予告編はこちら
マクグレディーNBA入り編はこちら
フランシスNBA入り編はこちら
ダンクコンテスト2000編はこちら
マクグレディーマジック移籍編はこちら
「スティーヴィー・フランチャイズ」編はこちら
マクグレディー大ブレイク編はこちら
「トレイシー・マクグレディー、スーパースター」編はこちら
T-MAC&フランシスの輝き、そして暗雲編はこちら
悪夢、そして運命の交錯編はこちら
ブロックバスタートレード、そして新天地編はこちら
フランシス最後の輝き編はこちら
T-MAC新たなる旅立ち編はこちら
フランシスガラスのニューヨーク編はこちら
フランシス幻想の摩天楼編はこちら
T-MAC&フランシス一瞬の邂逅編はこちら
T-MAC&フランシス残酷な運命編はこちら
ここからはもう昨季以降の話になりますね。昨日の事のようですが、T-MACに関しては当ブログの記事を引用しつつ参ります。
T-MACの'09-'10シーズンは完全にヤオミンを欠く事が確定していました。このシーズンに入るにあたり、T-MACはラプターズでのルーキーイヤー以来決して変える事の無かった背番号1をレイカーズから移籍したばかりのアリーザに譲り、自らの背番号を3としたのです。これは彼が遂にチームの主役の座を降りる事を宣言したのかな、と当時思った覚えがあります。
確かに彼は主役の座を譲る他に選択肢はありませんでした。何しろ、またしても故障で出遅れ、開幕に間に合わなかったのです。彼がやっとコートに立てたのは12/15のピストンズ戦で、そこから何故か6試合に出場を果たします。しかしながらこの出場は平均7分強程度のものであり、長期契約最終年を迎えてキャップ空けに便利な彼を他球団にトレードで売り込むためのものではないか、という噂もありました。
T-MAC謀反か!?(2009年12月28日)
そんな起用を繰り返すロケッツ、そしてエイデルマンHCに対してT-MACは出場時間を伸ばす事を要求しましたが、エイデルマンHCがこれを拒否した結果、T-MACはヒューストンの自宅に帰ってしまいました。そして、遂にロケッツが動きます。
とりあえずT-MAC←→ケヴィン・マーティン(2010年02月18日)
この時点で一旦T-MACとケヴィン・マーティンのトレードが固まり、キングスへの移籍確定かと思われました。
T-MAC、ニューヨークへ/アマレ、残留(2010年02月19日)
しかし、ここにニックスが絡み三角トレードが成立、T-MACは一転ニックスへと向かう事と成ったのです。
http://sports.yahoo.com/nba/news?slug=ys-nba_trade_deadline_2010
ニックス←マクグレディー、ロドリゲス
ロケッツ←マーティン、ジョーダン・ヒル、ジェフリーズ、アームストロング、'11年1巡目指名権、'12年1巡目指名権(プロテクトあり)
キングス←ランドリー、ドーシー、ヒューズ
復活のT-MAC(2010年02月21日)
そして背番号3のまま向かったNYCで、T-MACは2/20、サンダー相手にFG10/17、26得点4リバウンド5アシストという鮮烈なリスタートを切ったのです。その後も2度の20点越え、7度の10点台をマークしたT-MACはニックスで9.4得点3.7リバウンド3.9アシストというスタッツをマーク。全盛期からは無論程遠いながらも、復活の兆しは見えました。
T-MACデトロイトへ/ラシード引退確定か(2010年08月11日)
http://www.basketball-reference.com/players/m/mcgratr01/gamelog/2011/
そして今季、T-MACはピストンズと最低保証額で契約。正直契約が決まるのも8/11とやや遅目という状況でしたが、本日(現地4/2)現在で8.2得点3.6リバウンド3.6アシストをマーク。しかも、リップ・ハミルトンがトレード材料として使われそうなため先発どころかローテーションからも外されたのと入れ替わるかのように先発に昇格、PG役を務めて今季複数回の2桁アシストをマークしています。マジックにおけるタコルーの感じにちょっと似てますかね?得点自体は減少しているものの、FG成功率は.436と全盛期の数字に戻りつつあります。かつてマジックで共にプレーしたグラント・ヒルの現在のように運動能力だけに立脚しないプレースタイルを開拓していけば、彼のキャリアはまだまだ続く可能性はあると思います。
http://www.slamonline.com/online/the-magazine/features/2010/08/wheres-the-love/
さて、一方のフランシスです。何度か紹介したこのSLAM誌インタヴューが行われた時点で、フランシスはバスケットボールそのものから遠ざかっていました。年齢的にはまだやれるのでは?と思わなくもありませんが、彼がNBAを離れるまでの状況を思い起こせば、彼の現役復帰が現実的で無い事は残念ながら想像に難くない事でした。
http://www.miamiherald.com/2010/07/28/v-fullstory/1749323/dolphins-ronnie-brown-eager-to.html
