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左肩上がりだったT-MACとフランシスのキャリアの翳りは、同じタイミングで訪れました。互いのチーム状況は対照的だったものの、'03-'04シーズンの2人を語るのには「フラストレーション」の一言こそが相応しいです。

T-MAC率いるマジックはこのシーズン、前回も触れた通りアームストロングを放出してティロン・ルーとジュワン・ハワードを加えました。前シーズン半ばのトレードでマイク・ミラーの代わりにグッデンとギリチェックを加えたマジックについての前評判は、プレーオフでのピストンズ相手の善戦もあって悪くなかったのです。このシーズンに評論家デビューを果たしたスティーヴ・カーなどは優勝候補としてマジックの名前を挙げていたぐらいですからね。かくて迎えた開幕戦、マジックは延長の末ニックスを85-83という僅差で下し、とにかくも白星スタートを切ります。そしてその後、フリーフォールが始まりました。

10/30のホーネッツ戦を皮切りに、実に12/3のマヴス戦までマジックはただひたすらに黒星を重ねていったのです。その間惜しいゲームも無かった訳ではありませんが、ウルヴスやキングスに30点前後のビハインドで敗れていたのも事実。躍進が期待されたチームの士気はどん底に落ちたのです。当時のT-MACはあまりの負けっぷりに引退すら考えたと当時のインタヴューでも語っていた程です。この連敗の間にT-MACがマジックに加入して以来ずっとHCだったドック・リヴァースも職を追われてしまいます。

今でこそ「PG不在」「結局インサイドのサイズ不足」「ギャリティー不在による外角シューターの不在」「そもそもサポーティングキャストが駄目だった」等々いくらでも後付けの分析が出来ますが、当時リアルタイムで応援していた者にとって、あの連敗は何が起こったのかまるで分かりませんでした。それはファン、チーム関係者、そして選手達も同じ思いだったのではないでしょうか。負けが負けを呼び込む負の連鎖、マーフィーの法則そのものですね。

なお、当時のD誌2004年3月号によると、ドック・リヴァースHCは解雇後に「新顔が多く、トレイシーはスロースタート。ギリセク(当blogではギリチェック)とギャリティもいない。出だしで苦しむのはわかっていた」と語っていたとありました。しかし、これとても正しい分析かどうか私は今ひとつ確信がありません。同じくD誌の2004年1月号にある「タイミング悪くギャリティ、ギリセクの両シューターをケガで欠き、そこに目をつけた各チームがゾーン・ディフェンスを仕掛けてきた」というのは合点が行く分析かなあと思いますね。

チームも全く手をこまねいていた訳ではなく、大ヴェテランのロッド・ストリックランドを急遽招聘してPG補強を図ったりはしましたが効果は殆どありませんでした。そもそもT-MAC&ヒルのマックスサラリー2本立てでサラリーをこれ以上増やせないマジックには抜本的なトレード等の動きは取れず、そもそも開幕で19連敗した時点でぶっちゃけ選手もフロントも心が折れていたと思われます。10日間契約や最低保証額での契約といった小手先の補強でお茶を濁す事しかマジックには出来なかったのです。

かくして、T-MACにとってこのシーズンは殆ど希望の無い苦痛だけのものとなりました。せめてもの救いは2シーズン連続の得点王の座、4年連続のオールスター選出、そしてシーズン終盤、3/10のウィザーズ戦で飛び出した62得点のビッグ・ゲームぐらいのものだったのです。ただ終わりを待つだけの何も楽しみが無いシーズン、チームメイト達もこのT-MACの快挙を喜び、共に彼の記録が伸びる事を楽しんだのでした。この62得点は依然として彼のキャリア・ハイとなっています。



http://www.basketball-reference.com/teams/ORL/2004.html

28.0得点6.0リバウンド5.5アシスト、それがこのシーズンの彼のスタッツでした。得点面は勿論、アシストでもチームトップ(2位はルーの4.2アシスト)、リバウンドでもジュワン・ハワード7.0リバウンド、グッデン6.5リバウンドに次ぐ3位。FG成功率がそれまでの.450超から.417に落ちたのはマークが集中した結果であり、最悪なチーム状況の中でT-MACはなおベストを尽くしたと私は思います。しかし、彼を待っていたのは批判の嵐でした。特にオーランド・センチネル紙は「Me-Mac」などと彼を揶揄。チームでアシストトップなのに利己的?他に頼れる得点源が無かったから自ら行くしかなかったというT-MACの言葉は批判にかき消されました。それは正に彼が敬愛したペニーのマジックでのキャリア終盤に似ていたのです。

