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1986年7月19日、午前8時55分。その悲報は、程無く全米を駆け抜ける衝撃へと転嫁しました。

僅か2日前にドラフト1巡目2位指名を受けた若者が一度もユニフォームを身に纏ってNBAのコートに立つ事無くこの世を去るという、アメリカはおろか世界的にも類を見ない悲劇がこの日この時、起きてしまったのです。マイケル・ジョーダンとさえ比肩し得ると思われた才能がプロの舞台でその実力を証明する機会さえ持たずに終わってしまう・・・正に悲劇ではありませんか。その悲劇の主人公を演じてしまった選手こそが、今回取り上げる幻の名フォワード、レン・バイアスです。

バイアスは1963年11月18日、メリーランド州ランドーヴァーに生まれました。子供の頃から背が高く、冷静で物静かで控えめな彼に、当時の彼の友は「フロスティ」というあだ名をつけたのです。このあだ名な家族にまで浸透していたようですね。

そんな「フロスティ」は故郷メリーランドのノースウエスタン高校を卒業するとメリーランド大へ進学するという故郷愛を見せます。やがて、全米が彼に故郷愛以上のものを見出す事になりました。メリーランド一筋のこの選手には目覚ましいばかりのジャンプ能力、当たり負けしないフィジカルの強さ、そしてプレー創造の力が備わっていたのです。2年生時には早くもチームの主軸となったバイアスは、マイケル・ジョーダン在籍時のノースカロライナ大とも対戦しています。



3ポイントを決められるシュートレンジの広さこそ無いものの、バイアスには美しいシュートフォームが備わっていました。決して単なる運動能力だけの選手では無かったのです。それどころか彼はメリーランド大在学中に徐々にFTのを上達させ、4年生時には実に86%超の高確率に達しています。

バイアスのプレーをつぶさに見た訳でも無い私が、彼のプレースタイルを誰に例えるかは難しいですが、敢えて言うならばレブロン・ジェームズが一番近しいように思います。レブロンと違いアシストこそ多くなかったものの、6-8のタッパでペイント内の相手を蹴散らしてダンクやアリウープを見舞う姿は正に今日のレブロンを見るかのように感じますね。



ボストン・セルティクスのフロントはそんなバイアスをマイケル・ジョーダンに最も近い存在と認識していました。この'86年にラリー・バード、マクヘイル、ロバート・パリッシュのBIG3にレジェンドセンターのビル・ウォルトンを加えて優勝の美酒に酔いしれていたセルティクスでしたが、主力陣の高齢化を踏まえたセルティクスは、このチームに更に若いバイアスを加える事で、更に完璧なチームを作り上げようとしていたのです。バイアスならSF・PF両ポジションを埋めて、バードとマクヘイルを休ませる事が出来ます。そして彼らがユニフォームを脱いだ暁には新たなセルティクスのエースとして君臨する・・・これがセルティクスが描いた絵だったのです。そして彼らには、1984年にジェラルド・ヘンダーソン+現金での取引で得ていた2位指名権が手元にありました。いや、正確にはこのバイアスがドラフトに打って出るタイミングを考え、セルティクスは長期的プランでバイアスに狙いをつけていたのです。



http://www.washingtonpost.com/wp-srv/sports/longterm/memories/bias/launch/bias2.htm

かくて、セルティクスはこのドラフト2位指名権を使って、'86年ドラフトにてバイアスを指名しました。この時のバイアスのコメントを以下に抜粋しておきます。

"I don't have a ring yet. But I'd be pleased to wear one."

"I sat right there behind the bench and watched them warm up, and it was a dream. I thought then that could be me one day. It's a dream within a dream. My first dream was just to play in the NBA. To get drafted by the world champions is an extra one."


彼は幸運にも、NBAでもトップを張れそうな程のタレントを持ちながら、いきなりチャンピオンチームに加入できるという強運に恵まれた訳です。既にカリーム・アブドゥル・ジャバーを擁していたレイカーズに加入出来たマジック・ジョンソンもそうでしたが、ルーキーイヤーからバイアスは伝統ある名門球団で優勝争いに絡めるチャンスを掴みました。

"Maryland had a great team, but we were always the underdogs. Now the Celtics are the top dogs, a team that gets to the playoffs every year. I can handle it. I never looked at myself as a star. You all did. As far as not having the ball as much, I haven't even thought about that. I'll worry about it when I get there. I'll say one thing. It will be nice to get to play with a guy over 7 feet tall."


