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3ポイント。

NBAに対抗して出来たリーグであったABAが開発したこのルールを、後にNBAも取り入れることで、バスケットボールというスポーツは更なる進化を遂げた訳です。NBAで最初に3ポイントを決めた選手はセルティクスのラリー・バード・・・ではなく、クリス・フォードです。そこ、地味とか言わない。HCも務めた人なんですから。

それはさておき、NBAにある種の職人というべき人材は昔からいます。オフェンス、ディフェンスの中でも特定の種目に秀でた選手ですね。オフェンスならダンク、フィンガーロール、アシストパス。ディフェンスならリバウンド、スティール、ブロック等々。その職人のジョブに、新たな職業が加わった訳です。「3ポイントシューター」、今回はそこにキャリアを賭けたあるフォワードの生き様紹介です。デニス・スコット、通称「3D」、背番号までも3と「3」一筋の選手です。例によってリンク貼りを先にやっときましょう。

ウィキペディア

Wikipedia

NBAでの通算スタッツ

バイオグラフィー

何故かホークスのHPに載ってるバイオグラフィー

メリーランド州に生を受けたスコットはジョージア工科大学出身。ここはカーター元大統領を含むノーベル賞受賞者やアップル、アメリカンエクスプレス、AT&T、ウォルマート等々のアメリカを代表する大企業のCEOを輩出した名門大学であると同時に、バスケットボール界では昔から名PGの産地として有名でした。スコットの在学時も例外ではなく、後にNBAでも名を馳せるケニー・アンダーソンがいたのです。2人の活躍もあってジョージア工科大は'90年のNCAAトーナメントにてファイナル4まで進む快進撃を見せました。その勢いそのままにスコットはNBAドラフトにエントリー、1巡目の4位という結構な高順位で指名されます。そして、彼を指名したチームこそがオーランド・マジックでした。

'89年のエクスパンションからまだ1年、まだまだ選手層の薄いマジックにあってスコットは即戦力です。ルーキーイヤーから82試合中73試合に先発するなど、スコットはいきなりフル稼働で働きます。デビューしたシーズンで15.7得点のルーキーなら上々でしょう。ただ、彼はSFと聞いて誰もがイメージするであろうオールラウンダーという理想像からはかなりあさっての方向に秀でたタイプでした。即ち、完全なシュータータイプだったのです。3ポイントはガンガン決められるのですがそれ以外は微妙、リバウンドもアシストもディフェンスも人並み以下、というのが彼のプレースタイルでした。ともあれ、オールルーキー1stチームには3位で選ばれたのです。

2年目、スコットは故障でシーズンの3/4以上を棒に振ります。そのせいもあってかチーム成績は低迷したのですが、この事がマジックに幸運をもたらします。ドラフト1位指名権獲得、そしてシャキール・オニール入団。この事は、誰よりもスコットにとってこそ最大の幸運だったのです。

マジックの選手達は割とおとなしいと言いますか、悪乗りしないタイプが多かったのですが、シャックは完全エンターテイナー。選手としての才能だけでなく、マジック・ジョンソン級にマスコミ受けがいいのはデビュー当時からでした。そして、そんな陽気なシャックとスコットは実にウマが合ったのです。ロッカールームでも練習場でも彼ら2人がチームの雰囲気を盛り上げました。そして、彼らのウマが合ったのは性格だけでなく、コート上でもだったのです。インサイドで暴れるシャックを押さえ込もうとディフェンスが中に萎縮した時、シャックのアウトレットパスがスコットに渡れば、それはもうフリーの3ポイントチャンス。しかもアンダーソンとスコットが2人並んでいるので外へのディフェンスも絞れません。3ポイント職人スコットにとって、非常にやり易い環境が整いました。

シャック入団の効果はてきめん、スコットは'92-'93シーズンに初めて3ポイント成功率を4割台に乗せます。ペニー、グラントと年を追う毎にタレントが各ポジションに揃っていく中、スコットも先発して・・・と思われましたが、やはり3ポイント専門だったことがやや祟ったようで、先発の機会は多くありませんでした。

初のディヴィジョントップとなった'94-'95シーズンもスコットは62試合に出場して10試合しか先発していません。当時主に先発していたのは、後年JBLでもプレーしたドナルド・ロイヤルです。体を張ったハッスルプレイヤーが身上の彼もまたチームのムードメイカーでした。が、最終的にはスコットのオフェンス能力が重視されたらしく、シーズン末期から先発に落ち着きます。プレーオフではファイナル進出までは良かったのですが、肝心のファイナルではFG成功率.310に抑え込まれて、マジック敗因の一因になりました。

明けて'95-'96シーズン、スコットはマジックの先発SFとして完全に固定されます。レギュラーシーズン82試合全てに先発して平均37.1分もの出場時間を得た彼は恐らくキャリア最高と言って良いシーズンを過ごしました。前シーズンから持ち越していた3ポイント連続成功試合数をチーム記録にしてNBA歴代3位の78試合まで延ばし、シーズン通算ではNBA記録となる267本の3ポイントを成功させます。更に4/18にはこれまた1試合最多NBA記録となる11本の3ポイントをホークス戦で決めました。因みにこの試合、11本目の3ポイントをアシストしたのがそれまでのNBA記録保持者で10本の3ポイントを保持していたブライアン・ショーだったのです。彼は本来3ポイントに特化した選手ではありませんでしたが、面白い運命のアヤですね。オールスターの3ポイントコンテストでは目立った結果は残せなかったのですが、実戦において彼の3は非常に重要でした。



