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'07-'08のシーズン、ヒューストン。本来トレードでロケッツを離れた男と、そのトレードでロケッツに来た男が同じチームに来るという不思議な、しかしまあNBAには割と珍しくない光景がそこにありました。T-MACとフランシス、ヤオミンと組んでいたスーパーガードがロケッツに集まる・・・それは本来ならドリームチームの誕生のはずでした。PGとSG、そしてCにオールスター選手を擁するチーム・・・普通に考えたら完全にダイナスティー完成のはずでした。
しかし、このシーズン主に先発PGを務めたのは背番号3のハイフライヤーではありませんでした。82試合中74試合の先発がアルストン、5試合がボビー・ジャクソン。フランシスが先発出場を果たしたのは彼が出場した10試合のうち3試合に過ぎなかったのです。いったい、フランシスに何があったのでしょうか。
このシーズン、ロケッツはPGだらけでした。上記の面々に加えマイク・ジェームズ、新人のアーロン・ブルックスまでいたのです。当時SLAM誌のブルックスへのインタヴュー記事でもPGばかりだと取り上げられた程でありました。
http://www.slamonline.com/online/the-magazine/features/2010/08/wheres-the-love/
このシーズンの事を、後にフランシスは上記SLAM誌のインタヴューでこう語っています。
“They(注:ロケッツ) ain't start me [and] that rubbed me the wrong way, I'm playing behind a guy that wasn't drafted―Skip To My Lou. You can't put a three-time All-Star on your bench. So [I decided] if I'm getting x-amount of dollars, I'ma fall back and just get my money for my kids.”
ロケッツが自分を先発させなかったのは誤りだった、ドラフトもされてないアルストンなんかを先発させて3度のオールスターたる自分をベンチに置くなんて・・・彼の発言内容はスター選手としてのプライドに満ち溢れています。しかし、彼の発言にはやはりバイアスがかかっていると言わざるをえません。現実はもっとフランシスにとって残酷だったのですから。
このシーズン前のキャンプ、上記の如く人数の溢れ返ったPGの中で、フランシスはアルストンはおろか誰にも勝てなかったのです。怪我が彼から持ち前の運動能力を奪い去ってしまったのでした。かくてフランシスはエイデルマンHCの信頼を失い、シーズン本番を待たずしてローテーションから外されてしまいます。
そんな彼の窮地に手を差し出したのはT-MACでした。彼がエイデルマンHCにフランシスの起用を進言したという記事が当時掲載されていました。その結果が彼の10試合出場だった訳です。しかし、その10試合で彼が残したスタッツは平均19.9分の出場でFG成功率.333、5.5得点2.3リバウンド3.0アシストという、かつての輝きを完全に失ったものでしかありませんでした。
http://sports.espn.go.com/nba/news/story?id=3235647
結局、12/15のマヴス戦での先発出場を最後に出場しなくなったフランシスは、右膝の大腿四頭筋腱断裂を直すためにシーズン終了となる手術に踏み切らざるを得ませんでした。このタイミングでは彼は来季には戻ると見込まれていた事が、ESPNの記事も明らかです、
そもそもこのシーズン、ロケッツは故障者ばかり多発するシーズンでした。T-MACが66試合、ヤオミンが55試合しか出場出来なかったこのシーズン、それでもロケッツは健闘しました。ルイス・スコラとランドリーがロケッツでNBAデビューを飾ったこのシーズン、オールスター前からロケッツは8連勝と波に乗ります。
ところが、ヤオの故障はよりによってこんなタイミングで起きてしまったのです。左足を壊してしまったヤオは'08年の北京五輪に向けて大事を取らざるを得ない時期だった事も働いたか、このシーズン残りを全休する事となってしまったのであります。大黒柱を欠いたロケッツの詰みかと思われました。
http://espn.go.com/nba/recap?id=280316010
しかし、なんとそこからロケッツはなんと連勝を22にまで伸ばして見せたのです。これは'71-'72レイカーズの33連勝に次ぐNBA史上2位という快記録でありました。そんな偉業を、しかもチームの大黒柱抜きで達成したというのは残されたメンバー達の頑張りと言う他ありません。NBAの歴史において、こういった連勝記録を達成したチームは殆どが優勝の美酒に酔いました。当然ながらロケッツにもその期待がかかったのです。
そしてプレーオフ1stラウンド、ロケッツはジャズと対戦。ホームコートアドヴァンテージはロケッツにありましたが、ロケッツはいきなりホームで2連敗という厳しい入り方をしてしまいました。何とかアウェーで1勝返し、2勝3敗まで持ち込んだロケッツでしたが第6戦、T-MAC40得点10リバウンド5アシストの活躍も空しく、またしてもT-MACは1stラウンドの壁の前に敗れ去ってしまいました。
http://espn.go.com/nba/boxscore?gameId=271215010
そんなプレーオフのゲームをただ眺めるしか無かったフランシスでしたが、恐らくは来季こそ、の思いが強かったはずです。実際彼は'08オフにプレーヤーズオプションを行使してロケッツに残留する事となります。しかし、この時のフランシスはまだ知りませんでした。12/15、マヴス戦。FG1/8の3得点1リバウンド3アシスト、そして5TOという不本意だったであろうスタッツが、しかしながらフランシスにとってNBA最後のゲームとなってしまう事など・・・。
