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え、このブログ終了したなんて誰も言ってないっスよ?いつの間にやら400万ヒットありがとうございます

余は如何にして籠球信徒となりし乎

余は如何にして籠球信徒となりし乎・15〜2chの光と影

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さて、前にも少し話しましたが私は名古屋時代、一気に浪費王になってしまいました。一人暮らしで誰も咎めないのを良いことに次から次へと買ってましたね。あの時半分でも自制出来てたら、多分今頃もっと生活に余裕が持てたと思います。新入社員の頃の先輩に物凄い浪費王がいて、出張で稼いだ金を物欲に使い果たしてなお足らず、給料前借りまでしたと聞いた時は意味が分かりませんでしたが、この時代の私も前借りこそしませんでしたし預金が尽きるとこまでは行きませんでしたが、なかなか凄まじい無駄遣いだったなと。うん、正直反省してます(-_-;)

何しろスニーカーに留まらず、海外モノの通販に更に没頭してフットロッカー(イーストベイ)、米Amazonでもバンバン買い物してたから堪りません。日本で売ってないようなアパレル、スニーカー、そしてCDにヴィデオにDVDと本当に次から次へと買ってました。特に名古屋時代は広目のワンルームマンションに住んでたんですが、最終的には靴とCDの倉庫に住んでる状態でしたね。ほら、カーマニアが過ぎてしまいにガレージに住んでます状態のヒトっているじゃないですか、あれと全く同じです(^_^;)ホントにもう、何やってたんでしょうねー。

が、やがてそんな生活にもピリオドが打たれます。理由は2つあります。1つは2次元でない「俺の嫁」的なものが出来た事。今で言う草食系男子らしく私がここまで自らへし折ってきたフラグの数はなかなかのものでしたが、遂にそんな事になってしもうたのですよ。ここまでの大浪費って独身貴族、しかも彼女無しってのがやはり色々と歯止め聞かなくなった大きな要因だったんですよね、正直。

そしてもう1つは、会社の都合で名古屋のオフィスが実質無くなり、大阪と統合された事。この結果的出戻り人事は正直想定外でした。この後、流石に名古屋時代程の暴走買いは鳴りを潜めましたね。しかし、これでひとつ良かったのが、大阪のショップに行きやすくなった事。何しろこの時、私はなんと難波、南堀江方面に住む事にしたんです。私が近辺の予備校に通っていた頃はぱっとしない家具屋通りだったはすがすっかりオサレゾーンに変貌し、家具屋さん達は2代目に変わって方針転換したかのように輸入家具など扱い始め、それまで無かった「カフェ」などというこれまたオサレなものが林立していました。そしてオサレの極み、セレクトショップも次々進出してきていたのです。

しかし、そういったおしゃれ泥棒なストリート以上に私には重要な店がありました。難波でも堀江でもなく、京橋に、です。私はこの大阪出戻り時代、遂にKICKSさんのリアル店舗にコンスタントにお邪魔する機会を得たのでした。

流石に名古屋時代程にはガンガン買い物しなくなりましたし、ほぼ買い物より単なる雑談率の方が高かったはずの私でしたが、ちゃんぷ店長はじめ皆様は暖かく迎えて下さいました。そしてこの時代に私は、恥ずかしながらKICKSさん主催のバスケ大会なんてものにもお邪魔させて頂くようになったのです。

前にも書いたかどうか忘れましたが、私はそもそもバスケ部だった訳でも何でもありません。言ってみれば「陸(おか)サーファー」みたいなもんです。私は自分で「陸バスケ」と呼んでいます。そんな陸バスケな自分が、経験者だらけであろう方々に混じってバスケするとか、我ながらチャレンジャーにも程がありますな。でもまあ運動不足ですし、仕事関係ではフットサルが関の山でしたからね。いや、そっちはそっちで楽しかったですが。思えば、ゲームセンターでバスケゲームやってた時点で、私もリアルバスケやりたい熱があったんでしょうね。

かくて、高校か大学以来のリアルバスケとなりました私ですが、大量にNBAとストリートバスケを見てきただけあって、いつの間にか自分でも驚く程のムーヴが身に付いていました。まずは1日に1回必ず、靴が脱げる。次に1日1転倒。ダイヴィングとかそんな格好良いものでは決してありません、ただ転ぶだけ(笑)。

