予告編はこちら
マクグレディーNBA入り編はこちら
フランシスNBA入り編はこちら
ダンクコンテスト2000編はこちら
マクグレディーマジック移籍編はこちら
「スティーヴィー・フランチャイズ」編はこちら
マクグレディー大ブレイク編はこちら
「トレイシー・マクグレディー、スーパースター」編はこちら
T-MAC&フランシスの輝き、そして暗雲編はこちら
悪夢、そして運命の交錯編はこちら
T-MACとフランシスの運命を決めた男、ジョン・ワイスブロド。「hard-nosed guy」とあちらでも紹介されたマジックの新GMは、妥協という言葉にまるで縁の無い男でした。チームをほぼ独力で支え続けて不満の鬱積していたT-MACと彼は、完璧なまでに水と油だったのです。
何年も孤軍奮闘、独力でチームを背負わされ続け、自分を助けてくれるサポーティングキャストを求めたT-MACは即戦力足り得る人材を求めました。当時の彼が欲しがっていたのはまともなビッグマン、PGでありました。あの当時のマジックでまともなビッグマンといえばグッデンとジュワン・ハワードだった訳ですが、その2人が組んであの結果だった訳です。また、アームストロング移籍後のPGポジションに問題がある事は最早明らかでした。
それらの解決策としてまず期待出来る補強方法はやはりドラフトでした。何しろマジックには1位指名権があるのです。ビッグマンの問題はこの指名権をもってすれば解決しそうに思われましたし、実際この'04ドラフトで1位指名を予想されていたのはエメカ・オカフォーとドワイト・ハワード。NCAAを制覇したオカフォー、高卒ながらそのポテンシャルの高さを評価されていたドワイト。どちらも悪くないチョイスに思われました。実際、T-MACのこの頃のインタヴューを日本のNBA誌等で探すと、オカフォーの指名を歓迎するようなコメントをしていたりします。
しかし、T-MACは当時どうやらそれ以上を望んだようです。事実かどうか裏付けが難しいのですが、当時出回った話によると、T-MACはこの指名権をトレードに出し、見返りにコービーと折り合いが悪くなって移籍寸前だったシャックをレイカーズから獲得する事をチームフロント側に要求したとされています。後にヒートがこの手に乗ってウェイドとシャックを組ませ、チーム初優勝を決めたことを考えればこれは必ずしも間違った方法論では無かったのは確かです。シャックとT-MACの仲の良さを考えても、考えられる方策の1つではありました。
しかし、現在ヒートが優勝の後はプレーオフ出場止まりになっている事を見ても分かる通り、この方法は短期的には効果抜群ですが後々副作用を伴う事は明らかでした。そして、ワイスブロドは結局このT-MACの提案に乗らなかったのです。しかも、彼がドラフトで指名したのはより即戦力と見られていたオカフォーでは無かったのは皆さん良く御存知の通りです。既に完成されつつあるビッグマンであるオカフォーより、ワイスブロドGMはドワイトのポテンシャルに賭けたのです。
http://www.insidehoops.com/weisbrod-interview-052704.shtml
http://www.nba.com/magic/news/Magic_GM_John_Weisbrods_Comme-112529-66.html
当時のワイスブロドGMのインタヴューを見ると、オカフォーとドワイトにターゲットを絞っていく様、そして短期的な視点でなく将来的により成長の見込めるドワイトを選んだ事が分かります。そして、ドラフト当日に更にワイスブロドGMはPG問題にも着手、将来のドラフト指名権と交換でナゲッツから20位指名のPG、ネルソンを獲得したのです。セント・ジョセフ大でシーズン27勝0敗をマークした彼の獲得が後ほどどれだけのプラスになったか、皆さんも今なら良くお分かりでしょう。更に2巡目30位で指名したのがブラジル人選手、ヴァレジャオでした。結果を見るに中々上出来な指名である事が分かります。
http://sports.yahoo.com/nba/news?slug=ys-weisbrodmagic020209
最近のインタヴューでこの当時の事をワイスブロド自身が語っています。
“It has been gratifying to watch Dwight's career and see it come to fruition. But to me, the most stressful part of that [draft] night was not making the Howard pick, but the Jameer Nelson trade.”
