(その1から続く)

さて、1位指名でドワイトを得たマジックでしたが何しろ彼は高卒。レブロンみたく高卒いきなりチームのエース、なんて化け物は一般的には例外でありまして、ドワイトと言えども流石にいきなりチームの大黒柱を期待された訳ではありませんでした。そもそもルーキー時分、彼はセンターですら無かったのです。ドワイトは当初、PFとして出場したのであります。これはルーキー〜ソフォモア時代あたりのコービーやレブロンがPG、デュラントがSG、KGがSFとして起用され、今度アンソニー・デイヴィスがPFで起用されるのと同じで・・・ってつい最近こんな話をどこかで読んだばかりですよ私(^_^;)

ともあれ、ドワイトはPFでの起用でデビューを飾ります。先発ラインナップはフランシス、モーブリー、やっと帰って来たグラント・ヒル、ドワイト、ケイトー。先発の3/5がロケッツという不思議なチーム構成にあって、ドワイトは案の定オフェンスではまだまだダンク以外に頼れる武器は無さげな感じでしたね。

皆さん殆どお忘れかと思いますが、ドワイトはドラフト前後に自らをKGとダンカンのリミックスだと吹聴していました。が、ドワイトにはどう見てもKGのシュートレンジもダンカンのファンダメンタルもありませんでした。ただ、確かに凡百のビッグマンには無い俊敏な動きは確かな将来性を予感させるものでありました。そして実際、ドワイトはそのポテンシャルをディフェンス面では早くも垣間見せます。いきなり長らくマジックに欠けていたリバウンダーとして結果を残してみせたのです。

このシーズン、マジックは予想外に好調でした。この頃のマジックの意外な浮上、モーブリーをクリスティーと交換したトレードの過ち、そしてワイスブロドGMの1シーズンでの辞任・・・そのあたりの詳細は「栄光無き天才たち11 トレイシー・マクグレディー&スティーヴ・フランシス(フランシス最後の輝き編)」にて述べてあります。

ワイスブロドGMは長年マジックのGMを務めたガブリエルGMに代わって就任した、バスケットボールよりアイスホッケーに造詣の深かった人物です。彼が短い在任期間中に行なった数々の判断を纏めると、

・ドワイト指名
・ネルソン指名権獲得
・T-MACトレード
・タコルーFA契約
・モーブリー←→クリスティートレード交換


ドワイト指名のためには避けられなかっただろうT-MAC放出はさておき、最後以外は概ね間違ってはいません。ネルソンはフランシスに電話して「先発PGの座を譲ってくれ」と頼んだというエピソードがありますが、結果的にこの後のフランシスの衰えを見る限り、それも正しい判断でした。ネルソンとタコルーはこの後、マジックの主力選手として開花していく事となるのです。

ただ、今にして思えばもう1年はチームを低迷させて、もう1人高順位のドラフト指名権を獲得すれば良かったんですね。そうすれば'05ドラフトでクリス・ポールないしデロン・ウィリアムズを獲得してシャック&ペニー以来のコンビを形成し、今頃マジックは東随一の強豪としてリーグに君臨し、いくつものリングをオーランドの地にもたらしていたかも知れません。

今更な事を更に言うなら、マジックはシャック、ペニーを続けざまに獲得した経験に学ぶべきでした。ドラフト1位指名権を2年連続獲得した事であの時のマジックはその後のファイナル進出チームの礎を築いたのですから、今度はそれを運によってではなく、意識的に繰り返せば良かったんですね。しかし、まだ高卒1年目のドワイトを将来性重視でセンターピースに起きながらも、マジックは中途半端なチーム作りをしてしまったのです。

結局モーブリー放出が響いてプレーオフも逃したマジックは2年連続1位指名権獲得のミラクル再現は流石に成らず、11位と中途半端なところに落ち着きます。そしてワイスブロドGMが1シーズンで辞任した為に代わって就任したのが皆さん大好き(笑)オーティス・スミスだった訳です。ダンクコンテスト出場以外に特にキャリアハイライトも無かった彼でしたが、かつてマジックに在籍した事があるスミスは引退後にウォリアーズでフロントの仕事を務めます。彼のウォリアーズ人脈は良くも悪くもここで築かれたのです。

http://nbadraft.net/nba_draft_history/2005.html


そんなスミスGMがマジックに赴任し、'05ドラフトで指名したのが、フラン・ヴァスケス(1巡目11位)、トラヴィス・ディーナー(2巡目38位)、マルティナス・アンドリウスケヴィシャス(2巡目44位)でした。一度は入団に前向きだったはずのヴァスケスはなんと彼女の説得に逢って入団を拒否、スペインに残ってしまいました。そして今に至るまで彼はNBAに興味がある的な事を言ってはスペインリーグのチームに条件を釣り上げさせ、結局残留・・・というパターンを繰り返しております。因みに今オフも彼はそれを繰り返し、スペインに残りました。ユーロでも屈指の好センターになっている彼ですが、恐らくもう大西洋を渡ってくる事はないものと思われます。

ヴァスケスの代わりに誰か指名出来たはずだ、とは良く言われます。でも、確か当時名前が挙がっていたのはショーン・メイ。彼がその後故障を連発して残念なキャリアに終わった事を考えれば、どちらでもさして変わらなかったよなあとは思います。ま、因みにヴァスケスの1つ前、10位で指名されたのがバイナムなんですがね。

また、38位のディーナーはバックアップPGとしてこの後地味に頑張りましたがやがて放出。そのディーナーの2つ後ろの順位で指名されたのがモンタ・エリスでした。もっとも、あの時にエリスの真価を見抜けるぐらいなら2巡目まで指名権は落ちないんで、これは今更言ってもしょうがないんですが、もしうっかりマジックがエリスを指名していたら・・・とは思います。あ、因みに44位のアンドリウスケヴィシャスはマジックに入団する事無くトレード放出され、NBAでは何ら足跡を残せず、今はユーロで頑張っています。

すっかりマジック話になってしまいましたが、ドワイトはルーキーイヤーにして高卒選手初となる全試合先発出場を達成。少なくとも彼の指名自体はクワミ・ブラウンやエディー・カリーと違って間違っていなかった事が早くも証明されました。

ただ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーはドワイトではなくオカフォーのものとなりました。前年の新人王にレブロンが選ばれた際、「レブロンよりもチームをプレーオフに導いて成績も上回っていたカーメロの方が新人王に相応しいのではないか」という議論がありましたが、オカフォーとドワイトについてはドワイトの将来性よりオカフォーのこの時点での完成度が優先された訳です。ま、残念ながら妥当な判断でしょう。かくてアマレ・スタッダマイヤー、レブロンに続く高卒新人王は生まれず、オールルーキー1stチームの選出のみでこのシーズンは終わりました。

とはいえ、将来有望なビッグマンを確保し、グラント・ヒルもようやく復活したマジックの視界は良好ではありました。そしてマジック復活の期待はドワイトの成長と共に、徐々に膨らんでいったのであります。

(以下続く)




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