そしてある日、遂にストリートバスケもびっくりのオリジナルムーヴを私は繰り出してしまいました。なんと相手が打ったシュートのリバウンドを取るつもりが、ヘディングで自軍ゴールに押し込みかけるという、マリオンも真っ青のこのスキルに、コート上にいた全員が突っ伏したのです。・・・腹を抱えながら。さる常連さんの「ある意味テクニカルファウルや」というコメントが非常に的確でしたね。うーむ、私が身に付けたのはどうやら俗に言うブルーパーズなムーヴだけだったようですな(^_^;)

まあこんな有り様でしたが、たまにはシュートやらアシストやら決まると楽しいですよね実際。たまには会社の先輩(こちらは元経験者)やら後輩(彼は運動神経抜群でした)やら連れていったりなんかしましたよ。

因みに、KICKSさんバスケ大会に参加している時の私の写真を見て、嫁は一言「コスプレやな」と言っておりました(笑)。全身NBAだった訳じゃありませんが、まあ嫁から見れば似たようなもんだったんでしょうね(^^ゞ

ああ、あとこの頃、KICKSさんはレア物スニーカーを結構扱われていました。特に凄かったのがNBA選手実使用モデルならぬ、実使用前モデル。要するにシーズンが終わって使い切れなかった選手用モデルの残在庫をちゃんぷが入手、販売していた時代があったんです。当然ながらサイズは選手と同じものしかありません。

私が買ったので間違い無く記憶にあるのはタイチミッドのラリー・ヒューズモデル(GSW時代)、あとダレル・アームストロングモデルです。カラーはノーマルに近い青と黒でしたが、マジックファンとしてはこれは見落とせませんでしたね。他にもちょっと言えないような激レアモノを譲って頂いた事もありました。

とにかく、私にとってKICKSさんは単なるスニーカーショップ以上の存在でした。この後東京転勤が決まった時、記念にと買わせて頂いたスキップ・トゥ・マイ・ルーモデルの箱の中に皆さんの手書きメッセージを頂いたのも良い思い出です。

その後、一層金銭的に余裕が無くなった事もあってKICKSさんでのお買い物は殆ど出来なくなってしまいました。バスケット大会も大阪が遠くなって以来お邪魔出来ていませんし、今顔をだしたところでメンバー殆ど入れ替わってるでしょうねー。帰省時に顔を出したいのはやまやまなんですが、毎回家族関係の用事も多く入ってて京橋まで行く事が出来ずで、なかなかお会い出来ない状態が続いてしまっているのは残念です。なので、せめてここをご覧の皆様にだけはお伝えしておきます。

もしもあなたが関西圏にお住まいなら、一度は京橋の商店街ちょっと奥まったところにある、この素晴らしいスニーカーショップに一度は行ってみて下さい。スニーカー選手権優勝実績を誇る日本一スニーカーに詳しいちゃんぷ店長が貴方を迎えてくれるはずです。スニーカーマニアからバスケ部員まで面倒見てくれます。子供用のミニバスボールまでありますよ!

関西にお住まいでなくても大丈夫です。9,000円以上のお買い上げなら送料・手数料もかかりません!スニーカーに限らずバスケ回りのグッズにアパレル、アクセサリまで品揃えは幅広いです。アメリカ直輸入のアンダーアーマーなんて面白いのもありまっせ!(急に商売人口調) まーともかく、是非一度ご利用になってみて下さい。きっと男女問わずちゃんぷ店長の事が好きになりますよ!

最後に私信です。ちゃんぷ店長、大変ご無沙汰してしまってますがお元気でしょうか。こちらはいろいろありましたが変わらず元気です。今度こそ久々に顔を出せるよう頑張りますんで、その時は宜しくお願い致しますね

(次回「15〜そして、2ch」へ続く)



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前回、小林師範の名HP「NBAどっと混む」について触れました。師範、そしてこのHPが私に教えてくれた事はあまりに多いです。が、無論それだけがNBA系HPだった訳ではありません。

私があの頃、つまり'90年代末から'00年代前半にかけて見ていたHPは色々ありました。まだ2chには辿り着いていなかったあの時代、以前ご紹介したバスケットボールウィークリー閉鎖後に我々はしばし群雄割拠の感があるあちこちのHPを見て回っていました。各ページのリンクから更に他のサイトを回る、正しく「ネットサーフィン」状態だったんですね。そんな中で見つけたあちこちのHP中で、だんだん定期周回するようになるHPが定まっていく訳です。

