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http://espn.go.com/los-angeles/ncb/story/_/id/7252549/walt-hazzard-point-guard-ucla-first-title-team-dies-69
http://www.uclabruins.com/sports/m-baskbl/spec-rel/111811aaa.html

元UCLAのスター選手で、NBAではレイカーズなどでプレーしたウォルト・ハザードが亡くなりました。

・・・で、誰でしょう?

うーむ、先日のエド・マコーリーは存じ上げていたんですが、この方については正直全く知りませんでした。つー事で、浅学非才な己を恥じつつ、勉強がてら調べてみましょう。

ウォルター・ラファエル・ハザードJr.は太平洋戦争でまだ日本が攻勢に出ていた1942年4月15日、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアに生まれました。地元フィラデルフィアのオーヴァーブルック高校にて3年の間にチームに89勝3敗、2回のフィラデルフィアでの王座をもたらしたハザードは1960年のフィラデルフィア・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選出されます。しかもハザードは陸上部と野球部のキャプテンを兼任し、走り高飛びでこれまた市でのタイトルを獲得。更には生徒会長までをも務め上げたのです。スーパーマン過ぎるだろJK。

ハザードはサンタモニカ大へ一旦進学して1シーズンを過ごすと転校します。そこで向かった先こそが、彼の名声を決定付けたUCLAだったのです。既に伝説の名将となるジョン・ウッデンがこの大学のHCに就任していました。

身長6-2のハザードは加入したばかりの'61-'62シーズンから13.2得点をマークし、UCLAはチーム史上初のファイナル4入りを果たします。後に殿堂入り選手となるゲイル・グッドリッチが加わってバックコートコンビを形成した'62-'63シーズンこそ16.3得点でチームをリードしながらスウィート16で終わったものの、'63-'64シーズンにUCLAは飛躍しました。ハザードが18.6得点を挙げてチームを牽引する中でUCLAはシーズン30勝無敗、そしてトーナメント初制覇を達成。NCAA屈指の名門校UCLAと名将ジョン・ウッデンの栄光の歴史は、ハザードとグッドリッチにより初の輝きを得たと言えます。そしてこの優勝とファイナル4最優秀選手、AP選出のオールアメリカン1stチーム入り(因みに前年も2ndチーム入り)といった数々の実績を引っ提げ、ハザードはNBAへと駒を進めたのです。

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またNBA入りの前に、ハザードはアメリカ代表としてオリンピックにも出場を果たしています。その時のオリンピック会場は東京でした。決勝戦は8連勝同士での米ソ対決を73-59で制したアメリカに凱歌が上がったのです。・・・結構余裕の無い戦いしてますね、この頃から。

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http://nbadraft.net/nba_draft_history/1969.html#1964

さて、ドラフトです。1964年ドラフトにおいて、ハザードはテリトリアルピックを適用したレイカーズにより1巡目5位指名を受け、入団を果たします。はて、ハザードってフィラデルフィア出身だったと思うんですがテリトリアルピックはUCLAだからロサンゼルスなん?と思ってWikipedia読んでみたら、なるほどテリトリアルピックって出身地よりカレッジの問題なんですね。勉強になりました。

しかしながら、レイカーズでのハザードはあんまりぱっとしませんでした。入団して3シーズン、それなりに出場時間はありましたが2桁得点はUCLAのコンビだったグッドリッチがこれまたテリトリアルピックで加わった2年目のみ(なお、グッドリッチの代を最後にテリトリアルピックは廃止となりました)。3年目には再び1桁得点に戻ってしまったハザードにレイカーズも諦めがついたのか、'67年オフのエクスパンションドラフトでレイカーズはハザードのピックをガードしなかったのです。かくて、ハザードはエクスパンション・ドラフトにて新球団への移籍を果たします。向かった先は、シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)でした。

このくだりに関してはNBAちゃんぷる〜のソニックスヒストリーにも詳しいところです。新球団のソニックスで一挙に出場時間を得たハザードは平均24.0得点4.2リバウンド6.2アシストをマークし、なんと球団史上初のオールスター選出を果たしてしまうのです。チーム成績自体は言うまでも無くエクスパンションチームのお約束で23勝に留まりますが、少なくともハザード個人にとってはやっとNBAでの成功を得たのです。

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その当時の映像が奇跡的にYoutubeにアップされていました。ロックアウトでNBA欠乏症な貴方に贈ります。これ、完全に初見ですがかなり貴重な映像じゃないでしょうか。おお、ウォリアーズのHCはビル・シャーマンかよ!



