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レブロン・ジェームズが加入して以来、NBAのセンターステージに躍り出たクリーヴランド・キャヴァリアーズ。それまでの地味なイメージを払拭して早くもチーム史上初のファイナルまで進出と、かつてのジョーダン時代のブルズさえ凌ぐスピードで強豪化、ここ数シーズンのNBAを席巻しています。レブロンの移籍説も絶えないとはいえ、差し当たりキャヴスの黄金時代は続きそうです。

しかし、ドワイトの力で再浮上したマジックにシャックを中心とした黄金期がかつてあったように、レブロンがキャヴスをここまで持っていく前に、キャヴスが強豪チームとして名を馳せていた時代があったのです。今回はその時代にあってキャヴスの司令塔を務めた名PGをご紹介します。マーク・プライス。オールドNBAファンの方も若干記憶から抜け落ち気味な名前ではないでしょうか。

1964年、オクラホマ州のバートルズヴィル生まれのプライスはPGの名産地、ジョージア工科大出身です(ピストンズへ行ったジョン・サリーがチームメイトでした)。6-0とタッパも無い方のプライスは1986年ドラフトでは案の定評価が低く、2巡目25位でマヴスに指名された当日にトレードでキャヴスへ流れ着きます。このオフにキャヴスはかつて選手としてキャヴスでプレーしていた事もあった名将レニー・ウィルキンスが就任、更にプライス獲得前にブラッド・ドアティーとロン・ハーパーがこれまたドラフトで加入。クレイグ・イーローもロケッツから加入、更には1985年のドラフトで指名されながらトラブルのため加入が遅れたジョン・“ホット・ロッド”・ウィリアムズも合流と突如多士済々の新興勢力が誕生したのです。

'86-'87年こそキャヴスの成績はぱっとせず、プライスも全試合ベンチスタートでまだ目立たないスタッツで終わりましたが、チームからドアティー、ハーパー、ウィリアムズの3人がオールルーキーチーム入りするという快挙が更なる飛躍を予感させました。そして、その幕を切って落としたのがプライスのブレイクだったのです。

あのケヴィン・ジョンソンがドラフトで加入してきた'87-'88シーズン、プライスはその持ち前のシュート力をNBAでも開花させます。FG成功率実に.506、3ポイント成功率までも.486、それでいてアシストも6.0と非の打ち様が無いプレーを披露したプライスは先発PGの座を完全に確保、KJを控えに追いやります。そしてキャヴスもチーム成績が一気に浮上、42勝40敗で遂にプレーオフ戦線に復帰を果たしました。

KJは結局、キャヴスでは持ち味を生かせないままマーク・ウエスト、タイロン・コービン、ドラフト指名権とセットでラリー・ナンス、マイク・サンダース、将来の指名権のセットとトレードされます。KJがサンズでMIPを受賞したのはこの後のことですが、ともあれキャヴスはこれ以降プライスが故障でシーズンの殆どを休んだ'90-'91シーズン以外は'95-'96シーズンまでプレーオフ常連となります。この期間はプライスの在籍期間とほぼ近しく、彼は'94-'95シーズンまでキャヴスでプレーしたのです。そう、この時期のキャヴスはプライス抜きで語れません。

PGらしくパスセンスの良さも持ち合わせていたプライスですが、最大の武器はやはり圧倒的に正確なシュート力。インサイドへ切り込んでもそれなりに何とかしますが、何よりも外からのシュートの精度は極めて高く、FG成功率は概ね5割近く、3ポイント成功率も4割近くを維持。更にFT成功率も9割を度々越えました。何しろ彼がFT成功率で1位だったシーズンは実に5回、キャリアFT成功率.904はNBA史上1位なのです。なお、彼は'88-'89シーズンにFG成功率.500超、3ポイント成功率.400超、FT成功率.900超を達成した史上3人目の選手になりました。その後この記録を達成した選手はナッシュとノヴィツキーの親友コンビだけです。

オールスターにもプライスは4回選出されていますが、彼のオールスターでの舞台といえばやはり3ポイントコンテスト。'90年出場時は当時ブルズのクレイグ・ホッジスの前に敗れたものの、'93年には前年まで3連覇を達成していたホッジス(因みにこの年はNBAチームに在籍しておらず、特例として出場が許されました)を倒し、リヴェンジを果たしつつの初優勝。翌'94年にも勝って2連覇を達成したのです。またアメリカ代表としても'94年の世界選手権に「ドリームチームII」として出場、アイザイア・トーマスの急な引退による不出場にも危なげ無く金メダルを獲得します。選手個人に限って言えば、プライスのキャリアはなかなか充実していたと言えましょう。

「'90年代を代表するチームになるだろう」、これはキャヴスを評したマジック・ジョンソンの言葉です。NBA史上に残るレジェンドにここまで高く評価されたキャヴスに足りなかったもの、それはポストシーズンでの結果でした。不運にもキャヴスの全盛期と全く同じ時期に、彼らと同じく上げ潮のチームが存在しました。シカゴ・ブルズ。しかもそのエースは、滅法キャヴス戦に強かったのです。何しろプライスのキャヴス時代、キャヴスはブルズに5回当たって5回とも敗れているのですから・・・。

'88・'89年の2度、1stラウンドでキャヴスはブルズに3勝2敗で敗退。その2回目の敗退を決定付けたブザービーターこそ、ジョーダンの名プレーとして語り継がれる「ザ・ショット」だったのですね。



