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全米、そして全世界からタレントが集まるNBAの世界において、そこに留まり続けるだけでも並大抵のことではありません。NBA選手の平均在籍年数は確か4年ぐらいじゃなかったでしょうか?我々は10年は軽く在籍しているスター選手ばかり目にしているので気がつきませんが、殆どの選手はNBAを離れて他のリーグへと向かうか、人知れず引退するのが現実なのです。ま、競争の世界では芸能界から一般社会まで、意外とそんなもんなんですよね。

そんな激しい競争社会のNBAにあって、クリッパーズというチームだけは長年、なんだか悪い意味で別世界でした。なんつーかですね、ここだけ競争社会じゃ無い的な。こう言うと何だか平和そうで良さげですが、要するに勝負の世界にあってここだけ蚊帳の外だったんですよ。何しろオーナーが稀代のドケチでまともな補強もしない、有望そうな選手が現れても再契約でサラリーが高騰するのが嫌なのでFAになったらあっさり放出してしまう、・・・なかなかヒドイもんでした。しまいにはHCをオフに解任した後、すぐに新HCを決めるとサラリーの支払いが発生するからとわざと後任の人選を遅らせたなんて事が本当にあったんです。

なんでそんな有様だったかと言われれば、それは弱くてもクリッパーズがロサンゼルスのチームだから儲かってたが故です。補強せずともプレーオフに出られずともクリッパーズは利益を出す球団でした。同じ儲かるなら選手のサラリーとか減らしとけってなもんです。道理でレイカーズより安いチケットで球団経営を回せる訳ですね。そんなチーム状況ですからクリッパーズが優勝争いに絡むことなど長年まずありませんでした。ダニー・フェリーが入団を嫌がった気持ち、その意味では分からないでも無いんですよね。

'90sからのNBAファンにとってはそういうクリッパーズこそが見慣れたものでした。ラリー・ブラウン指揮下でロン・ハーパーが頑張った頃やブランド、オドム、ダリウス・マイルズなどの若手大集合で期待された時代の方が極めてレアだったんです。ブランド時代は最終的にカンファレンスセミファイナルまで行きましたけどね。そんな調子ですから、あの頃のクリッパーズを知る世代としては、クリッパーズが遂に優勝を狙えそうな昨今の状況が何だか不思議でしょうがありません。

思えばクリッパーズの人気球団だから補強しなくても儲かるしええやん、的なスタンスって駄目トラ時代の阪神タイガースそのものです。昔々、マジック時代のT-MACに取材に行った北舘洋一郎氏がアディダスにシグニチャーモデルとして色々作ってもらっていた当時、彼専用に用意されたTとMを組み合わせたロゴを見て「阪神タイガースに似ている」と言い、T-MACに向かって阪神タイガースとは日本球界のクリッパーズみたいなものであると説明してT-MACを凹ませていたのを思い出しました。北舘さん、よくよく思えば実に的確な喩えをしてたんだなぁと今頃になって思います。

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そんな残念なクリッパーズ時代を象徴するキャラ立ちセンターを今回はご紹介しましょう。全く何物にもなれなかったけど妙に印象に残る超大型センター、キース・クロスです。

キース・ミッチェル・クロスJr.は1976年4月3日、コネチカット州ハートフォード出身の6人兄弟の長男にあたります。生後6年間をハートフォードで過ごした彼はその後母親と共にロサンゼルス郊外へと引っ越しました。高校時代はカリフォルニア州のボールドウィンパークにあるシエラ・ヴィスタ高校に在籍し、そこで早くからコネチカット大、ユタ大、メリーランド大、アリゾナ大、ロングビーチ州立大などのリクルート活動を受けていました。しかしながら高校のコーチはクロスをチームから外し、上記の大学はクロスの勧誘から手を引きます。それでもクロスへの勧誘を止めなかったのがセントラル・コネチカット州立大でした。元々生まれ故郷で父親、祖父母に叔父叔母が揃っていたコネチカットに戻りたかったクロスは渡りに舟とばかり進学し、そこで2年を過ごした事です。