(以下、T-MAC&フランシス残酷な運命編へ続く)
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'07-'08のシーズン、ヒューストン。本来トレードでロケッツを離れた男と、そのトレードでロケッツに来た男が同じチームに来るという不思議な、しかしまあNBAには割と珍しくない光景がそこにありました。T-MACとフランシス、ヤオミンと組んでいたスーパーガードがロケッツに集まる・・・それは本来ならドリームチームの誕生のはずでした。PGとSG、そしてCにオールスター選手を擁するチーム・・・普通に考えたら完全にダイナスティー完成のはずでした。
しかし、このシーズン主に先発PGを務めたのは背番号3のハイフライヤーではありませんでした。82試合中74試合の先発がアルストン、5試合がボビー・ジャクソン。フランシスが先発出場を果たしたのは彼が出場した10試合のうち3試合に過ぎなかったのです。いったい、フランシスに何があったのでしょうか。
このシーズン、ロケッツはPGだらけでした。上記の面々に加えマイク・ジェームズ、新人のアーロン・ブルックスまでいたのです。当時SLAM誌のブルックスへのインタヴュー記事でもPGばかりだと取り上げられた程でありました。
http://www.slamonline.com/online/the-magazine/features/2010/08/wheres-the-love/
このシーズンの事を、後にフランシスは上記SLAM誌のインタヴューでこう語っています。
“They(注:ロケッツ) ain't start me [and] that rubbed me the wrong way, I'm playing behind a guy that wasn't drafted―Skip To My Lou. You can't put a three-time All-Star on your bench. So [I decided] if I'm getting x-amount of dollars, I'ma fall back and just get my money for my kids.”
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このシーズン前のキャンプ、上記の如く人数の溢れ返ったPGの中で、フランシスはアルストンはおろか誰にも勝てなかったのです。怪我が彼から持ち前の運動能力を奪い去ってしまったのでした。かくてフランシスはエイデルマンHCの信頼を失い、シーズン本番を待たずしてローテーションから外されてしまいます。
そんな彼の窮地に手を差し出したのはT-MACでした。彼がエイデルマンHCにフランシスの起用を進言したという記事が当時掲載されていました。その結果が彼の10試合出場だった訳です。しかし、その10試合で彼が残したスタッツは平均19.9分の出場でFG成功率.333、5.5得点2.3リバウンド3.0アシストという、かつての輝きを完全に失ったものでしかありませんでした。
http://sports.espn.go.com/nba/news/story?id=3235647
結局、12/15のマヴス戦での先発出場を最後に出場しなくなったフランシスは、右膝の大腿四頭筋腱断裂を直すためにシーズン終了となる手術に踏み切らざるを得ませんでした。このタイミングでは彼は来季には戻ると見込まれていた事が、ESPNの記事も明らかです、
そもそもこのシーズン、ロケッツは故障者ばかり多発するシーズンでした。T-MACが66試合、ヤオミンが55試合しか出場出来なかったこのシーズン、それでもロケッツは健闘しました。ルイス・スコラとランドリーがロケッツでNBAデビューを飾ったこのシーズン、オールスター前からロケッツは8連勝と波に乗ります。
ところが、ヤオの故障はよりによってこんなタイミングで起きてしまったのです。左足を壊してしまったヤオは'08年の北京五輪に向けて大事を取らざるを得ない時期だった事も働いたか、このシーズン残りを全休する事となってしまったのであります。大黒柱を欠いたロケッツの詰みかと思われました。
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しかし、なんとそこからロケッツはなんと連勝を22にまで伸ばして見せたのです。これは'71-'72レイカーズの33連勝に次ぐNBA史上2位という快記録でありました。そんな偉業を、しかもチームの大黒柱抜きで達成したというのは残されたメンバー達の頑張りと言う他ありません。NBAの歴史において、こういった連勝記録を達成したチームは殆どが優勝の美酒に酔いました。当然ながらロケッツにもその期待がかかったのです。
そしてプレーオフ1stラウンド、ロケッツはジャズと対戦。ホームコートアドヴァンテージはロケッツにありましたが、ロケッツはいきなりホームで2連敗という厳しい入り方をしてしまいました。何とかアウェーで1勝返し、2勝3敗まで持ち込んだロケッツでしたが第6戦、T-MAC40得点10リバウンド5アシストの活躍も空しく、またしてもT-MACは1stラウンドの壁の前に敗れ去ってしまいました。
http://espn.go.com/nba/boxscore?gameId=271215010
そんなプレーオフのゲームをただ眺めるしか無かったフランシスでしたが、恐らくは来季こそ、の思いが強かったはずです。実際彼は'08オフにプレーヤーズオプションを行使してロケッツに残留する事となります。しかし、この時のフランシスはまだ知りませんでした。12/15、マヴス戦。FG1/8の3得点1リバウンド3アシスト、そして5TOという不本意だったであろうスタッツが、しかしながらフランシスにとってNBA最後のゲームとなってしまう事など・・・。
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