で、これまた新設球団にありがちな事ですが、ソニックスは2年目にエクスパンションドラフトで得た成果を元手に再びトレードに動きます。即ち、オールスターに選出されて株が上がったハザードをトレードの材料としたのです。トレード内容は以下の如しでした。

ホークス←ハザード
ソニックス←レニー・ウィルキンス


このトレード、ソニックスにとっては大当たりでした。どう大当たりになっていくのかはこれまたNBAちゃんぷる〜さんのソニックスストーリーをお読み下さいね。で、ホークスは失敗した訳です。先日取り上げたマコーリーの時もそうでしたが、ホークスはこういうキーとなるトレードで得てして負け犬役を演じる事が多いですね・・・

ウィルキンスがソニックスで成功したのに対し、ハザードはホークスでやや失速してしまったのです。ホークスでの3シーズン、ハザードは毎シーズン30分以上の出場時間を得ながら11.2得点5.9アシスト→15.3得点6.8アシスト→16.5得点6.3アシストとそこそこの成績ではありましたが、オールスター級とは言い難いところに落ち着いてしまったのです。この後はバッファロー・ブレーヴス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)へトレードされた後、2シーズン目半ばで解雇の後にウォリアーズとFA契約。更に'73年に古巣ソニックスへとトレードされ、そのシーズンを最後にキャリアを終える事となったのでした。10シーズンのキャリアで6度に渡ってアシスト部門でTOP10入りを果たしたのですから、NBA選手としても決して悪い成績では無かったと思います。

なお、彼はNBAのキャリア中にイスラム教へ改宗、名前をハザードからマフディー・アブドゥル=ラーマンへと改名しました。が、その改名の世間受けが宜しくなく、NBAキャリアに響くと感じたハザードは結局、イスラム教徒であり続けたものの、プロとしてはハザードの名前を使い続けたのです。

NBAキャリア終了後、彼はコーチングを学びます。いろんなリーグでコーチの経験を重ねた後、ハザードは'80年にはコンプトン大学のHCに就任。2シーズンの間に彼は53勝9敗とカリフォルニア州の短大チャンピオンという成果を残します。その後はオレンジ郡のチャップマン大学へ移り、ここでも2年で43勝16敗、2年ともNCAAのディヴィジョンIIプレーオフへ出場、うち1度は西地域の決勝戦まで駒を進めたのです。

かくて実績を重ねたハザードは'84年、母校UCLAに凱旋。チーム史上9代目のHCに就任したのです。その頃に作られたであろうバスケットボールのインストラクション映像がありましたので、お時間ある方はご覧になってみて下さい。UCLA繋がりでビル・ウォルトンも出てくるこのヴィデオ、合計80分ありますからかなり長いですよ〜。



結論から言ってしまえば、ハザード時代にUCLAがウッデン時代の栄光を取り戻す事は叶いませんでした。4シーズンの間にNITのチャンピオン1回、NCAAトーナメントのベスト32、それが彼の成果です。ま、NITトーナメントは一応UCLA史上初の制覇ではあったのですが。

この後はハザードはレイカーズのスカウト、スペシャルコンサルタントとして働きながら若い黒人学生の支援を行ったり、中学生の為のNPOを立ち上げるなど若者達の為に働き続けたのです。まったくあっちのアスリートはこういう事をきっちりおやりになるところが素晴らしいですな。

'84年にはハザードはUCLAのアスリート殿堂入りを果たしました。'96年には背番号42がUCLAの永久欠番となります。また'04年にはUCLAの所属するパック10の殿堂入りをも果たしたのです。

ハザードの妻は'64年、NCAAタイトルを勝ち取ったシーズンにUCLAのソングガールだった方でした。ハザードは彼女と4人の息子に恵まれた家庭を築き上げたのです。そんな家族からの、今回の訃報を受けてのメッセージは以下の通りです。

"Walt Hazzard aka Mahdi Abdul Rahman passed away this afternoon at the Ronald Reagan UCLA Medical Center surrounded by family and friends. Hazzard had been recuperating for a long period due to complications following heart surgery."

・・・いやー、きっと私が知らないだけでいろいろ成果のあるヒトなんだろうと思いましたがやっぱり一角の人物でしたね。まだまだNBAには私の知らない偉人達が溢れ返ってますな。私の知識量など所詮まだまだヒヨッ子である事を再確認しつつ、今は故人のご冥福をお祈りさせて頂きます。合掌。

P.S.

以下、小林師範より直々に頂きました追加情報です。

ハザード選手は東京オリンピックでの来日をきっかけに日本とも縁深くなった方だそうで、ピート・ニューウェルさんと共に日本の若手選手をアメリカのキャンプに呼んでくれたり、ビッグマンにトレーニングする手助けをしてくれたりしました。東洋の巨人、岡山恭崇さんがポートランド大学に留学できたのもハザードさんの人脈があって実現したのだとか。

彼のそこそこにイスラム感がある暮らし方(酒は飲まないがタバコは吸う)はアメリカに馴染む改宗徒としてはいい線行っていた様に思います、とも師範は仰ってました。

※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
ニューヨークタイムス紙より訃報
バスケットボールリファレンス.comよりキャリアスタッツ



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