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http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_basketball_players_who_have_scored_100_points_in_a_single_game#cite_note-21

1試合100得点。ハイスコアゲームが普通だった頃でもなかなか実現出来るものではないこの大記録は、NBAではウィルト・チェンバレンただ一人が持つ記録です。NCAAでも非公式の試合を含め4回しか達成された事がありません。これが高校となると、2011年9月現在で男子高校生19人、女子高生5人が達成しているんですね。しかしながら、一方でNBA以外のカテゴリーでこの記録を達成した選手の殆どが、NBA及びWNBAで名を残すような活躍はしていません。例外はNCAAのポール・アリジン、そして女子高生だったシェリル・ミラーとリサ・レスリーぐらいです。

チェンバレンのNBA記録は'62年、NCAAの記録はいずれも'50年代の達成なのですが、高校ともなるとチーム戦力差が著しいケースがあるからか、2000年代だけでも4人が100点越えを果たしているのです。その中の1人を今回は取り上げましょう。NBAでは花開かなかったスコアリングガード、デジュワン・ワーグナーであります。

デジュワン・マーケット・ワーグナーは1983年2月4日、ニュージャージー州カムデンの生まれです。彼の父は地元カムデン高校を2度の全国制覇、ルイスヴィル大をNCAAトーナメント優勝に導いた後にNBAでも僅か2シーズンのプレーながらレイカーズでリングを獲得した幸運な選手、ミルト・ワーグナーです。因みに'87-'88シーズンにレイカーズでプレーした後に健康の問題で一度NBAを離れた後に、'90-'91シーズンにNBAに舞い戻るという珍しいキャリアの持ち主だったりします。一旦ミルトは6-5のコンボガードでしたが、息子デジュワンも父親の背中を追った訳ですね。

そんな息子デジュワンもまた、父と同じカムデン高校へ進学。そこで彼は父を超えて見せたのです。



高校時代の彼は正にアンストッパブルでした。シニア時代の42.5得点、総得点3,462点はニュージャージー州の高校記録1位。



そして、これが伝説の100点ゲーム。いくら高校といっても100点ゲームがそうそうあるものではない事は上述の通りです。丁度100点ってのがアレな感じがしないでもありませんが、ともあれこの「1試合100点」というインパクトが彼の看板となった事は間違いありません。当然ながら彼はマクドナルドのオール・アメリカンゲームにも招待され、ここでも25点を叩き出したのです。高校時代の彼は正に全米トップクラスの注目を集めるスター選手だったと言えましょう。



http://www.sports-reference.com/cbb/players/w/wagneda02.html

そんなワーグナーが選んだ進路はメンフィス大でした。HOOP誌2011年10月号にて奇しくも「ジョン・カリパリの功罪」という記事が出ていましたが、正にこの時のメンフィス大はカリパリがHCでした。一度はNBAでネッツを指揮していた時代もあった彼は、ワーグナーを勧誘してメンフィスへ導いたのです。彼の采配の元、ワーグナーは21.2得点2.5リバウンド3.6アシストと、スコアラーに特化したスタッツを残します。ただ、FG成功率は.410と高くはありませんでしたが。

ともあれメンフィス・タイガースは27勝9敗のシーズンを過ごし、カンファレンスUSAのナショナルディヴィジョン1位となりました。またNCAAトーナメントには出場出来なかったものの、NIT(ナショナル・インヴィテーション・トーナメント)では見事に優勝を飾り、ワーグナーはトーナメントのMVPに選出されたのです。

http://www.gotigersgo.com/sports/m-baskbl/spec-rel/041702aaa.html

モーリス・ウィリアムズ、T.J.フォード、エメカ・オカフォー、クリス・トーマスと共にスポーティングニュース誌のオールフレッシュマンチームに選出されたワーグナーのNCAAキャリアは、しかし1年で終わりを告げます。ワーグナーは在学1年でNBAドラフトにエントリーしたのです。まあそれ自体は良くある話なんですが、彼の場合その決断を後押ししたのはカリパリでした。しかも奇妙な事に、彼はわざわざワーグナーの奨学金を取り消したのです。つまり、奨学金を取り消す事でワーグナーがNBA入りするよう差し向けたという事になります。何やら強引な手法ですが、まあ一方でカリパリはワーグナーが1巡目指名でNBA入り出来る(=多額の契約金を得られる)事を確信していたとも言えますね。

http://nbadraft.net/nba_draft_history/2002.html

実際、ワーグナーはこの年のドラフトで6位、キャヴスの指名を受けます。カリパリの読みは当たっていた訳です。問題は、その先にありました。ワーグナーのNBAデビューは47試合中24試合に先発して平均出場時間29.5分で13.4得点2.8アシスト。まあまあに見えます?FG成功率.369という数字を知らなければそう判断しても良かったかも知れませんが・・・。しかも膀胱感染症、右膝の半月板損傷とそれに伴う手術が彼の出場機会を減らしてしまっていたのです。また、ややセルフィッシュとされていたプレースタイル故なのか、故障に伴うものなのかは分かりませんが、ディフェンス面では期待出来ないのも事実でした。