そんな彼を再びバスケットコートへと誘った原動力は、恐らくはヒートのBIG3形成だったのでしょう。ペニー・ハーダウェー、マーブリーに続き、彼がジェイ・ウィリアムズ共々ヒートでの現役復帰を願ったのは、言うまでも無くヒートのPGが手薄だと思われたからです。しかしながら、ここで名の挙がった全員が全員、実際には候補になったかどうかも怪しいのが正直なところでしょう。
http://offthedribble.blogs.nytimes.com/2010/11/24/iverson-and-francis-testing-overseas-markets/
しかし、最早フランシスの現役復帰への思いは止まりませんでした。そして遂に彼はマーブリーに続き、中国でのプレーを決断します。'10年11月に中国CBAに所属する北京ダックスと契約を決めたのです。2年契約で1年目が80万ドル、2年目がチームオプションで15%アップの年俸という契約内容でしたから上々の内容でしょう。
中国というロケーションを選んだ決断は、彼にとって最適であるかと思われました。何しろロケッツでのヤオミンの元パートナーとして、元々フランシスは彼の地では絶大な人気を持っていたのです。彼の現役復帰を受け入れる場所としては申し分無かったと言えます。
http://blogs.wsj.com/chinarealtime/2010/12/21/iced-out-ex-nba-star-francis-makes-beijing-debut/
そしてフランシスは、僅か17秒ではありますが遂にNBAでのプレー以来となるプロリーグでの試合出場を果たしたのです。彼の再デビュー画像はこちらやこちら等で確認出来ます。こちらだと13枚ほど画像が確認出来ますね。・・・面白いデザインのピンストライプですな。
http://www.niubball.com/2010/12/steve-francis-and-beijing-part-ways/
http://offthedribble.blogs.nytimes.com/2010/12/29/francis-strange-china-trip-ends/
http://sports.yahoo.com/nba/blog/ball_dont_lie/post/Steve-Francis-has-been-cut-from-his-Chinese-team?urn=nba-300842
しかしながら、フランシスの現役復帰はCBAでさえも上手く行きませんでした。チームに帯同する事13日間、6試合で合計14分の出場時間で0.5得点0.7リバウンドと全く存在感の無いスタッツに加えて、12/26の試合でHCによってDNPどころかインアクティヴ扱いされた事に腹を立ててハーフタイム中にチームを離れた事が決定打となり、彼はカットされたのです。
彼のコンディションが全く整っていない事は、残念ながら明らかでした。ダックスとすればネームヴァリューもあって高い契約金を出した彼の出場時間を伸ばしたいのは言うまでも無い訳で、それでもなお出番が無かったという事は、要は使いたくても使えないとHCが判断した訳です。上記の微かな出場時間も、恐らくはせめてものコーチとしてのギリギリの判断だったのでは無いでしょうか。
私は正直、フランシスが中国CBAのレヴェルを侮っていたのではないかと思うんです。NBAならいざ知らず、中国のリーグなぞ自分の元々の実力を考えればかつてのように思うがままにプレー出来る、と考えたのではないかと。それはあながち間違いでも無く、実際アリーナスと銃問題で揉めたクリッテントン、ドワイトと高校時代からの友人であるランドルフ・モリスなんかはCBAでは大活躍しているようです。え、スタッツ?CBA公式HPが中国語しか無いのであまりよく分かりませんが。
NBAでは殆どベンチに座っていたクリッテントンやモリスのような選手でさえ大活躍出来るリーグで、しかもチーム側はプレーさせたいだろうに出場時間さえ得られない・・・残念ですが、フランシスに最早その実力が残されていない事は明らかでした。あるいは真剣にコンディショニングに務めていればもう少しはプレー出来たのかも知れませんが、彼には残念ながら自分の現状を受け入れる謙虚さも無かったのです。その意味においては、腐らずプレーしているマーブリーの方が上なのかも知れませんね。
かくて、フランシスの現役復帰への道はほぼこれで終わってしまったと言えるでしょう。彼本来の兄貴肌振りを思えばコーチングも向いていなくはないかと思いましたが、このCBAでの状況を考えるとオファーを出してくるチームはNCAA含め難しいのではないでしょうか。彼が表舞台に立つには再び、ほとぼりを冷ますだけの時間が恐らくは必要となるのでしょう。
全盛期程の輝きを失いつつも未だNBAのコートに立ち続けるT-MAC、遂に海外リーグでも通用しなくなってしまったフランシス。このシリーズを始めた頃には、まさか2人の明暗がここまでくっきり分かれてしまうとは正直思いもしませんでした。ピストンズ自体が揉めていて大変ですがT-MACが引き続きNBAで長くプレーし続ける事、そしてフランシスがいつか今までと違う形ででも表舞台に登場して我々を喜ばせてくれる日が来る事を願って止みません。
長きに渡って続いた「栄光無き天才たち」シリーズ、当エントリーをもって一区切りとしたいと思います。新企画にも引き続きご期待下さいませ!
