇んで購入ボタン押してましたね。私も若かったです、ハイ。あの頃は当然ながらアメリカでもAND1がブレイクしまくっていた時期なはずで、そんな品薄状態からどうやって商品を仕入れていたのか未だに分かりませんが、それが出来るのが店長ちゃんぷさんの辣腕というものでしょう。流石はスニーカー選手権チャンピオンです。

家に帰ればホームページ更新とバスケTV観戦、KICKSさん&フットロッカーのHPチェックの日々。なかなかいい感じにバスケ一色に染まりつつあった私に、物凄いタイミングで海外へ行けるチャンスが舞い込んで来ました。会社の研修の一環で、何年かに1回ある北米行き。そのおはちが、なんと私に回って来たのであります。

(次回、「11〜“ハロー、トロント!”そしてニューヨーク」へ続く)

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