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人生それなりに過ごしていれば、訃報というのは突然飛び込んで来るものだというのは経験で覚えて来るものです。新藤兼人監督尾崎紀世彦さんであれば、失礼ながら心の準備は出来ていました。新藤監督は御年齢100才でしたし、尾崎さんにしても失踪報道の後に入院しているという報道が続いていましたからね。





http://www.shreveporttimes.com/article/20120601/NEWS01/120601001/Former-NBA-player-dies-parents-Mansfield-home

http://espn.go.com/chicago/nba/story/_/id/7996539/former-notre-dame-fighting-irish-chicago-bulls-player-orlando-woolridge-dead-52

しかし、本当に突然訃報というものは飛び込んで来るものです。特に今回は'80年代のNBAファンなら、そして漫画「NBA STORY」を読んだ事のある人間ならば「え、もう?」と驚かずにはいられない方でありました。ただ、よくよく調べてみると、確かに訃報には早過ぎる年齢ではありましたが、実際にはそうでもありませんでした。彼、オーランド・ウーリッジはこの1年心臓の状況が悪く、既に2回も発作を起こしていたのです。そして現地5/31、両親の家で生涯を閉じたのであります。

オーランド・ヴァーダナ・ウーリッジは1959年12月16日、ルイジアナ州バーニス生まれです。彼が始めて組織的なバスケットボールを学んだのはなんとノートルダム大が始めての事だったのですが、'78年には早くもビル・レインビアと共にNCAAトーナメントでファイナル4へ進出。更には'80年・'81年と2年連続でNCAAへ母校が上がってくる原動力となりました。その'81年にはラルフ・サンプソンを擁するヴァージニア大の連勝記録を28でストップするクラッチショットを沈めてさえいるのです。かくしてウーリッジは4年生にしてオールアメリカン2ndチーム選出の栄誉に与りました。



この動画を見てみると、ジョン・パクソンもウーリッジのチームメイトだったのが分かりますね。クラインという名前も目に入りましたが、さてはジョー・クラインでしょうか?ともあれ、4年生時にはFG成功率.650、14.4得点6.0リバウンドという実績を出したウーリッジは'81年のNBAドラフトにエントリーしました。

http://nbadraft.net/nba_draft_history/1989.html#1981

そしてウーリッジはそのオフェンス力を評価され、6位でブルズの指名を受けたのです。ブルズで2年目には早くもFG成功率.580、16.5得点という成績を挙げます。更にウーリッジは平均得点を19.3得点、22.9得点とアップしていきました。問題はその22.9得点を挙げたウーリッジの4年目に、彼以上の点取り屋が、いや史上最高の点取り屋がやって来た事でした。

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※画像引用元

漫画「NBA Story」を読んだ事のある方であれば、ここからのくだりは良くご存知でしょう。映画「ゴーストバスターズ」に因んだ「ネットバスターズ」のキャッチコピーも空しく両雄は並び立たず、スコアリングマシーンコンビは僅か2シーズンしかブルズで共存出来ませんでした。



ま、ウーリッジのスタッツを大学時代から見ていれば分かりますが、彼はアシストが非常に少ないフィニッシャーです。要はフィニッシャーが2人いてもしょうがなかった訳ですね。それこそレブロンとウェイドのように互いにパスもまわせれば話は違ったのでしょうが・・・。アイヴァーソンとスタックハウスみたいなもんでしょうか?



ともあれその2シーズンの間に、ウーリッジはNBA初のダンクコンテストにも登場しています。ジュリアス・アーヴィングをはじめとするダンカーたちが早くも揃った1回目、'84年にはなんとレッグスルーダンクを決めているのです。そう、あまり知られてませんがダンクコンテストでのレッグスルー、元祖は彼なんですよ。しかもこれ、地味に体の回りでボールを1回転させてからのレッグスルーなんですね。そして翌'95年にもチームメイトのジョーダンと共にコンテストに登場しています。

しかし、ウーリッジのブルズでの日々は終わりました。より若く爆発力も上回るジョーダンをブルズは取って、'86年10月2日にウーリッジをFA移籍でネッツへ放出したのです。見返りにブルズは'88年2巡目指名権、'89年の1・2巡目指名権を獲得しました。その時にウーリッジがジョーダンにアーニー・バンクス症候群について話したかどうかは定かではありませんが、その後ブルズはジョーダンに取ってより相応しいSFの相棒、スコッティ・ピペンを得て黄金時代を築き上げていくのです。