そう、彼はメリーランド大時代には王者にはなれませんでした。それが今度は一転して毎年プレーオフ進出している優勝候補チームです。普通はカレッジのスターは大学で優勝したりして、NBAでは弱小チームに行く訳ですが彼の場合は逆だったんですね。7フッターの選手、即ちパリッシュとプレーするのを楽しみにしていたのもこのインタヴューで分かります。

"They've told me I'll be the sixth man," he said. "They said I'd get plenty of playing time. I'm not worried about that."

バイアスは6thマン起用される事をセルティクス側から明言されていたのです。出場時間も保証されていた事が彼の言葉で分かります。実際、これが実現していたらレイカーズの2PEATは遥かに難易度が上がっていた可能性が極めて大です。むしろセルティクスの連覇の可能性が高かったのではないでしょうか。そしてNBA選手になって最初に何を買うか尋ねられたバイアスは、こう答えたのです。

"A car. A Mercedes."

何とも屈託の無い返答ですよね。夢に溢れた若者らしい、今日のドラフト選手でも答えそうな回答ですよね。バイアスは正にこの瞬間、人生の頂点にいたのです。そして、その喜びのままに彼ら家族は故郷メリーランドへ一旦引き返します。

翌18日、バイアスと彼の父はワシントンD.C.からボストンへ飛び、セルティクスコーチ陣やマネージメントとの契約セレモニー、そして早くもリーボックとの300万ドルの契約を結びました。父は先にワシントンに戻り、息子も夜には戻ってメリーランド大キャンパスの部屋へ戻ります。

http://www.washingtonpost.com/wp-srv/sports/longterm/memories/bias/launch/bias1.htm

バイアスがキャンパスに戻ったのは深夜11時頃。バスケットのチームメイト達、そしてフットボールチームの選手達とカニ料理を食し、2時ごろにはキャンパスを出て1人でドライヴ。3時に寮の部屋に戻りました。彼はこのカニ料理が最後の晩餐であり、このドライヴが人生最後のドライヴになることなど知る由も無かったのです。

そして翌朝、バイアスはチームメイトのテリー・ロングと話している最中に倒れたのです。彼が倒れたと思われる時間は6:25から6:32の間。バイアスの長年の友人、ブライアン・トリブルが911(あっちの119)コールをかけますが、この時既にバイアスは意識を失い、息をしていませんでした。心臓マッサージ、人工呼吸といった処置は全て失敗に終わりました。バイアスの姉妹によるとこの時バイアスは眠っているかのようだったと言います。確かに彼は眠りました。二度と目覚めない眠りに・・・。

救急搬送されても彼はもう意識を取り戻す事も、その肺に自ら息を吹き込む事もありませんでした。薬品も効かず、心臓に急遽取り付けられたペースメーカーも彼の命を救う事は出来なかったのです。そして8:55。医師は彼の魂が最早この世から離れてしまった事を告げたのであります。死因はコカイン使用による心不整脈でした。

この夜、バイアスの乗った車がワシントンD.C.でも有名なドラッグ売買の場、モンタナアヴェニューをクルージングしているのをワシントンD.C.の警察が覆面捜査で記録していました。車が途中止まっていた事、少なくとも2人は乗っていた事、そしてそのナンバープレートまでも、です。これは彼が最初にキャンパスに戻る前の事でした。この時に買ったと思われるコカインをバイアスは深夜ドライヴ後に使ったのであり、そしてそのコカインが彼の心不整脈を誘発したのです。かくて喜びに沸いていたキャンパスは一転して悲しみに沈みました。