今、あの時分のHPがそのまま更新を続けている例は殆ど見当たりません。ちょっと検索をかけてみて、さるサイトに残っていた当時のリンク集を見てみましたが、残念な事にほぼ全部が既にサイト自体が消滅しているか、更新を止めてしまったかですね。健在なのは島本和彦さんの「フープヒステリア」宮地陽子さんの「Yoko's Locker Room Talk」鈴木千絵さんの「CHIE SUZUKI HOME COURT」(現在ブログへ移行)、ぐらいでしょうか。プロのライターさん以外となると、私はもう「シャック対策委員会」(現在ブログへ移行)チッチさんの「MAGIC FUN」、あとicaringさんとこ(現在ブログへ移行)ぐらいしか思い付きませんね。あ、Kennyさんの「Go New York Go!」にHP時代があるのを今回初めて知りました、私。

そんな中、インターネットアーカイヴで記憶を辿りつつ、あの頃私がブックマークを入れていたHPの数々をご紹介していこうと思います。

Go Magic/電脳辺縁系

まずはマジック系です。私の「Magical〜」以前にあったマジック系サイトはこの2つでした。前者は割とオーソドックスな作りのHPだったのに対し、後者はそもそもサイト名からしてそもそもNBAコンテンツを扱っているようには全く見えませんでしたね(笑)。しもやまさんという個性的な方が作っておられましたが、久々に見ると今の私など及びもつかないスーパーハイテンション文体で綴られた各コンテンツ、そして占いとも何とも付かない「今日のあなたのロースター」等々、なかなか充実し倒してました。そりゃ私もハマりますわこれ。

残念ながら両者共サイトは消滅、残っていた掲示板も書き込みは広告ばかりになってしまっています。その後もT-MAC人気でマジックのサイトがいくつか立ったはずですが、当時の記憶は薄いです。

Go Magic(アーカイヴ)
電脳辺縁系(アーカイヴ)
電脳辺縁系掲示板

☆Slowly&Surely

ロケッツファンのRunaさんが作っていたサイトです。当時、サラリー関連の解説でここに勝る分かり易い説明をしてくれるところはそうはありませんでしたね。現在は閉鎖、消息は分かりません。

アーカイヴ

☆Zoo Crew

レブロン加入前からのキャヴスファン、住職さんのサイト。非常に深い知識に立脚した鋭い分析が私は好きで、'00年代よく拝見しておりました。こちらは確か予告して閉鎖したはずです。消息不明なのは同じですが。

アーカイヴ

☆NO DEFENSE

ここ、ここですよ。「NBAどっと混む」を別格とすれば私が一番当時定例巡回してたHPです。ここの魅力を語りたいためにこのエントリーを立てたんですからw

まず、サンズ応援HPである事を表すのにこの上無い程完璧なフレーズを用いたHPタイトルだけで既に脱帽です。しかもこれ、一時は「マイケル・フィンリー・アンオフィシャル・サイト」とか付いてました。しかも何ですか側転会ってw 確かにフィンリーはサンズにいましたが、それ以上にやはりダンクコンテストでの伝説の側転ダンクが管理人、garyさんの心を掴んで離さなかったんでしょう。

以前に紹介したと思いますが、AAで綴られた名作「マイケル・フィンリー物語」2chでgaryさんが連載(?)後にHPでも公開したものです。それ以来、このHPは「側転系」という、他にまず無いだろう修飾語付きで紹介される事となったのでしたw

HPの文章自体はかなり小さいフォントだったので読むのは多少骨が折れたものの、中身は読ませる上に笑わせる見事なテキストでしたね。コンテンツ自体は別にフィンリー話だけでは全く無く、当然ながらサンズメイン。今でも鮮明に覚えているのが、マリオンがドラフト指名された時の感想が「なんじゃこの亀顔は」だった事、その後の1年目からの彼の活躍を受けて良くファンが言っていたトレード放出案への反論ですね。マリオンがその後オールスターへと成長し、長きに渡ってサンズを支え続けた事を考えても、この識見は正しかったなと今でも思います。

しかしながら、残念な事にgaryさんもこのザッツエンターテイメントなサイトを閉鎖。マリオンのヴァレンタイン用写真(サンズHP公式)という謎かつアレな写真1枚だけの時期の後、「閉 そろそろ飽きたな。 もういい加減に許してくるだろ。」と書かれたテキスト1行だけ残っている状態に。最終的にはナッシュ復帰で頂点を伺っていた時期に「サンズ今年優勝すんのでよろしく。池袋!東口!」とテキストが更新されたのが最後となり、遂に今ではサイト自体が完全に閉鎖となってしまったのであります。