“We had agreed to trade a future No. 1 to Denver, who was picking 20th. Jameer was the only one we wanted. And we had to sweat it out because there were a number of picks out there between the time we made the trade and the time Denver made the pick for us.”
ドワイトの指名以上にネルソンの獲得に腐心していたとは意外でしたが、その後の経過を見る限りこれも納得ですね。
しかし、このドラフト時点で既にワイスブロドGMとT-MACには相当深い溝が出来ていたのは明らかでした。何しろ、T-MACの話題を振られたワイスブロドGMは当時「(トレードするかどうか)結論を急ぐ。今時点では答えられない」としか答えていないのです。あまり引き留める意思の強い言葉には見受けられません。
ポテンシャルはあるとは言え確実に戦力足りえるかは当時疑問だったドワイトを指名した事自体が、T-MACにとっては既に我慢ならない事だったのです。何しろ僅か3年前、'01年ドラフトで高卒初の1位指名選手となったクワミ・ブラウン、2位のタイソン・チャンドラー、4位のエディー・カリー、そして8位のザカナ・ジョップは当時揃いも揃って伸び悩んでいました。ドワイトもそうならないという保障はありません。いや、仮に当たりだとしても高卒ルーキーがいきなり即戦力になるなんて事はレブロンとアマレという偉大な例外以外にはちょっと考えられない事でした。成長にかかるであろう数年すら、T-MACにはもどかしい年月に思えてならなかったのです。
ドワイト側はT-MACに対し「僕のプレーを見て欲しい」と何度と無くラヴコールを送りましたがT-MAC側はこれをスルー。この時、もしもワイスブロドでなくガブリエルがGMのままであれば、T-MACを慰留するべく彼を何とかなだめすかしてドワイトに顔合わせさせる機会を作ったんじゃないかと思います。T-MAC自身もガブリエルがGMだったら・・・という発言をしてますね。何よりもT-MAC自身が高卒NBA入り選手なんですから、そのあたりをくすぐればT-MACを翻意させる事はそう難しい話では無かった筈です。しかしそもそもNBAの世界では経験も浅く、また鼻っ柱の強いワイスブロドは、残念ながらそういう調整型の人ではありませんでした。
後にT-MACはワイスブロドGMの事を口を極めて罵り非難しています。何しろ「John Sissybrod」よわばりですからね。あ、sissyって弱虫とか意気地なしとかそういう意味です。・・・ワイスブロドと正反対の言葉な気がするんですがそれはともかく、T-MACが当時も今も一貫して言っているのは「自分はオーランドを離れたくなかった。チームが、ワイスブロドがそれを望んだ」という内容です。しかし、上掲のヤフー記事もそうですが「T-MACが移籍したがっていた」という見方が有力だったりします。どちらが真相なのかは何とも言えません。
恐らく、T-MACにしてみればこれ程貢献してきた自分のリクエストを聞き入れてくれないのはチームが自分に出て行って欲しいとしか思えない→なら移籍したいチームのリクエストを、という感じだったんじゃないでしょうか。そしてフロント側とメディアはそのT-MACの言葉を文字通り捉え、「T-MACは移籍したがっている」と報じられたような気がします。
ともあれ、T-MACはマジックのフロントにトレードの希望を提示。彼が望んだのはドアマットなチームでは勿論なく、まともなセンターがいる優勝争いが期待出来そうなチームでした。しかし、まともなセンターという時点で選択肢はかなり限られます。しかも、T-MACとトレードが釣り合うだけのサラリーとタレントが必要なのです。
これらの条件を見事に満たしているチームがウエストにありました。ヤオミンという若きオールスターセンターを抱え、フランシスという今や不満分子となりつつあるオールスターPGというトレード材料をも併せ持っていた、非常に都合の良いチームが。そして、彼らにとってもコービーと張り合えるだけのタレントを持つT-MACという存在は魅力的に映りました。コービーとシャックのタンデムが'00年代前半のNBAを完全に支配したように、T-MACとヤオミンのタンデムもリーグを席巻するのでは・・・そう考えるのは無理もありません。
かくてドラフトから5日後、遂にT-MACとマジックの蜜月は完全に終わりを告げました。2004年6月29日、大型トレードが発表されたのです。
http://www.usatoday.com/sports/basketball/nba/2004-06-29-mcgrady-francis-deal_x.htm