スコットはこのシーズン最後のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークに選ばれるわ、キャリア初のダブルダブルを記録するわ、リバウンドとブロック、アシストの3部門でもキャリアハイを決めるわととにかく乗っていました。スコットがブザービーターを叩き込んで制した接戦も少なくありません。しかし、プレーオフでは相手に押さえ込まれ、シーズン中の17.5得点が11.3得点にダウン。

またしてもマジックのブレーキとなってしまったスコットは、しかもカンファレンスファイナルでのブルズ戦、ピペンにいいようにやられてしまいました。攻守共に秀でたピペンはスコットのオフェンスを抑え込む一方、自らはスコットもロイヤルも全く問題にしなかったのです。もっとも、それだけが原因ではないでしょう。前年のプレーオフでの敗退がジョーダンの負けず嫌いに火をつけたこと、ホーレス・グラント移籍の穴を埋めて余りあるロドマンの加入、ペニー対策とも言われたロン・ハーパーのPG起用・・・NBA記録となる72勝10敗を誇る「アンストッパブルズ」に付け入る隙は無く、マジックは4タテを喰らって敗退。



そしてそのオフ、シャックがマジックを離れた事で、スコットの我が世の春は終わりを告げました。迎えた'96-'97シーズン、相手チームのマークは当然厳しくなり、得意の3ポイント成功率も4割を切ります。そして平均得点は17.5得点から12.5得点へ大幅ダウン。シャック離脱で得点アップが望まれる状況下でしたが、むしろシャックの恩恵でこそ楽に3ポイントを打てたスコットにそれは酷な話でした。そして故障によりこのシーズン16試合を休むと、プレーオフでも故障に妨げられて5試合中1試合しか先発出来ず、平均18.8分出場で3.0得点止まりに終わります。そして、このプレーオフがスコットのマジックでの最後の試合となってしまいました。

'97オフ、スコットはマジックフロントとトラブルを起こして対立してしまったのです。詳細は私もやや忘却の彼方ですが、確か子供向けのバスケットボールキャンプもキャンセルしていたように記憶しています。その結果、スコットはデレク・ハーパー+エド・オバノンと交換でマヴスへ放出されてしまいました。

その後、スコットはこのシーズン中にセバロスと交換でサンズへトレードされます。マヴス時代よりFG成功率こそ上がったものの、出場時間も平均得点も半分以下に落ちました。そして'98-'99シーズン、スコットはニックスに入るものの肝心の3が僅か.276しか決まらなくなってしまいました。3ポイント職人が3を決められなければ、その存在意義はありません。哀れスコットはニックスにシーズン中解雇の憂き目に逢いますが、何とかウルヴスに10日間契約から拾ってもらい、今度は21試合中9試合の先発と4割超の3ポイント成功率を勝ち取り、平均9.1得点を挙げます。

しかし、スコットのNBAキャリアは翌'99-'00シーズンで終わりを告げます。グリズリーズにてハムストリング故障明けで66試合に出場し、.375のFG成功率と.376の3ポイント成功率で5.6得点。それがスコット最後のシーズン成績でした。それでも'01年、スコットは旧友シャックのツテを頼りにレイカーズ入りを目指します。元マジックのホーレス・グラントやブライアン・ショーもレイカーズにいましたし、シャックと3ポイントシューターの取り合わせの良さは明らかでした。が、結局ロスターに余裕は無く開幕を待たずしてスコットはカット、NBA復帰は泡と消えました。こうしてスコットの現役生活は完全に終わったのです。

現在スコットはマジックではなく、アトランタ・ホークスのラジオ解説者を務めています。ローカルラジオ番組のホストを務めたり、ABA所属の球団アトランタ・ヴィジョンのGMの仕事を行うなど、アトランタに軸足を置いた生活を送っています。かといってマジックが彼を無視している訳でもなく、'06年2月23日の試合ではニック・アンダーソン、スコット・スカイルズと共に"Remember the Past Nights"なるプログラムに出席して表彰されました。

現在スコットが持っていたNBA記録のうち、シーズン通算の3ポイント成功数267本はソニックス時代のレイ・アレンに'05-'06シーズンの269本で抜かれ、1試合での3ポイント成功数も'03年1月7日、コービー・ブライアントが12本を沈めて記録更新。ドニエル・マーシャルも'05年3月12日に12本を決めてタイ記録で並んだので、スコットの記録は歴代3位に下がってしまいました。それでもなお、スコットはマジック歴代通算得点で5位、通算アシストで7位、通算スティールで5位、出場試合数で5位、フリースロー成功数で8位、そして何より3ポイント通算成功数で1位の座を守っています。

記録面でのインパクトはかなり薄れてしまいましたが、スコットが'90年代トップクラスの3ポイントシューターだった事は間違い有りません。彼もまた優勝の美酒に酔う事は出来ませんでしたが、アンダーソン同様マジックファンの記憶に残り続ける選手でしょう。ペニー、アンダーソン、スコット、ホーレス、シャック。マジック史に残るスターティング5よ永遠なれ。

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