魅力的なサイトは当時の私が知らなかっただけで他にもあったはずです。NBAをそのままローマ字読みしただけの「んばっっ!」なんて命名センス溢れるサイトも印象に残ってますし、ウルヴス応援サイト「ミネソタズ・フォレスト」さんもなんか記憶にあったりします。まだまだ列挙するだけでも一杯あったはずです。

今にして思えば、あの頃は侍魂ろじっくぱらだいすの両巨頭を筆頭にテキストサイトが隆盛を極めた頃でもありました。しかし、やがてこれらのサイトも侍魂の更新停止に象徴されるように徐々に衰退していきました。NBA系テキストサイトの興亡もまた、それに平行した流れで推移したのでしょう。

サイト更新停止に至る経緯は私も経験している事なので分かります。何と言いますかですね、更新が義務的な感じになってくるとモチヴェーションが下がるんですよ。「やらなきゃ」とか思うと力一杯逆効果なんですよね、これが。

また、私生活面の変化も大きな要素です。例えば時間のあった大学生が社会人になった途端にサイト更新に時間を避けず店じまい・・・なんてよくありますね。あるいは彼女だの三次限嫁だのが出来て骨抜きにならないにしても、これまたシンプルに時間が無くなるってのもあります。子育てまで入ったら更にハードル上昇ですね。

かように、人は様々な理由でHP更新を終了するんです。私もまた、いつしかそういった環境の変化に流され、また更新にモチヴェーションのダウンと共にHP更新の頻度が徐々に下がって行き、やがて休眠への道を歩んでいく事となるのでした。

(次回「14〜KICKSさんの日々」へ続く)




ろじっくぱらだいすろじっくぱらだいす
著者:ワタナベ
ぶんか社(2005-03-14)
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余は如何にして篭球信徒となりし乎・12〜師範がいた

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さて私がHP「NBA Magical Inside」を始めた頃は、プロバイダー各社はやたらHPを作る事をユーザーにプッシュしていた時代でした。私も人に頼まれてなんか作ってみたりしましたが、今のブログと違ってまあとっつきにくい事。正直、「Magical〜」も友人の技術面援助(てか技術面全部ですが)が無ければ到底不可能でした。

そんな面倒を省みずNBA情報系のHPはそれなりの数になっていた中で、あの頃NBA系のサイトでトップと目されていたHPが「NBAどっと混む」(後にNBA Far East Divisionと改名)だったのです。HP作成者は「師範」こと小林孝さん。この方は日本でNBAがマイナーだった'70sからNBAを見ており、パソコン通信時代からその博識は知れ渡っていたようです。

「NBAどっと混む」はそんな師範の手書きイラスト(無論模写ですが、これは著作権違反を犯さないための師範なりの配慮でした)、そして確かな知識に裏打ちされた選手達にまつわるエピソードの数々がしたためられた、それは素晴らしいコンテンツでした。特に知る機会の少ない'60〜'70年代選手達の活躍・逸話の数々を知る機会に恵まれた事は大変有り難かったですね。あれがどれ程当時の私にとって勉強になったか知れません。

また、当時最高の人気HPだった事もあって相互リンク依頼が多く、私も同じく依頼したクチでしたが、師範は快諾されて下さるだけでなく、「そちらのHPは見たことがありますよ」なんて優しいコメントまで下さったのです!もう「まんが道」の手塚治虫先生に会った時の満賀道夫状態ですよ。ありがてえ!ありがてえ!

