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さて、青から赤へとユニフォームの色を変えたT-MACです。ヤオミンとのデュオはシャック&コービーに取って代わる1-2パンチ足り得るかとリーグの期待も高かった'04-'05シーズン、しかしロケッツは当初PGのポジションに悩みます。何しろ今までフランシスで固定だったポジションです。当初は元ニックスのチャーリー・ウォードがジェフ・ヴァンガンディーHCとの縁からかロケッツに来て新PGとなりますが上手く機能せず、T-MACとセット販売で付いて来たルーも今ひとつ。

しかし、そんな中にあってT-MACはロケッツ加入1年目にして早くも伝説となるプレーを決めたのです。まずは12/2、マヴスとOTまで突入する大熱戦に106-113と敗れはしましたがT-MAC1人で48得点を挙げ、マヴスのノヴィツキー53得点とのスコアリング合戦でダラスの地を震撼させます。



そして12/9、地元ヒューストンでの対スパーズ戦。残り42.0秒にして68-76、既にロケッツの敗戦を覚悟した観客達は足早に家路に就きつつありました。そんな彼らは家に帰ってみて初めて、NBA史上屈指のスペクタクルな場面を生で見る機会を逸してしまった事を知ったのです。奇跡を信じて会場に残り続けたロケッツファン達は、正にその奇跡が目の前で起こる瞬間を目撃する至福の境地を味わう事となったのでした。



81-80。8点差を覆すT-MACの35秒で13点を叩き出したミラクルは、後に何度と無くNBAのDVDに収録されるハイライトとなります。ロケッツがT-MACを獲得したのは間違いじゃなかった、とファンも強く思ってくれた事でしょう。この後、懸案のPG問題は故障から復帰したボブ・スーラの起用で解決。更にロケッツはルーとのトレードでジョン・バリーを獲得。更にホーネッツからデヴィッド・ウェズリーをも仕入れてスーラ、ウェズリー、T-MAC、ジュワン、ヤオミンという先発ラインアップが完成。最早T-MACはマジック時代のように得点だけに専念する必要が無くなり、スタッツも25.7得点6.2リバウンド5.7アシストと得点王を争う域からは一歩後退。しかし、チームが最下位での得点王より上位を伺えるチームで戦える方がT-MACにとって幸せであった事は言うまでもありませんでした。そんな彼は勿論ロケッツでもオールスター先発出場を果たします。

かくて新生ロケッツは充実のシーズン51勝を挙げて一躍ウエストの第5シードとなり、1stラウンドでマヴスを迎えたのです。このシリーズ、初戦はいきなりT-MACが34得点5リバウンド6アシストと爆発して、ロケッツが98-86で制しました。続く第2戦もヤオミン33得点8リバウンド、そして決勝ジャンパーを叩き込んだT-MAC28得点8リバウンド10アシスト3スティール3ブロックでロケッツが113-111で連勝。新生ロケッツはこのT-MACのダンクの如き勢いで一気に1stラウンドを突破してしまうかと思われました。



しかし、マヴスもホーム連敗のショックを振り切って、なんとアウェーで102−106、93−97と連勝。敗退の危機から立て直す事に成功します。更にマヴスはホームに戻って第5戦も100-103で勝ち、3連勝で王手をかけてきました。T-MAC37得点の活躍で第6戦に101-83と大勝して3勝3敗のタイに持ち込んだロケッツでしたが、最終戦は76-116と惨敗。ロケッツ夢のタンデム1年目はやや尻すぼみな終わり方をしてしまいました。それでも、ロケッツファンは遠からずこのコンビがリーグを席巻すると信じたはずでした。