一方のフランシス。彼のチームはマジックと違い、成績が急降下した訳ではありません。落ちたのはチーム成績ではなく、フランシス個人の成績でした。新任のジェフ・ヴァンガンディーHCは案の定というべきか、ヤオミンを中心としたチーム作りを推し進めたのです。「スティーヴィー・フランチャイズ」から「ミン・ダイナスティー」への易姓革命がこのシーズンに行われた事を、しかしフランシスは理解出来ていなかったのではないでしょうか。

ヴァンガンディーはゲームのテンポを落とし、ハーフコートバスケット主体のオフェンスを導入します。それはフランシス&モーブリーのハイスコアバックコートコンビにとっては朗報ではありませんでした。まあ一般的に彼らのようなスピード勝負のガードは走りたい訳でして、ヤオミンがいかに巨体の割には走れるセンターだといっても、それまでの試合のテンポから一気に落ちるのは明らかでしたからね。

結果、フランシスは出場した79試合全てで先発し、前シーズンと遜色無い平均40.4分の出場時間を得ながら、平均得点は21.0から16.6へと劇的にダウン。FG成功率も速攻からのイージーバスケットが減ったためか.435から.403へとこれまたダウンしたのです。軒並みスタッツの数字が落ちる中、横ばい気味だったのはスティール(1.7→1.8)、そしてこれは納得としか言いようがありませんがアシスト(6.2→6.2)でした。逆にヤオは82試合全てに先発出場して平均得点が13.5から17.5へと大幅にアップしたのです。

そして、このシーズンを45勝37敗としたロケッツは遂に'99年以来のプレーオフ進出を達成。対戦相手は'99年にピペン、バークリー&オラジュワン体制で挑むも1勝3敗で敗れた相手のレイカーズであり、この時も1勝4敗で敗退。その1勝でフランシスは27得点9リバウンド7アシストを挙げて貢献。また、敗れはしましたが第2戦では18得点10リバウンド12アシストのトリプルダブルを達成しています。

フランシス自身は3シーズン連続のオールスター先発選出という明るい話題もあったものの、フランシスとヴァンガンディーHCとの確執は最早明らかでした。しかし、フランシスを中心とした体制では達成出来なかったプレーオフ進出という課題が、ヤオミンを中心としたこの新体制で確立されたのは否めない事実であり、そのチーム構成を作り上げたヴァンガンディーHCが就任1年目でこの結果を出した以上、フランシスとヴァンガンディーのどちらをロケッツが選ぶべきかは自ずと明らかだったのです。

T-MAC、そしてフランシス。それぞれチームを支えて来た2人のスターガードのキャリアは、共に曲がり角を迎えていました。そのタイミングが偶然にも一致した事が、この'04オフに思わぬ化学反応を呼び起こす事となったのです。そしてその化学反応のきっかけはマジック側のフロント人事にありました。'03-'04シーズン半ばにリヴァースHCの後を追うようにGM職を解かれたジョン・ガブリエルの後にマジックのGMに就任したのがジョン・ワイスブロドだったのです。名門ハーヴァード大出身にしてアイスホッケー部を経てNHL、IHLでプレー後NHLのニュージャージー・デヴィルズでスカウトの手腕を発揮し、後にIHLのオーランド・ソーラーベアーズで'01年にIHL最後のチャンピオンの座を勝ち取るという功績を挙げたこの鼻っ柱が強い男が、T-MAC、そしてフランシスのその後の運命を握る事となったのであります。

(以下、「ブロックバスタートレード、そして新天地編」に続く)

T-MAC
FRANCIS




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