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前々から暖めていた新シリーズ、です。

タイトルはかつてヤングジャンプ誌に連載されていた人気連載からの引用です。過去にマジックに在籍した選手の中から、時にエースとしてNBAをリードしたスター、マジックのファンの記憶に残り続ける選手達、またはNBA史に残る記録・名場面を演出した選手達を取り上げます。但し、優勝した事がない選手のみ取り上げますので、例えばシャキール・オニールは取り上げません。

第1回はやはり、そのシャックと共にマジック最初の黄金期を築き上げたこの方以外考えられません。アンファニー・“ペニー”・ハーダウェイ、その人です。ただ、ペニーに関してはこのブログ創設時に取り上げています(こちらこちらです)。彼のキャリア自体はウィキペディアバスケットボールリファレンス.comなどに詳しいのでそちらをご参照いただくとして、今回はあの頃のペニーの「輝き」を伝えられれば、と思います。

まずはマジックが今までのところチーム史上唯一となるファイナル進出を果たした’94-'95シーズン時のスターティングラインアップ紹介の様子です。



ホーレス、スコット、ニック、ペニー、シャック・・・マジックが最も熱かったあのシーズン。PFの穴をホーレス・グラント獲得で埋めると同時に、ブライアン・ショーの加入で控えPGをも確保する事で、マジックはペニーをPG・SG両方のポジションで使えるようになりました。そんなペニーの、'94-'95シーズントップ10プレーをご覧下さい。



マジック本人のお墨付きもあってマジック・ジョンソン2世と言われていた上に、マイケル・ジョーダンと比較されるという当時のスターSGならほぼ全員が経験した道をも通る・・・後から振り返ってみてもかなりハードな状況でこれだけ華のあるプレーを見せたというのが、今にして思うと凄いなと。今のレブロンに近いものがあったと思いますし、まして当時はジョーダンが一度は引退したとはいえ、人気・実力共にNo.1だった時代です。少年時代のT-MACやレブロンがペニーに憧れたのも分かります。そんなペニーに、ナイキが彼の名を冠したシグニチャーモデル「エア・ペニー」を作ったのも当然の流れではありました。



ペニー自身はシャイなところがあって演技も決して上手くはありませんでしたが、ナイキは「リトル・ペニー」という人形を使う事でその問題をクリア。ジョーダンよりも目鼻立ちが整ってイケメンだったペニーの人気は更に高まりました。



しまいにはリトル・ペニーはCMのみならずNBAのTV放送時にまで登場。この'95-'96シーズン、シャックのプレシーズンマッチでの怪我に伴う出遅れの間、ペニーのプレーは一層輝きを増し、スーパースターの座を更に確立します。実際この時のペニーはジョーダンでもなかなか止められず、マジックファンならずともジョーダンの次はペニーの時代が来るか?とさえ思えたものでした。そして皮肉にも、そのことがシャックとの溝を作り、このシーズンを最後にシャックがマジックを出て行ってしまう一因となってしまうのです。そう、エア・ペニーの売り上げはシャックのシグニチャーモデルをも軽く上回っていたのです。

しかし、シャックの移籍と共にその輝きは翳り始めます。'96-'97シーズン、センターに空いた致命的な大穴はマジックをブルズに次ぐイースト2位の強豪から、単なるプレーオフチームへと失墜せしめます。成績降下の結果ブライアン・ヒルHCは解雇され、その際ペニーがチームを扇動したとの噂はペニーの印象を一気に悪くしてしまいました。そして迎えたプレーオフ、1stラウンドの対戦相手は地元のライヴァルでもあるマイアミ・ヒート。敵地でたちまち2連敗して崖っ淵に立たされたマジックはホームに戻った第3戦でもホーレス、サイカリーを失った上に点差を開けられ、絶望的な状況に立たされます。が、ペニーがここで覚醒しました。



「ペニーをジョーダンにしてしまった」・・・ヒートのティム・ハーダウェイの言葉です。ダレル・アームストロングの台頭、デレク・ストロングのディフェンス面での貢献、マジックのスモール・ラインアップがヒートの予想を裏切った事など他にも勝因はありましたが、ペニーを止める事が出来なかった事こそがヒート最大の誤算だった事は言うまでもないでしょう。この第3戦で42得点を挙げたペニーは、次の第4戦でも41得点してマジックを再度勝利に導き、シリーズを崖っ淵から2勝2敗のタイにまで持ち込んだのです。そして運命の第5戦、ペニーは33得点と最後まで奮闘するも届かず、惜しくも1stラウンド敗退。この年に始まったマジックのプレーオフシリーズ連敗(及びプレーオフ不出場)は昨季の対ラプターズ戦でストップするまで、実に11年の長きに渡り続く事となったのです。

そしてペニーのプレーがここまで輝きを見せたのも、このシーズンが最後でした。翌'97-'98シーズンは膝の故障が悪化して19試合の出場のみで実質棒に振り、ロックアウトで短縮された'98-'99シーズンにはチームを久々のイースト1位(タイ)まで導いたものの1stラウンドにて若きアイヴァーソン率いるシクサーズに1勝しか出来ず敗退。そのオフ、マジックはサラリーキャップを空けるべくニック・アンダーソン、ホーレス・グラントといったファイナル進出に貢献した面々を容赦無くトレードで放出。そしてマジックのフロントと完全に対立してしまっていたペニーもまた、サンズへとサイン&トレードという形で出て行く事となるのです。なお、このトレード時にサンズから加入したのが、現役でのマジック在籍最長選手となるパット・ギャリティーです。

サンズにてジェイソン・キッドとの「バックコート2000」を結成したペニーでしたが、1年目の'99-'00シーズン、キッドが故障で殆ど休んだプレーオフ1stラウンドにて前年の王者スパーズ(こちらはダンカンがDNPでしたが)を破る原動力となったのが唯一の光明でした。相次ぐ故障はペニーからオールスタープレーヤーのオーラを奪い去り、ペニーは先発選手の座すら怪しくなってしまいます。ニックスへトレードされても状況は変わるどころか更に悪化、先発どころか出場もままならなくなります。そして、'05-'06シーズンのトレードデッドラインでマジックに再度トレードされますが、トレード後1試合も出場する事無く解雇。これはペニーの大型契約がこのシーズンで終了するため、サラリーキャップ空けを目的としたトレードに他ならなかったのです。

昨季シャックとの不仲を解消して、初めて1番以外の背番号(7番)で臨んだヒートでのカムバックも結局16試合で終了。ペニーのNBAでのキャリアは最早終わったのかも知れません。しかし、まだ37才です。運動能力は衰えても、バスケットボールのセンスまでは鈍っていないと私は信じています。もう一度ペニーの勇姿を、叶うならマジックの新ユニフォーム、復活のピンストライプ姿で見たい。それが往年のペニーを知るファンのささやかな願いです。

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