レット・イット・ビー
アーティスト:ザ・ビートルズ
EMIミュージックジャパン(2009-09-09)
販売元:Amazon.co.jp
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ここからはもう昨季以降の話になりますね。昨日の事のようですが、T-MACに関しては当ブログの記事を引用しつつ参ります。
T-MACの'09-'10シーズンは完全にヤオミンを欠く事が確定していました。このシーズンに入るにあたり、T-MACはラプターズでのルーキーイヤー以来決して変える事の無かった背番号1をレイカーズから移籍したばかりのアリーザに譲り、自らの背番号を3としたのです。これは彼が遂にチームの主役の座を降りる事を宣言したのかな、と当時思った覚えがあります。
確かに彼は主役の座を譲る他に選択肢はありませんでした。何しろ、またしても故障で出遅れ、開幕に間に合わなかったのです。彼がやっとコートに立てたのは12/15のピストンズ戦で、そこから何故か6試合に出場を果たします。しかしながらこの出場は平均7分強程度のものであり、長期契約最終年を迎えてキャップ空けに便利な彼を他球団にトレードで売り込むためのものではないか、という噂もありました。
T-MAC謀反か!?(2009年12月28日)
そんな起用を繰り返すロケッツ、そしてエイデルマンHCに対してT-MACは出場時間を伸ばす事を要求しましたが、エイデルマンHCがこれを拒否した結果、T-MACはヒューストンの自宅に帰ってしまいました。そして、遂にロケッツが動きます。
とりあえずT-MAC←→ケヴィン・マーティン(2010年02月18日)
この時点で一旦T-MACとケヴィン・マーティンのトレードが固まり、キングスへの移籍確定かと思われました。
T-MAC、ニューヨークへ/アマレ、残留(2010年02月19日)
しかし、ここにニックスが絡み三角トレードが成立、T-MACは一転ニックスへと向かう事と成ったのです。
http://sports.yahoo.com/nba/news?slug=ys-nba_trade_deadline_2010
ニックス←マクグレディー、ロドリゲス
ロケッツ←マーティン、ジョーダン・ヒル、ジェフリーズ、アームストロング、'11年1巡目指名権、'12年1巡目指名権(プロテクトあり)
キングス←ランドリー、ドーシー、ヒューズ
復活のT-MAC(2010年02月21日)
そして背番号3のまま向かったNYCで、T-MACは2/20、サンダー相手にFG10/17、26得点4リバウンド5アシストという鮮烈なリスタートを切ったのです。その後も2度の20点越え、7度の10点台をマークしたT-MACはニックスで9.4得点3.7リバウンド3.9アシストというスタッツをマーク。全盛期からは無論程遠いながらも、復活の兆しは見えました。
T-MACデトロイトへ/ラシード引退確定か(2010年08月11日)
http://www.basketball-reference.com/players/m/mcgratr01/gamelog/2011/
そして今季、T-MACはピストンズと最低保証額で契約。正直契約が決まるのも8/11とやや遅目という状況でしたが、本日(現地4/2)現在で8.2得点3.6リバウンド3.6アシストをマーク。しかも、リップ・ハミルトンがトレード材料として使われそうなため先発どころかローテーションからも外されたのと入れ替わるかのように先発に昇格、PG役を務めて今季複数回の2桁アシストをマークしています。マジックにおけるタコルーの感じにちょっと似てますかね?得点自体は減少しているものの、FG成功率は.436と全盛期の数字に戻りつつあります。かつてマジックで共にプレーしたグラント・ヒルの現在のように運動能力だけに立脚しないプレースタイルを開拓していけば、彼のキャリアはまだまだ続く可能性はあると思います。
http://www.slamonline.com/online/the-magazine/features/2010/08/wheres-the-love/
さて、一方のフランシスです。何度か紹介したこのSLAM誌インタヴューが行われた時点で、フランシスはバスケットボールそのものから遠ざかっていました。年齢的にはまだやれるのでは?と思わなくもありませんが、彼がNBAを離れるまでの状況を思い起こせば、彼の現役復帰が現実的で無い事は残念ながら想像に難くない事でした。
http://www.miamiherald.com/2010/07/28/v-fullstory/1749323/dolphins-ronnie-brown-eager-to.html
そんな彼を再びバスケットコートへと誘った原動力は、恐らくはヒートのBIG3形成だったのでしょう。ペニー・ハーダウェー、マーブリーに続き、彼がジェイ・ウィリアムズ共々ヒートでの現役復帰を願ったのは、言うまでも無くヒートのPGが手薄だと思われたからです。しかしながら、ここで名の挙がった全員が全員、実際には候補になったかどうかも怪しいのが正直なところでしょう。