マジック←フランシス、モーブリー、ケルヴィン・ケイトー
ロケッツ←マクグレディー、ジュワン・ハワード、ルー、ゲインズ
マジックにとってこれはなかなか有利なディールでした。何しろT-MACとセットで放出したのはジュワン、ルー、そして外れ指名のゲインズと揃いも揃って期待を裏切った新加入選手ばかり。そして見返りに得たのはフランシスとモーブリーの息の合ったコンビ、そしてこれまたロケッツで長いキャリアを過ごしたケイトー。マジックは先発PG・SGに加えてセンターにもそれなりの人材を得たのです。何だかマジックが一方的に得をしたようにしか思えないんですが、それだけT-MAC獲得をロケッツが重要視したとも言えます。それだけの対価はある、と踏んだ訳です。それにロケッツにしてみればヤオミンをチームのセンターピースに据えたい以上、フランシスとモーブリーをセットで放出出来るのはメリットではありました。
マジックはこの後更に動きます。まずはミッドレヴェル全額投入でタコルーと契約。更にグッデン、指名したばかりのヴァレジャオを放出してキャヴスからトニー・バティーを獲得して、更にセンタープレーヤーを増やしたのです。これらのムーヴを見ても分かる通り、ドワイトは当初センターではなくPFと見られていました。ドワイト本人もダンカンとKGのミックスが自分だ、みたいな事を言ってましたね。
http://sports.espn.go.com/nba/news/story?id=1831594
当初はロケッツを放出される事にショックだったフランシスでしたが、マジックが自らをチーム再建のセンターピースと位置付けている事で心を切り替える事が出来たようです。親友モーブリーと一緒に移籍した事も彼のショックを大いに和らげた事でしょう。彼は新天地で再び出直す決心がついたのです。
かくて、T-MACとフランシスは活躍の場を取り替える事となりました。早速SLAM誌は2人を同時に表紙に起用します。まだまだ栄光のキャリアが続いていくと信じられていた2人の若きスーパースターガードの運命は、しかし更に予想外の方向へと向かって行くのでありました。
(以下、「フランシス最後の輝き編」に続く)
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T-MACとフランシスの運命を決めた男、ジョン・ワイスブロド。「hard-nosed guy」とあちらでも紹介されたマジックの新GMは、妥協という言葉にまるで縁の無い男でした。チームをほぼ独力で支え続けて不満の鬱積していたT-MACと彼は、完璧なまでに水と油だったのです。
何年も孤軍奮闘、独力でチームを背負わされ続け、自分を助けてくれるサポーティングキャストを求めたT-MACは即戦力足り得る人材を求めました。当時の彼が欲しがっていたのはまともなビッグマン、PGでありました。あの当時のマジックでまともなビッグマンといえばグッデンとジュワン・ハワードだった訳ですが、その2人が組んであの結果だった訳です。また、アームストロング移籍後のPGポジションに問題がある事は最早明らかでした。
それらの解決策としてまず期待出来る補強方法はやはりドラフトでした。何しろマジックには1位指名権があるのです。ビッグマンの問題はこの指名権をもってすれば解決しそうに思われましたし、実際この'04ドラフトで1位指名を予想されていたのはエメカ・オカフォーとドワイト・ハワード。NCAAを制覇したオカフォー、高卒ながらそのポテンシャルの高さを評価されていたドワイト。どちらも悪くないチョイスに思われました。実際、T-MACのこの頃のインタヴューを日本のNBA誌等で探すと、オカフォーの指名を歓迎するようなコメントをしていたりします。
しかし、T-MACは当時どうやらそれ以上を望んだようです。事実かどうか裏付けが難しいのですが、当時出回った話によると、T-MACはこの指名権をトレードに出し、見返りにコービーと折り合いが悪くなって移籍寸前だったシャックをレイカーズから獲得する事をチームフロント側に要求したとされています。後にヒートがこの手に乗ってウェイドとシャックを組ませ、チーム初優勝を決めたことを考えればこれは必ずしも間違った方法論では無かったのは確かです。シャックとT-MACの仲の良さを考えても、考えられる方策の1つではありました。
しかし、現在ヒートが優勝の後はプレーオフ出場止まりになっている事を見ても分かる通り、この方法は短期的には効果抜群ですが後々副作用を伴う事は明らかでした。そして、ワイスブロドは結局このT-MACの提案に乗らなかったのです。しかも、彼がドラフトで指名したのはより即戦力と見られていたオカフォーでは無かったのは皆さん良く御存知の通りです。既に完成されつつあるビッグマンであるオカフォーより、ワイスブロドGMはドワイトのポテンシャルに賭けたのです。
