さて、皆さん既にご存知かと思いますが、ファイナルを前にして今季、2人のヴェテランスーパースターが引退を表明しました。グラント・ヒル。ジェイソン・キッド。我々'90s世代にはお馴染みの二人、日本の学校式で年を数えれば学年は一緒です。しかもドラフトでも同じ'94年にヒルが3位、キッドが2位で指名されているという同期生です。え、1位?今度息子さんがドラフトエントリー中のグレン・ロビンソンですよ・・・。

やや置いていかれた感のあるビッグドッグさんはさておき、ヒルとキッドはなかなか縁が深い2人です。ヒルについては既に「栄光無き〜」シリーズでそのキャリアの殆どはカヴァー済みですので、そちらをご覧頂ければと思います。シーズン終了後にでも完結編を執筆するつもりですんで。つー訳で以下はキッド中心に書いていきます。

両親がNFL選手にヒラリー・クリントンの友達というサラブレッドなヒルに対して、そこまで御立派な親御さんエピソードは特に無いキッドは5才年上のゲイリー・ペイトン相手のストリートバスケで技を磨いたという逸話を持ちます。いや、それだけでああまでの選手になった訳じゃないんですけどね。



2人の運命が最初にガッツリ噛み合ったのはやはり、NCAAトーナメントですよね。名門デューク大学に入ったヒルは1・2年時に連続優勝の美酒に酔い、4年時にも準優勝を飾っています。そう、3年の時だけは駄目だったんですね。その3年の時、即ち'93年にヒルとデューク大を2回戦で撃破したのがキッドの在籍するカリフォルニア大学バークレー校だったんです。驚くべき事に、キッドは名門大学から散々リクルートを受け、高卒でNBAに行くという噂までありながら、「自宅から近いから」という流川楓みたいな理由で強豪とは言い難いこの大学を選び、そしてバスケエリート揃いのデューク大を見事に倒してみせたのでした。イケメン過ぎるやろ。因みにキッドの背番号は勿論ケヴィン・ジョンソン市長と共にカリフォルニア大学バークレー校の永久欠番です。



当時のデューク大がアーリーエントリー禁止だったためにヒルが大学を卒業してから'94ドラフトにエントリーしたのに対して、キッドは大学を2年で飛び出しアーリーエントリー。そしてヒルをも上回る2位でマヴスの指名を受けたのです。近年のノヴィツキー体制なマヴスしか知らない世代にはなかなか信じてもらえないでしょうが、当時のマヴスと来たら'80年代にプレーオフでレイカーズと接戦を演じた日々も遠く、キッド加入前の2シーズンなんざ11勝71敗(歴代ワースト2位)、13勝69敗と強烈なドアマット振りでありました。だからこそキッドを2位で指名出来たんですけどね。



'92年4位指名のSGジム・ジャクソン、'93年4位指名のSFジャマール・マッシュバーン。そこにキッドが加わり、ここに「3J's」が誕生します。全く同じポジション構成でウォリアーズを牽引した名トリオ「RUN-TMC」同様に、このトリオも圧倒的なオフェンス力でリーグを席巻します。ただ、ティム・ハーダウェイが必殺技「キラー・クロスオーヴァー」で魅せたのに対し、ジェイソン・キッドはパスが身上でした。彼の鮮やかなパスによるアシストがチームオフェンスを一気に向上させたのであります。キッドはグラント・ヒルと共に、2人同時のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのです。玉虫色の決着ではありますが、結果からすれば妥当アンド妥当な判断だったなーと今では思いますね。

かくてマヴスは3J'sと共に新たな隆盛を築き上げるかと思いきや、3J's体制はRUN-TMCと同じく短命に終わります。まずプレーオフ進出が期待されていた'95-'96シーズンはロイ・タープリーの薬物違反による永久追放などもあってチームが崩壊。更に'96-'97シーズンにはブルズのACだったジム・クレモンズを迎えてトライアングルオフェンスを導入しようとして、選手とHCが対立。

更に当時人気だったディーヴァの1人、トニ・ブラクストンを取り合って揉めたというなかなかアレな話も飛び出します。因みにトニさん、NBA選手3人が取り合うぐらいだからさぞや絶世の美女とお思いでしょうが、・・・いやいや、セカイイチカワイイヨー(棒)。

ともあれ、マヴスはキッドを諦めます。シーズン途中の12/26にキッドはトレードされたのです。彼が向かった新天地こそが、フェニックス・サンズだったのです。チャールズ・バークリーが既にロケッツへと去ったこのチームで、キッドは大学の先輩に当たるケヴィン・ジョンソンとコンビを組み、チームを立て直していきました。13連敗で散々なスタートを切っていたサンズはシーズン終盤には11連勝し、プレーオフにも滑り込みます。キャリア初のプレーオフの対戦相手がペイトンのソニックス(現サンダー)なのも不思議な縁ですね。



'97-'98シーズンにはマクダイスが加入、キッドとのアリウープでリーグを沸かせます。またスティーヴ・ナッシュも新人としてサンズに加入していますが、まだ当時は注目されてはいませんでした。この時はシーズン56勝を挙げたものの、ツインタワーのスパーズに1stラウンドで敗戦。短縮シーズンとなった'98-'99シーズンは27勝23敗に止まり、またも1stラウンドで散ります。

そして'99-'00シーズン、サンズはマジックのリビルドに乗ってトレードを敢行、アンファニー・ハーダウェイを獲得します。キッドとペニーのコンビは「バックコート2000」と呼ばれて期待されたものでしたが、ペニーの故障、ダニー・エインジHCの辞任などチームにはトラブルが相次ぎ、トドメにキッドまでもが右足骨折してしまいます。が、引退していたケヴィン・ジョンソンの復帰でサンズはキッドの穴を埋め、エインジの後任にしてペニーのマジック時代の先輩、スコット・スカイルズHCの下で何とかシーズンを乗り切ります。

そしてプレーオフ1stラウンドはキッド不在のサンズがダンカン不在のスパーズ相手に優勢に戦い、とどめにキッドが第4戦から何故か金髪にイメチェンして復帰。いきなり10アシストを決めて、遂にキャリア初の1stラウンド突破を決めたのでありました。カンファレンスセミファイナルでチームはレイカーズに屈しましたが、バックコート2000体制はショーン・マリオンという異能の才能の出現もあって、なかなか期待が持てそうに思えたものです。



しかし、またしてもキッドの夢は儚く終わります。ペニーは女性を殴ったと訴えられ、クリフ・ロビンソンは飲酒運転で逮捕。とどめにキッド自身が妻を殴った咎で逮捕されてしまったのです。それでも何とかキッドは踏ん張りました。家庭の問題はとりあえず何とか収め(後に結局離婚しますが・・・)、ボブ・クージー、オスカー・ロバートソン、ジョン・ストックトンに続く4人目となる、3シーズン連続アシスト王を達成しました。また、マヴス時代にはジャンプシュートが入らないが故にジャンパー、即ちJの無いJASON KIDDでASON KIDDだなんて言われていましたが、この頃にはそれもすっかり克服、むしろオフェンス面で立派な得点源となっていたのです。

が、1stラウンドでチームがキングスの前に敗れた後、サンズは結局キッドのイメージダウン故に、止む無く彼の放出を決意します。フェニックスという土地柄、この手の女性スキャンダルは特に宜しくなかったのですな。かくてステフォン・マーブリーとのトレードでキッドが向かった先こそが、ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツだったのであります。

(以下続く)



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