http://www.sports-reference.com/cbb/players/keith-closs-1.html


クロスの特徴はとにかく圧倒的に高い上背。なにしろ7-3ですよ7-3、220cmです。そしてNCAA界において、彼はとてつもない記録を打ち立てました。クロスの1年目('94-'95)のスタッツはFG成功率.553で10.2得点7.4リバウンド、2年目('95-'96)はFG成功率.519で13.5得点9.3リバウンド。まあ普通にNCAAレヴェルではグッドセンターに見えますね。しかし、クロスの真価が発揮されたのはやはり、その背丈を生かしたブロックショットでした。1年目はNCAA新人記録となる5.3ブロック、2年目はなんと6.36ブロック!このデヴィッド・ロビンソンを越えた単年記録は1試合10回以上のブロックという試合を5回もマークしての成果でした。そしてキャリア平均5.87ブロックというのはNCAAディヴィジョン1において、2012年1月現在でも未だに1位です。

カレッジにおけるクロスの評価は悪いものではありませんでした。運動能力があり、ダブルチームが来ればパスアウトも出来、彼のアイドルたるカリーム・アブドゥル・ジャバーに倣ったベイビーフックショットを放っていたのです。実際NBAのスカウトがクロスをチェックしに来ていたのも事実ですし、クロスはオールミッドコンチネントカンファレンス(MCC)1stチーム選出を果たしてもいます。勿論ブロックショット数は母校でも歴代最高本数です。

で、在学2年の後に彼は'97ドラフトにアーリーエントリーした訳です。ただ、ここでひとつ謎なのは彼はNCAAでは'95-'96シーズンまでしかデータが残っていないのにドラフトは'97年にエントリーしている事。この1年は何のブランクだったのでしょうか?

クロスは'96年時点で大学を離れNBAを目指しましたがNBAスカウト達は結局彼をムーヴの少ない、大舞台での経験が少ないひょろ長選手としか看做しませんでした。そこでNBAから声の掛からなかったクロスはアトランティック・バスケットボール・アソシエーションなるリーグのノーウィッチ・ネプチューンズというチームにまず入団し、そこで12試合に出場します。彼のスタッツは12.3得点6.3リバウンド5.0ブロックですから、やはりブロックだけ数字が飛び抜けてますね。

'97年にはCBAのヤキマ・サン・キングスなる球団にも在籍した彼は今度こそアーリーエントリー(てか大学を離れてますが)。結局クロスはどこからも指名を受けなかったものの、今度はNBAを目指すべくFILA開催のサマーリーグへ。ここでレイカーズのルーキーやFA選手に混じってプレーしたクロスは13.3得点5.0ブロックをマークして一躍注目を集めます。そしてレイカーズと違う方のロサンゼルスのチームからクロスに声が掛かりました。それがクリッパーズだったという訳です。クリッパーズはFAだったマリク・シーリーをそのまま流出させ、空いたロスター枠でまだ未知数のクロスと'97年8月8日、なんと5年850万ドルの長期契約を締結。この契約についてエルジン・ベイラーGM(当時)は「あの子のポテンシャルを見れば、大したリスクじゃない」と言い放ってます。かくてクロスはドラフト指名を受けないままにNBA入りを果たしたのです。背番号33は憧れのジャバーに因んだものでありました。


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かくして遂にNBAの舞台に登場したクロスでしたが、1年目の'97-'98シーズンには58試合中1試合に先発、平均12.8分出場してFG成功率.449で4.0得点2.9リバウンド、そして1.4ブロックを記録しました。36分出場に換算すれば11.3得点8.2リバウンド3.9ブロックですからなかなか良さげに見えます。実際スパーズ相手に6ブロックをお見舞いしたり、レイカーズ含め3チームに5ブロックの試合を披露したりと控えセンターながらなかなか大暴れです。



御馴染み短縮シーズンとなった2年目、'98-'99シーズンにはドラフト1位指名で入団したセンター、オロワカンディが加入して主に先発し、控えセンター役もロレンゼン・ライトに持って行かれた上にクロス自身も膝を故障した結果として出番は50試合中僅か15試合に留まります。出場時間は平均5.8分にダウン、FG成功率.522で2.1得点1.7リバウンド0.6ブロックという完全なベンチウォーマー状態に。そして3年目、'99-'00シーズンにはライトがいなくなったためか再び57試合に出場して6試合に先発、平均14.4分出場してFG成功率.487で4.2得点3.1リバウンド1.3ブロックという成績を挙げます。