http://www.insidehoops.com/weisbrod-interview-052704.shtml
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当時のワイスブロドGMのインタヴューを見ると、オカフォーとドワイトにターゲットを絞っていく様、そして短期的な視点でなく将来的により成長の見込めるドワイトを選んだ事が分かります。そして、ドラフト当日に更にワイスブロドGMはPG問題にも着手、将来のドラフト指名権と交換でナゲッツから20位指名のPG、ネルソンを獲得したのです。セント・ジョセフ大でシーズン27勝0敗をマークした彼の獲得が後ほどどれだけのプラスになったか、皆さんも今なら良くお分かりでしょう。更に2巡目30位で指名したのがブラジル人選手、ヴァレジャオでした。結果を見るに中々上出来な指名である事が分かります。
http://sports.yahoo.com/nba/news?slug=ys-weisbrodmagic020209
最近のインタヴューでこの当時の事をワイスブロド自身が語っています。
“It has been gratifying to watch Dwight's career and see it come to fruition. But to me, the most stressful part of that [draft] night was not making the Howard pick, but the Jameer Nelson trade.”
“We had agreed to trade a future No. 1 to Denver, who was picking 20th. Jameer was the only one we wanted. And we had to sweat it out because there were a number of picks out there between the time we made the trade and the time Denver made the pick for us.”
ドワイトの指名以上にネルソンの獲得に腐心していたとは意外でしたが、その後の経過を見る限りこれも納得ですね。
しかし、このドラフト時点で既にワイスブロドGMとT-MACには相当深い溝が出来ていたのは明らかでした。何しろ、T-MACの話題を振られたワイスブロドGMは当時「(トレードするかどうか)結論を急ぐ。今時点では答えられない」としか答えていないのです。あまり引き留める意思の強い言葉には見受けられません。
ポテンシャルはあるとは言え確実に戦力足りえるかは当時疑問だったドワイトを指名した事自体が、T-MACにとっては既に我慢ならない事だったのです。何しろ僅か3年前、'01年ドラフトで高卒初の1位指名選手となったクワミ・ブラウン、2位のタイソン・チャンドラー、4位のエディー・カリー、そして8位のザカナ・ジョップは当時揃いも揃って伸び悩んでいました。ドワイトもそうならないという保障はありません。いや、仮に当たりだとしても高卒ルーキーがいきなり即戦力になるなんて事はレブロンとアマレという偉大な例外以外にはちょっと考えられない事でした。成長にかかるであろう数年すら、T-MACにはもどかしい年月に思えてならなかったのです。
ドワイト側はT-MACに対し「僕のプレーを見て欲しい」と何度と無くラヴコールを送りましたがT-MAC側はこれをスルー。この時、もしもワイスブロドでなくガブリエルがGMのままであれば、T-MACを慰留するべく彼を何とかなだめすかしてドワイトに顔合わせさせる機会を作ったんじゃないかと思います。T-MAC自身もガブリエルがGMだったら・・・という発言をしてますね。何よりもT-MAC自身が高卒NBA入り選手なんですから、そのあたりをくすぐればT-MACを翻意させる事はそう難しい話では無かった筈です。しかしそもそもNBAの世界では経験も浅く、また鼻っ柱の強いワイスブロドは、残念ながらそういう調整型の人ではありませんでした。
後にT-MACはワイスブロドGMの事を口を極めて罵り非難しています。何しろ「John Sissybrod」よわばりですからね。あ、sissyって弱虫とか意気地なしとかそういう意味です。・・・ワイスブロドと正反対の言葉な気がするんですがそれはともかく、T-MACが当時も今も一貫して言っているのは「自分はオーランドを離れたくなかった。チームが、ワイスブロドがそれを望んだ」という内容です。しかし、上掲のヤフー記事もそうですが「T-MACが移籍したがっていた」という見方が有力だったりします。どちらが真相なのかは何とも言えません。