が、ロケッツファンの希望は1年持ち越されます。翌'05-'06シーズンはロケッツの弱点と思われたPFの補強としてストロマイル・スウィフトを迎えましたが、彼は期待外れに終わりました。PGにはアルストンが移籍して先発PGとして定着したものの、肝心のT-MACがマジック時代からの持病となっていた腰の痛みで47試合の出場に留まります。更にヤオミンもまた57試合の出場止まり。かくてこのデュオが一緒にプレーしたのは僅か31試合となり、ロケッツは僅か34勝でプレーオフから再び遠ざかりました。何しろT-MAC不在の試合は2勝15敗、T-MACが最後までプレーしなかった試合は2勝16敗だったのです。



結局このシーズンのハイライトは故障にも関わらずまたも先発出場を果たした、地元ヒューストンでのオールスターのみでした。ヤオミンと共に地元の期待を背負って登場したT-MACはMVP狙いを隠そうともせずガンガン得点、ウエストの面々も空気を読んで彼にボールを集めます。何しろこの晴れ舞台で彼のFGアテンプトは実に26回!彼以外に2桁アテンプトがレイ・アレン(13回)、コービー(11回)、ブランド(11回)だったのですから回りの配慮が伺えます。そしてこのゲーム、彼のFG成功率は実に.577!36得点を挙げてウエストを牽引したのです。これで勝っていればMVPは間違い無く彼のものでした。しかし、最後のT-MACのシュートアテンプトはレブロンに阻まれます。リプレイではレブロンがT-MACの肘に触れていると思われましたがファールは吹かれずウエストは敗れ、オールスターMVPはレブロンのものとなったのであります。

かように色々と残念な'05-'06シーズンでしたが、それでもロケッツファンとしては「まあ、こんなシーズンもあるさ」というぐらいの認識だったと思います。健康な2人さえ揃えばウエストの、いやリーグの頂点だって夢じゃない・・・そう思うのは当然でした。そして実際、'06-'07シーズンにロケッツはバティエーを迎え、アルストン、T-MAC、バティエー、チャック・ヘイズ、ヤオミンというラインアップを形成します。いよいよロケッツ時代来るか、という感じでした。

しかし、既にT-MACの体は相当ダメージが溜まっていたのです。このシーズンも7試合を背中の痛みで欠場してからの出場となった彼は最早チームの1stオプションの座をヤオミンに完全に譲渡。ヤオミンは26.8得点9.7リバウンド2.3ブロックをマークしてMVP候補に挙がるほどの活躍を見せました。しかし、12/23にヤオミンが膝の故障で長期欠場を余儀無くされたため、T-MACは再度傷付いた体に鞭打ってエースとしての仕事を全うします。12/29には14,000得点4,000リバウンドをマークしたNBA史上3番目に若い選手となりました。かくてこのシーズン、ロケッツはヤオミンが48試合しか出場しなかったにも関わらずT-MACの踏ん張りで52勝をマーク、再度プレーオフ返り咲きを果たしたのです。そして、第5シードに入ったロケッツの対戦相手はユタ・ジャズでした。

今度もまたロケッツは2連勝と快調なスタートを切ります。今度こそ1stラウンド突破へ向けて視界良好かと思われましたが、またも2連敗。しかし、今回はロケッツが第5戦を制し、先に王手をかけたのです。が、残り2戦を連敗してしまったロケッツはまたしても1stラウンドに沈んでしまったのです。この結末をもってロケッツはジェフ・ヴァンガンディーHCと決別、後任としてキングス黄金期のHC、リック・エイデルマンを招聘しました。これは、ロケッツがディフェンス重視の姿勢からオフェンス志向へと切り替わった事の証左に他ならなかったのです。

かくて再スタートを切る事になった'07オフ、ロケッツのロスターに驚くべき選手の名前がありました。そう、スティーヴ・フランシスその人です。かつてヤオミンとヒューストンの地でコンビを組み、T-MACとの交換でヒューストンを去ったはずのこの選手が、何故ロケッツに戻る事になったのでしょうか?それを知るには彼のイースタンカンファレンスでの軌跡を追う必要がありました。

(以下、「フランシスガラスのニューヨーク編」に続く)

※参考文献

Yao Ming Wikipedia
Houston Rockets Wikipedia

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