一方のウーリッジはネッツ加入後2シーズン目に薬物乱用で出場停止処分を受けました。そしてその停止処分空けに、ショータイム時代のレイカーズにFA移籍で加入します。なるほど、マジック・ジョンソンという稀代のアシストメーカーがいるこのチームにウーリッジはうってつけの人材でした。ジョーダンの大学時代の先輩、ジェームズ・ウォージーがいるこのチームでの2年間、ウーリッジが先発する事は2試合しかありませんでしたが、概ね期待されたとおりの成績は残せたのではないかと思います。ただウーリッジ個人にとっては残念な事に、'89年はレイカーズはファイナルでピストンズに敗れてしまいました。'90年もカンファレンスセミファイナルでサンズの前に屈したのを最後に、ウーリッジはレイカーズをトレードで離れ、ナゲッツへと去ったのです。



その後もウーリッジは転戦を続けます。'90-'91シーズンにはナゲッツでキャリアハイの25.1得点をマークして得点力健在を見せ付けました。



'91-'92シーズンにはファイナルで敗れた相手、ピストンズへトレード移籍。既にピストンズもバッドボーイズによる連覇は終わっていましたがここでも先発選手として活躍を続けました。が、翌'92-'93シーズン半ばにバックスへトレードされます。すっかりジャーニーマン化してきましたね。



そして'93-'94シーズン、FA移籍したシクサーズで12.7得点のアヴェレージを残した後にウーリッジはNBAを離れたのです。



ウーリッジが向かった先はユーロ、イタリアでした。'94-'95シーズンにはマイク・ダントニ率いるベネトン・トレヴィソでユーロ杯を制し、翌'95-'96シーズンにはバクラー・ボローニャでイタリアン・スーパーカップを制したのです。このイタリアでの2シーズンを持って、今度こそウーリッジは現役を離れたのでありました。

その後ウーリッジはコーチ業に転職します。'98・'99年と続けてWNBAのロサンゼルス・スパークスを率いたのが最も有名ですが、'08〜'09年の間にはABAのアリゾナ・ライノスの唯一のシーズンでHCとなった事もありました。

http://espn.go.com/nba/story/_/id/7631465/former-chicago-bull-orlando-woolridge-arrested-released-bond

ただ、今年の2月にはアルミの鋼材を盗んで逮捕されていたなんてニュースもありました。今年の2月という事は既に心臓発作の症状に苦しんでいたはずですから、もしかすると治療費の捻出に苦労していたのかも、と思います。心臓疾患のため仕事も出来なかったそうですからね・・・。そんなウーリッジが生前母親に語ったお言葉が泣かせます。

“Mom, I thought I'd live at least 'til 55.”

「母さん、僕は少なくとも55才までは生きられると思っていたよ」・・・っかつてアリーナを沸かせたトップアスリートの生涯としては、些か寂しいものだったのではないかと思ってしまいます。

「NBA Story」だけ読んでいるとどうしてもジョーダンにとっての意地悪な先輩みたいなイメージがありますが、彼を知る者は必ずしもそうは言いません。むしろウーリッジを良い人であった、と語るのです。ただ、ノートルダム大で、またブルズでチームメイトだったジョン・パクソンはこう語ります。

"Obviously, he was very, very talented. He had strength and athleticism as a player. When we played together at Notre Dame, with his athleticism, as a point guard I always felt I could throw the ball anywhere near the rim and he was able to catch it and do something with it."

とても才能があった、力と運動能力があってリムの近くにボールを投げれば彼がキャッチ出来て何かやってくれるといつも感じていた、ってな事を言ってますね。更にパクソンは続けます。

"It's just a sad story because at his core, Orlando was a good guy who liked to laugh and have fun, but everyone knows the demons he battled throughout his life. We're all human beings, all have weaknesses but he still had a very, very good career. He was a very talented guy."

笑い楽しむ事が好きな良い人間だったが、誰もが彼が人生の間戦い続けていたデーモンを知っている、人間だから誰しも欠点はあるが、それでも彼はとても良いキャリアを送った・・・、ですか。「デーモン」とは何だったんでしょうかね、気にかかるところです。ジョーダンとはやはりプレースタイルだけでは無い問題があったのかも知れません。

ともあれ、我々もよくその名を知る往年の名選手がまた1人、世を去りました。ジャック・トワイマン氏も亡くなったばかりだというのに残念ですね。私も「NBA Story」でも読み返してみるとしましょうか。合掌。

P.S.

http://espn.go.com/chicago/nba/story/_/id/7999217/majority-orlando-woolridge-life-was-full-joy-brought-others


いつものようにKenchさんtweetで知りました、ESPNメリッサ・アイザクソンによるウーリッジ追悼記事です。

P.S.2

http://www.chicitysports.com/2012/06/01/the-big-o-orlando-woolridge-dies/

こちらもどなたかのtweetで知りました。

※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
スポーツレファレンス.comよりカレッジ時代スタッツ
バスケットボール・レファレンス.comよりキャリアスタッツ



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