が、クロスのNBAキャリアはこのシーズンを持って唐突に終わりました。この後彼はNBAで1試合もプレーする事無く、5年契約の満了を待たずして'01年5月4日にクリッパーズを解雇されたのです。しかし不思議なのはこのタイムラグです。'99-'00シーズン終了後'01年5月に解雇ということは、クロスは'00-'01シーズン中に解雇されたという事です。またしても起こったこの時間差はなぜ生じたのでしょうか?


http://sportsillustrated.cnn.com/2011/writers/jon_wertheim/08/05/keith.closs/index.html#ixzz1UBdJKcg6


実はこのクロス、なんと小学生時代からのアルコール中毒だったのです。家族もまたアル中揃いという酷い環境で育った彼は中学、高校と更にアル中が進みました。上記の高校時代にチームから外されたという話も、このアル中が原因と見て間違いないでしょう。何しろ大学時代も入学1週目に早くも飲み過ぎて入る家を間違え、大学からバスケットボールのチームで出場停止処分を受けたぐらいです。しかしながら彼はアルコール中毒を上手く隠し、上記のような成績をNCAAで上げていたという訳です。

実は'97ドラフトの際のワークアウトでクロスはレイカーズのジェリー・ウエストミッチ・カプチャックからアルコール中毒の問題を抱えてるかと尋ねられたそうです。この時の回答についてクロスはこう言ってます。

"I told them 'no,' and to me at the time, that was the truth. I go out and have a good time. That's all. It was obvious to everyone but me."

・・・なんか人を食ったような発言だと思いません?やっぱなんかズレてますよこの人。レイカーズが結局手を出さなかったのは賢明な判断だったのではないかと思います。実際クロスはすぐコーチと喧嘩し、短気を起こして何度も出場停止処分を受けていました。クロスはその頃の事をこう語ってます。

"People thought of me as uncoachable with a bad attitude. That was the drinking."


クロスは態度が悪くてコーチが出来ないと人々は思ったけど、本当はそれはアルコール中毒に起因するものだった訳ですね。こんな有様だったクロスは'98年のロックアウト中、2度DUI(飲酒運転再販防止プログラム)を受け、NBA本部に直接助けを求めます。NBA側はジョージア州のリハビリクリニックへクロスを送りましたが、効果はありませんでした。



そして2000年、クロスはクラブの駐車場で酔ってトラブルに巻き込まれます。見ての通り群集にボコボコにされるんですが、クロスが言うには怪我はしていないそうです。実際彼は翌日のブレーザーズ戦に普通に登場していました。クロスに言わせればNBAにはアルコール中毒の選手など普通に多くいて、それを上手く隠している選手もいる、大物選手もいてチームは彼らを大目にみているんだ、との事らしいです。そしてクロス自身は残念ながら大目に見てもらえなかったという事ですね。クリッパーズはクロスに見切りをつけ、彼をカットしたのです。

かくてNBAから去ったクロスはその後、マイナーリーグを彷徨う事となります。まずは2001年USBLのペンシルヴァニア・ヴァレードーグスで5.7得点4.7リバウンドをマークし、次に'01-'02年にかけてハーレム・グローブトロッターズに在籍します。ちょっと間を空けて次は'03年、USBLのペンシルヴァニア・ヴァレードーグスへ舞い戻って今度は平均4.3得点3.5リバウンド2.2ブロックを24試合で記録。お次は'04-'05シーズン、ABAのデトロイト
・モータウン・ジャマーズへ。更にはCBAでゲイリー・スティールヘッズ、そしてロックフォード・ライトニングにも籍を置いたのです。

まだまだ続きます。'05年、IBLのデトロイト・プロス、'05-'06シーズンはABAのソーカル(南カリフォルニア)・レジェンズとオレンジ・カウンティ・バズ、'06-'07シーズンはCBAのビュート・デアデビルズ、そしてABAのバッファロー・シルヴァーバックスに在籍。シルヴァーバックスでは6.3得点6.0リバウンド3.3ブロックのアヴェレージを残しました。

http://www.nba.com/dleague/tulsa/Routies_Rowdies-272880-894.html

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そして'07-'08シーズンにはNBADLに登場してタルサ・66ersに加入。彼はここで、NBADL記録となる1シーズン133ブロックという記録を打ち立てたのです。本当にブロックだけは凄まじいですな。・・・今にして思えば、この時がクロスのNBA復帰ラストチャンスだったのかも知れません。その後'08-'09シーズンは中国CBAへ渡ってユンナン(雲南)ブルズで16.1得点11.9リバウンド、そして5.9ブロックというスーパーセンターみたいなスタッツを残しました。

http://germanvillagemedia.blogspot.com/2006/12/meeting-keith-closs-crew-production.html