彼は別に、ドラッグ常習者だった訳ではありません。何しろ5/27にはセルティクスによる健康診断もパスしており、薬物反応も出ませんでした。メリーランド大による身体検査でも心臓病の兆しは無く、勿論ドラッグについても検査で引っ掛からなかったのです。つまり、彼は初めてドラッグに手を出し、1回目でオーヴァードーズを起こしてしまったという事になります。



4日後、バイアスがプレーしていた場所でもあるメリーランド大のコールフィールドハウスには11,000人もの人々が集まり、バイアスに弔意を示しました。その中にはバイアス指名のため実に3年計画を立てていたというレッド・アワーバックもいたのです。彼は、「ボストンの街がケネディ大統領暗殺以来こんなにショックを受けた事は無かった」と述べました。そしてバイアスは生まれの地、メリーランドにあるリンカーン記念墓地に永眠する事となったのです。彼は結局、その短い生涯のほぼ全てをメリーランドで過ごしたのでした。

バイアスの死後、彼のチームメイトや友達は裁判に巻き込まれます。最終的にはバイアスの親友だったトリブルが麻薬の売人としての罪を認め、10年1ヶ月の懲役を受けます。メリーランド大は17年バスケットチームを率いてきた運動部長、ディック・ダルが職を解かれました。アメリカ議会はアンチドラッグ法、通称「レン・バイアス法」を可決します。

バイアス家の不幸は更に重なり、今度は'95年12月5日にこれまたバスケットボールの才能を持っていた弟、ジェイ・バイラス3世が更に若い20才という年で銃撃で死亡するという悲劇が起きました。彼は同じく非業の死を遂げた兄の隣で今は眠っています。この相次ぐ不幸にあって、バイアス兄弟の母は現在、アンチドラッグのレクチャーを行っています。

バイアスの悲劇はアメリカで相当に大きなインパクトを未だに残しているようで、没後も何度も記事特集が組まれています。ESPN、同じくESPN、更にESPN・・・あれ、ESPNばっかりですね?あ、SLAM誌ワシントンポストにもありました。

そしてつい最近も、ESPNが「WITHOUT BIAS」というドキュメンタリーを制作したばかりです。こちらはとりあえずYoutubeにあったトレイラーと本編未収録シーンを貼っときますので、一度ご覧になってみて下さい。






酒もそう深く飲まずタバコも吸わない私ですが、人がそれを嗜むのを止めるほど狭量ではないつもりです。他人に明らかな迷惑を与えるようなケース(他人に強制的に濃い目の受動喫煙させるとか、飲酒強制とか)でない限りは自己責任って奴ですからね。しかし、それ以上のもの、ドラッグ類の類に手を出せばどうなるか、我々は近年でも田代まさしという実例を見て知っています。あの痩せこけた姿を見てなお薬物に手を出せるか?って話です。大麻については諸説あるのも知っていますが、まあ現状では害の無いドラッグがあるなんて幻想は抱かないのが吉でしょう。少なくとも、好奇心で手を出して良い世界とはとても言えません。

バイアスのような屈強な体を持った人間でさえ、ただ一度の過ちで命を落とす、それがドラッグの真の危険です。1回だけだから安全、とかはありません。禁止されているのにはそれだけの理由があるんです。「ダメ。ゼッタイ。」という何の捻りも無いフレーズは、しかしシンプル故に正しいのですね。

たった一度の薬物のせいで注意一秒怪我一生どころか、その一生すら終わってしまう事があるという事を、バイアスの悲劇は今に語り継いでいます。そうでなくても田代まさしのような廃人人生になってしまう事だってあるんです。皆様が好奇心や一時の快楽に負ける事無く、薬物に縁の無い人生を送って下さる事を願って止みません。

そして最後に、セルティクスについてです。ここまで見てきた通り、セルティクスはドラフト2位で指名した未来の大器を失う事により、バード・マクヘイル・パリッシュの老いたるBIG3体制の維持を余儀無くされます。この悲劇がセルティクスの将来に暗い影を落とした事は言うまでも無い事でした。そして、あまりにも残酷な事にセルティクスの悲劇はこれで終わらなかったのです。

(以下、「栄光無き天才たち」次回へ続く)



※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
http://armchairgm.wikia.comより紹介記事(大学時代のスタッツあり)



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