2年目はもっと残念な事になりました。44試合中4試合に先発したワーグナーの出番は平均16.1分と更に減少し、6.5得点1.2アシストと完全にチームの主軸から外れます。懸案のFG成功率の低さは3ポイント以外全く改善を見ず、.366と前年並みに。例の右膝手術で開幕から1月2日まで故障者リストに入り続けていたために彼は33試合欠場を余儀無くされた上に、5試合をコーチ判断で欠場したのであります。しかも、このシーズンにはレブロンがキャヴスに加わっており、チームの意識は当然ながらレブロン一色となります。

3年目、ワーグナーは完全に戦力外の扱いとなります。僅か11試合、平均9.3分の出場。そしてFG成功率は.327・・・チームがレブロンフィーヴァーに沸く中、レブロン程では無かったにせよ高校時代にスター選手として鳴らしたワーグナーの心境はいかばかりだったでしょうか。ただ、これには理由があります。ワーグナーは故障のみならず、潰瘍性大腸炎で入院を余儀無くされていたのです。

そしてこのシーズン終了後、キャヴスがチームオプションを行使しなかったためワーグナーはFAとなります。キャヴスに彼を引き留める意図は最早無かったのです。まあ、ワーグナーの症状はそれどころではありませんでした。何しろ薬物療法では効果が無かったのです。ここで手を差し伸べてくれたのは当時ニックスのHCだったラリー・ブラウンです。ブラウンはワーグナーの元にニューヨークの
医学専門家を派遣しただけでなく、ワーグナーの相談にも乗ります。その結果、ワーグナーは2005年の10月25日、全結腸摘出手術を受けました。

そして翌2006年、4月にはワーグナーはトレーニングを開始します。このニュースはフィラデルフィア・デイリー・ニュース、そしてコムキャスト・スポーツネットで取り上げられたのです。

http://sports.espn.go.com/nba/news/story?id=2598975

そして約1年後の2006年9月、ワーグナーは'06-'07シーズン開幕前にウォリアーズと2年契約を結び、遂におよそ2年振りにNBAの舞台に戻って来る事が出来たのです。学生スター選手だったワーグナーのNBA復帰というストーリーはしかし、たった1試合の出場のみでの解雇、そして契約の買取という形で終焉を迎えます。これで、ワーグナーのNBAキャリアは完全に終わってしまったのです。

http://www.euroleague.net/competition/players/showplayer?clubcode=sop&pcode=TGA

ワーグナーはその後、2007年8月にポーランドのProkom Trefl Sopotと契約、ユーロリーグにも姿を見せます。ただ、ここでの彼のスタッツは6試合の出場で8.3得点、そしてFG成功率.298とやはりインパクトのある結果は残せませんでした。彼はこの地でも尻、次いで膝と故障を連続して負ってしまったのです。そして今のところ、これが彼の最後のプロキャリアとなっています。彼はこのシーズンを
最後に、生まれ故郷のカムデンに舞い戻ったのです。

そして今、ワーグナーはもう一度NBAに復帰する夢を描いています。彼には今や息子、デジュワン.Jrがいるのです。今、ワーグナーはこう語ります。

“He's never seen me in the NBA. So that's one thing I want to do ― get back to the NBA so he can watch me. Just us being in the house, him watching the games, I think it would be good to see his dad out there.”

息子はNBAの自分を見た事が無い、だから僕がやりたいのはNBAに戻って彼が僕を見られるようにすることだ・・・うむ、その気持ちは凄く分かりますね。一方でそれが無理となれば、学位を揃えてコーチングの道を歩む事も考えているようです。

また、キャリアを全う出来なかった選手には良くあることですが、ワーグナーもNBAの試合を見るのは苦痛だと言います。TVで試合を見ると動きを分析し、しばらくするとチャンネルを変えてしまう、そんな日々だそうです。その気持ちも痛い程伝わります・・・

果たしてワーグナーが愛する息子にもう一度NBAのコートに立つ勇姿を見せられるかと言われれば、正直可能性は相当低いと言わざるを得ません。NBA行きを目指してマイナーリーグでプレーしただけでも彼の体が悲鳴を上げてしまいそうな気がしてならない、というのが正直なところです。

6-2という背の低さでありながら、彼は決してポイント・ガードではありませんでした。NBAでは成功例の少ない小兵SGでありながら長距離シュートも良くなかった彼が、仮に健康を保てていたとしてもどれほどNBAでやれていたのかは疑問の残るところでしょう。

それでも、息子の為に三回目の復帰があるかどうかは注目する価値はあるんじゃないかと思います。メンフィス大学の後輩にあたるデリック・ローズやタイリーク・エヴァンスが新人王に輝き、リーグを席巻する今、果たして奇跡は起こるか否か。かつての100点プレーヤーに三度目の正直があるか否か、今は続報を待ちましょう。

※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
Hoopshypeよりワーグナー評
Yahoo!「BALL DON'T LIE」より「Catching up with Dajuan Wagner」
NJ.comより「Once New Jersey's brightest basketball star, Dajuan Wagner now prefers obscurity」
メンフィス大学2001年度記事アーカイヴ一覧
NBA.comよりバイオ(インターネットアーカイヴ)
NBA.comよりスタッツ(インターネットアーカイヴ)
バスケットボールリファレンス.comよりキャリアスタッツ



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