イーロー必殺のクラッチレイアップで湧いた地元クリーヴランドの観客の歓声が、数分後に沈黙へと代わってしまった瞬間でした。ジョーダンはもうクリーヴランドという土地になにか恨みでもあるのかと思うほどキャヴス戦に異常に強く、彼のキャリアハイとなる69得点も対キャヴス戦でのものです。そんなジョーダンと同じ23番を背負った選手が今になってキャヴスを率いるというのも、何やら因縁めいている話ではありますが。

話を昔に戻します。3年連続1stラウンドで、今度はシクサーズに敗れた'90年、プレーオフ不出場の'91年を経て再びプレーオフに戻った'92年、キャヴスはネッツに3勝2敗で競り勝って遂に1stラウンドの壁を突破。カンファレンスセミファイナルではセルティクスを4勝3敗で下し、ラリー・バード最後のポストシーズンに幕を引きます。遂に来た'76年以来のカンファレンス・ファイナルでの対戦相手、それこそが仇敵シカゴ・ブルズだったのです。しかもこの時既にブルズは単なる強豪ではなく、ディフェンディング・チャンピオンでした。キャヴスは4勝2敗で敗れ、またも高いシカゴの壁の前に屈します。

翌'93年は2年連続ネッツを3勝2敗で下したものの、カンファレンスセミファイナルで、ここまで来るとまたかよ感さえ漂うブルズと激突。2連覇と波に乗るブルズにとって最早キャヴスは好敵手足りえず、4連敗のスウィープで蹴散らされてしまいました。'94年は1stラウンドでブルズに当たりましたが、この時はジョーダン1度目の引退時期。これなら行けるかなと思いきや、これでも3連敗スウィープ負けで一蹴の憂き目に。

1勝3敗でニックスに敗れた'95年のポストシーズンを最後に、キャヴスは遂にマーク・プライスをトレードする決断を下しました。既にこの頃プライスには故障に起因する衰えが見え始めており、実際FG成功率は.413にダウン。様々なカテゴリーで成績を落とし始めていたプライスの放出は、しかし理に適っていたのも事実です。実際プライスの放出後ティレル・ブランドンが台頭することでPGのポジションは問題無く埋まったのですから。

プライスの移籍先はブレッツ(現ウィザーズ)でしたが、この'95-'96シーズン、プライスは結局僅か7試合の出場に終わった事を考えても、やはりキャヴスの決断は正しかったと言わざるを得ません。兄の代わりに結構頑張った弟ブレント・プライスとの共演も殆ど見られないまま、兄マーク・プライスは更に翌'96-'97シーズンにはウォリアーズへ。70試合中49試合に先発すると往年のプレーをやや取り戻したかのように.447のFG成功率と.396の3ポイント成功率、.906のFT成功率を叩き出して11.3得点4.9アシストを記録。

そして'97-'98シーズン、プライスはオーランド・マジックにやって来たのです。名将チャック・デイリー就任1年目であり、しかも'97プレイオフ1stラウンドで敗れたとはいえペニーがジョーダンを髣髴とさせる活躍でシリーズを最終戦まで持ち込んだばかりであり、プライスの加入でペニーをSGで起用出来る時間が長くなる、という計算も当然あったことでしょう。

しかし、そのペニーがニック・アンダーソン共々前半から長期欠場では、流石にどうしようもありません。63試合中33試合に先発したプライスでしたが最早昔年の勢いは無く、FG成功率.431、3ポイント成功率.335、FT成功率.845の9.5得点4.7アシストにてシーズンを終えると、結局そのオフにユニフォームを脱いだのでした。

オールNBA1stチームにも1回選出されたプライスは現在、キャヴスの通算得点とFT成功数で歴代4位、アシストとスティール、3ポイント成功数で1位、出場試合で5位です。彼の背番号のうち25番はジョージア工科大及びキャヴスで永久欠番となっております。

現役引退後はオーストラリアのサウス・ドラゴンズHCに就任するも主力選手シェーン・ヒールの故障欠場でプレシーズンマッチ3勝2敗にも関わらずレギュラーシーズンで5連敗、HCの職を追われた上にヒールが選手兼監督に取って代わるという何だかすっきりしない結末を迎えました。現在はグリズリーズでシューティングコーチを務めていますね。スワニー・スポーツ・アカデミーやマーク・プライス・シューティング・ラボといった組織にも関わっています。

3ポイントコンテスト以外では残念ながら優勝に縁の無かったプライスでしたが、ルックスの端正さも考えれば、もしあの頃NBAの中継を古館さんがやってれば「NBAの王子様」ぐらい言ってくれてたんじゃないかと思ったりもします。漫画「NBA STORY」では何故だか完全に悪役扱いでしたが、実際はキャヴス共々、やや活躍したタイミングが悪かった立派なオールスター選手と見るべきでしょう。諸葛孔明と同じ時代に生まれてしまった周喩のようなものです(←三国志読んでないと分かりませんね、スミマセン)。山下に対する斉藤(←柔道)、王に対する田淵(←ホームラン王)、マリオに対するルイジ(←任天堂)、カカロットに対するべジータ(←サイヤ人)・・・トップに立てなかったかも知れませんが、彼ら永遠の2番手達への正当な評価もまた肝要です。

古巣の完全復活、そしてかつての不倶戴天の敵ジョーダンのファンであるレブロンがキャヴスを自分達以上の高みまで引き上げるのを目の当たりにして、プライスの心中はいかばかりでしょうか?そのあたりの思いを一度プライスの口から聞いてみたいものですね。



※参考文献

ウィキペディア

Wikipedia

nba.comからスタッツ

Basketball-Reference.com

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