http://offthedribble.blogs.nytimes.com/2010/11/24/iverson-and-francis-testing-overseas-markets/
しかし、最早フランシスの現役復帰への思いは止まりませんでした。そして遂に彼はマーブリーに続き、中国でのプレーを決断します。'10年11月に中国CBAに所属する北京ダックスと契約を決めたのです。2年契約で1年目が80万ドル、2年目がチームオプションで15%アップの年俸という契約内容でしたから上々の内容でしょう。
中国というロケーションを選んだ決断は、彼にとって最適であるかと思われました。何しろロケッツでのヤオミンの元パートナーとして、元々フランシスは彼の地では絶大な人気を持っていたのです。彼の現役復帰を受け入れる場所としては申し分無かったと言えます。
http://blogs.wsj.com/chinarealtime/2010/12/21/iced-out-ex-nba-star-francis-makes-beijing-debut/
そしてフランシスは、僅か17秒ではありますが遂にNBAでのプレー以来となるプロリーグでの試合出場を果たしたのです。彼の再デビュー画像はこちらやこちら等で確認出来ます。こちらだと13枚ほど画像が確認出来ますね。・・・面白いデザインのピンストライプですな。
http://www.niubball.com/2010/12/steve-francis-and-beijing-part-ways/
http://offthedribble.blogs.nytimes.com/2010/12/29/francis-strange-china-trip-ends/
http://sports.yahoo.com/nba/blog/ball_dont_lie/post/Steve-Francis-has-been-cut-from-his-Chinese-team?urn=nba-300842
しかしながら、フランシスの現役復帰はCBAでさえも上手く行きませんでした。チームに帯同する事13日間、6試合で合計14分の出場時間で0.5得点0.7リバウンドと全く存在感の無いスタッツに加えて、12/26の試合でHCによってDNPどころかインアクティヴ扱いされた事に腹を立ててハーフタイム中にチームを離れた事が決定打となり、彼はカットされたのです。
彼のコンディションが全く整っていない事は、残念ながら明らかでした。ダックスとすればネームヴァリューもあって高い契約金を出した彼の出場時間を伸ばしたいのは言うまでも無い訳で、それでもなお出番が無かったという事は、要は使いたくても使えないとHCが判断した訳です。上記の微かな出場時間も、恐らくはせめてものコーチとしてのギリギリの判断だったのでは無いでしょうか。
私は正直、フランシスが中国CBAのレヴェルを侮っていたのではないかと思うんです。NBAならいざ知らず、中国のリーグなぞ自分の元々の実力を考えればかつてのように思うがままにプレー出来る、と考えたのではないかと。それはあながち間違いでも無く、実際アリーナスと銃問題で揉めたクリッテントン、ドワイトと高校時代からの友人であるランドルフ・モリスなんかはCBAでは大活躍しているようです。え、スタッツ?CBA公式HPが中国語しか無いのであまりよく分かりませんが。
NBAでは殆どベンチに座っていたクリッテントンやモリスのような選手でさえ大活躍出来るリーグで、しかもチーム側はプレーさせたいだろうに出場時間さえ得られない・・・残念ですが、フランシスに最早その実力が残されていない事は明らかでした。あるいは真剣にコンディショニングに務めていればもう少しはプレー出来たのかも知れませんが、彼には残念ながら自分の現状を受け入れる謙虚さも無かったのです。その意味においては、腐らずプレーしているマーブリーの方が上なのかも知れませんね。
かくて、フランシスの現役復帰への道はほぼこれで終わってしまったと言えるでしょう。彼本来の兄貴肌振りを思えばコーチングも向いていなくはないかと思いましたが、このCBAでの状況を考えるとオファーを出してくるチームはNCAA含め難しいのではないでしょうか。彼が表舞台に立つには再び、ほとぼりを冷ますだけの時間が恐らくは必要となるのでしょう。
全盛期程の輝きを失いつつも未だNBAのコートに立ち続けるT-MAC、遂に海外リーグでも通用しなくなってしまったフランシス。このシリーズを始めた頃には、まさか2人の明暗がここまでくっきり分かれてしまうとは正直思いもしませんでした。ピストンズ自体が揉めていて大変ですがT-MACが引き続きNBAで長くプレーし続ける事、そしてフランシスがいつか今までと違う形ででも表舞台に登場して我々を喜ばせてくれる日が来る事を願って止みません。
長きに渡って続いた「栄光無き天才たち」シリーズ、当エントリーをもって一区切りとしたいと思います。新企画にも引き続きご期待下さいませ!
レット・イット・ビー
アーティスト:ザ・ビートルズ
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