恐らく、T-MACにしてみればこれ程貢献してきた自分のリクエストを聞き入れてくれないのはチームが自分に出て行って欲しいとしか思えない→なら移籍したいチームのリクエストを、という感じだったんじゃないでしょうか。そしてフロント側とメディアはそのT-MACの言葉を文字通り捉え、「T-MACは移籍したがっている」と報じられたような気がします。
ともあれ、T-MACはマジックのフロントにトレードの希望を提示。彼が望んだのはドアマットなチームでは勿論なく、まともなセンターがいる優勝争いが期待出来そうなチームでした。しかし、まともなセンターという時点で選択肢はかなり限られます。しかも、T-MACとトレードが釣り合うだけのサラリーとタレントが必要なのです。
これらの条件を見事に満たしているチームがウエストにありました。ヤオミンという若きオールスターセンターを抱え、フランシスという今や不満分子となりつつあるオールスターPGというトレード材料をも併せ持っていた、非常に都合の良いチームが。そして、彼らにとってもコービーと張り合えるだけのタレントを持つT-MACという存在は魅力的に映りました。コービーとシャックのタンデムが'00年代前半のNBAを完全に支配したように、T-MACとヤオミンのタンデムもリーグを席巻するのでは・・・そう考えるのは無理もありません。
かくてドラフトから5日後、遂にT-MACとマジックの蜜月は完全に終わりを告げました。2004年6月29日、大型トレードが発表されたのです。
http://www.usatoday.com/sports/basketball/nba/2004-06-29-mcgrady-francis-deal_x.htm
マジック←フランシス、モーブリー、ケルヴィン・ケイトー
ロケッツ←マクグレディー、ジュワン・ハワード、ルー、ゲインズ
マジックにとってこれはなかなか有利なディールでした。何しろT-MACとセットで放出したのはジュワン、ルー、そして外れ指名のゲインズと揃いも揃って期待を裏切った新加入選手ばかり。そして見返りに得たのはフランシスとモーブリーの息の合ったコンビ、そしてこれまたロケッツで長いキャリアを過ごしたケイトー。マジックは先発PG・SGに加えてセンターにもそれなりの人材を得たのです。何だかマジックが一方的に得をしたようにしか思えないんですが、それだけT-MAC獲得をロケッツが重要視したとも言えます。それだけの対価はある、と踏んだ訳です。それにロケッツにしてみればヤオミンをチームのセンターピースに据えたい以上、フランシスとモーブリーをセットで放出出来るのはメリットではありました。
マジックはこの後更に動きます。まずはミッドレヴェル全額投入でタコルーと契約。更にグッデン、指名したばかりのヴァレジャオを放出してキャヴスからトニー・バティーを獲得して、更にセンタープレーヤーを増やしたのです。これらのムーヴを見ても分かる通り、ドワイトは当初センターではなくPFと見られていました。ドワイト本人もダンカンとKGのミックスが自分だ、みたいな事を言ってましたね。
http://sports.espn.go.com/nba/news/story?id=1831594
当初はロケッツを放出される事にショックだったフランシスでしたが、マジックが自らをチーム再建のセンターピースと位置付けている事で心を切り替える事が出来たようです。親友モーブリーと一緒に移籍した事も彼のショックを大いに和らげた事でしょう。彼は新天地で再び出直す決心がついたのです。
かくて、T-MACとフランシスは活躍の場を取り替える事となりました。早速SLAM誌は2人を同時に表紙に起用します。まだまだ栄光のキャリアが続いていくと信じられていた2人の若きスーパースターガードの運命は、しかし更に予想外の方向へと向かって行くのでありました。
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正直どこが優勝しようがテキサスのライバルたちが対決しようが全く興味が湧いてこず、専らボッシュ加入の噂とかドラフト情報を探る毎日です(^o^)
なるほど、マグの移籍にはそんな背景があったんですね。確かにすぐにでもドアマットから抜け出したかったT-MACからしたら、シャック獲得を拒否られたらフロントを疑いたくもなりますね。まさに悲劇のヒーローって感じです。まぁ自分からしたらお礼のひとつでも言わなきゃならんのですが^^
そのせいもあってロケットブーストを夢見たマグレディーの墜落っぷりは、まさにどうしてこうなったを地で行く形になってしまって残念でなりません。続編、期待してます。