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何が凄いかって、この間殆どずっとクロスはアルコール中毒のまんまだったって事です。そんな彼がようやく変わったのは2007年、30才を迎えた時でした。長年の過剰なアルコール摂取が遂に祟り、クロスはすい臓炎となって30ポンドも体重を減らしたのです。彼の身長の高さを考えれば200ポンドを下回る体重は明らかに痩せ過ぎていました。生死の境を彷徨ったクロスは遂にアルコール中毒の治療に踏み切ったのです。2011年8月のスポーツイラストレイテッド誌インタヴュー時点で酒を断ってまもなく4年と書いてありますので、恐らくは現時点でも断酒には成功していると思われます。なるほど、クロスがNBADLでブロック記録を打ち立てた時期とこの断酒開始の時期は確かに一致しますね。この動画はそれぐらいの時期のクロスです。JBL Pro-am leagueなるところでのプレーのようですね。



こちらも同じく2007年、ストリートバスケに興じるクロスです。



クロスも今や30才半ばを過ぎ、NBA復帰は現実的で無いことを理解しています。その後はWCBL(ウエストコーストバスケットボールリーグ)のチームでプレーしていたようですが、このリーグが現在どうなっているかはっきりしません。ただ、クロスが現在プレーしているのはどうやらABAのロサンゼルス・スラムであるようです。

http://losangelesslam.ning.com/

SLAMAVChristianFlierupdated


http://losangelesslam.ning.com/page/slam-players-1

このチーム、メンバーがやけに面白いんですよ。ABAって本来マイナーリーグのひとつで若手中心だと思うんですけど、この球団だけは趣旨が違うようでラモンド・マレー(クリッパーズでクロスとチームメイト)、マイク・ペンパシー、トニー・ファーマー、ジェフ・トレパニア、ホアキン・ホーキンス、ショーン・ルックスといったtkさん級のマニアでないとなかなか名前と顔が繋がらないような元NBA選手がゴロゴロいて、更にそこへAND1などで御馴染みのボーン・コレクターことラリー・ウィリアムズ、そしてG-unitのメンバーとして知られる大物ラッパー、The Gameまでが在籍しているのです。つーかこのチームのキャプテンはThe Gameだそうで彼はこのチームでもう4年もやってます。NBA選手でラッパーデビューしたシャックやコービーみたいな人間がいるように、ラッパーでプロバスケを目指したヒトもいるって事ですかね。確か真剣にNBA入りを目指したパーシー・“マスターP”・ミラーみたいなラッパーもいましたし。

そんな中にクロスも混じってプレーしているという訳です。そんなクロスの2012年1月8日アップという最新動画をどうぞ。残念ながらプレー中ではありませんが。



クラブの駐車場で暴れてた頃を思えば随分落ち着いたもんですね。この分だとアル中再発の心配も無さそうでしょうか。奥さんも息子もいて今でもロサンゼルスに居を構えているクロスの人生が、今度こそアルコールによって崩壊する事の無いよう願っております。

※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
nydailynews.comより「In A Closs By Himself Cent. Conn. Center Is Sultan Of Swat」(February 04, 1996)
sportsillustrated.cnn.comより「Who is This Guy? Keith Closs」(April 1, 1998)
sportsillustrated.cnn.comより「Closs gets his life in order after drinking sabotaged NBA career」(August 5, 2011)
sports.yahoo.comより「Keith Closs comes clean on his infamous viral beatdown, and lost NBA career」(August 5,2011)
tulsaworld.comより「The long road back」(2/12/2008)
slamonline.comより「Links: They Call Him Closs」(October 15th, 2008)
Play2Win Basketballよりプロフィール
NBA.comよりスタッツ
NBA.comよりNBADL時代バイオ
NBA.comよりキャリア概略(PDF注意)
draftexpress.comよりNBA/NBADLスタッツ
thedraftreview.comよりカレッジ時代スタッツ
バスケットボールリファレンス.comよりキャリアスタッツ
shamsports.comよりプロフィール等
The Unofficial Keith Closs Fan Page
ひばち(vanXLさん)より「Keith Closs」




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