そんな師範の基本的なスタンスは「けなさない」でした。我々スポーツファンは得てしてチーム、ないしそのスポーツを愛し過ぎるからか、はたまた単に自惚れないし勘違いが過ぎてか、必要以上に批判的になり過ぎたりします。例えば「レブ論」とか(-_-;)そんな中、師範のコンテンツには根底にNBA愛がありました。安易なHC批判に対しては「NBAに能力の無いHCなんかいない、皆優秀な人間ばかりの競争なんだ」と説き、ご自身が批判的な記述をするとしても、単に叩くといった風でなく「こうだったら良かったのに」とアタック25での児玉清さんみたいな優しい解説を加える姿勢は、正に慈愛に満ちていましたね。

そんな師範のスタンスが一番明確に現れていたのがオフ会でした。私は残念ながら参加する機会に恵まれませんでしたが、後々HPの一コーナー「NBA虎の穴」にて公開されたオフ会の様子はなかなか素晴らしいものがありました。「マイケル・ジョーダンの似顔絵を記憶だけで描く」もなかなか難易度高かったですが、凄かったのが「日本ESPNのアナウンサー、吉田暁央さんと一緒に試合解説をやってみる」でした。ESPNのアナウンサーをオフ会に連れて来られるのも凄いんですが、実際に解説をやらせてみる、という師範の意図は明確でしたね。偉そうに解説者の悪口など言いがちな我々に対し、リアルタイムで的確なコメントを入れていく難しさを実際に体験させて解説者の苦労を分からせるというあの手法、今考えても素晴らしく秀逸でしたね。

そんな師範は自身がESPNで解説を勤めたり、また遂にはD誌にライターとして登場するに至ります。が、それらの露出と反比例するかのようにHPでの活動は徐々に減っていきました。やがて「NBAどっと混む」は「NBA Far East Division」へとリニューアルしましたが、閉鎖へと進むのにはそう時間がかかりませんでした。

閉鎖の理由は正直よく存じ上げません。2chなどでバッシングを受けた説、プライヴェート優先説もありますが。日本ESPNのHPに師範のコンテンツが登場したのでそちらに移転かと思いましたが、その後確か3回程度でそちらも閉鎖したので、それも違うようです。私は当時、遂に師範があのHPの記事を書籍で発売するのかとwktkしたものでしたが、残念ながらそんな話はその後未だにありません。スカパーでの解説からも身を引き、一時は毎号あったD誌の記事執筆もとんとご無沙汰。つまり、最近は消息不明なのです。

「師範」と呼ばれていた事実からも分かる通り、我々リンクをお願いしていた若者達は「門下生」と呼ばれていました。私はオフ会にも参加出来なかった、言ってみれば通信教育しか受けてない吉本新喜劇みたいな弟子でしたが、通信教育だけでも師範は私に多くの事を教えて下さったと思います。それは単に知識だけでなく、成熟したファンのあり方とでも言うべきものだったんじゃないかと。師範は正に、それを体現した方でした、

私も只今ブログで色々やらせて頂いてますが、まだ師範の背中も見えないような未熟者だと日々痛感しています。後に続く若いファンを育てんと頑張っておられた師範の勇姿(←お会いは出来ませんでしたがテレビで見ました)を、私は決して忘れる事は無いでしょう。師範、出来の悪い弟子ですが引き続き私は頑張ります。

P.S.

インターネット・アーカイブよりNBAどっと混む

こちらで師範伝説のHPをある程度まで閲覧可能です。

(次回、「13〜思い出の名ホームページたち」へ続く)



嘉納治五郎師範に学ぶ嘉納治五郎師範に学ぶ
著者:村田 直樹
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トロント→ニューヨーク、1週間旅行。ええ、あれは旅行以外の何者でもありませんでした。私の以前勤めていた会社は1年半に1度、アメリカ本社でのコンベンションに日本の社員も呼んでもらえるという研修旅行があったのです。が、その実態は研修といっても殆ど観光。トロントで数日のコンベンション、ニューヨークで見学がちょっとある以外はサイトシーイング全開なスケジュールとなっておりました。時は2000年夏、カーターがあのダンクコンテストでNBAを興奮の坩堝に叩き込んでいた頃。私もKICKSさんで何とか入手したAND1タイチの赤白を履いて成田空港へと向かったのであります。惜しくもタイチはミッドじゃなくローでしたが、当時は凄まじく品薄だったので贅沢は言えませんでした。つーか、あのタイミングでタイチの赤白を入荷していたKICKSさんは正に神。

さて、実は当日飛行機乗るまで知らなかったのですが、実は飛行機はトロント直行便ではありませんでした。経費の都合なのか何なのか未だによく分かりませんが、なんと飛行機はヒューストン行き。そこで乗り換えてトロントへ、という謎な行程だったのです。が、これが私個人にとって大きく幸いしました。ま、そんな事を思いもせずに、私は日本で買って持っていったSLAM誌を読みつつ、機内放送で「風雲!たけし城」を見ながらアメリカへ向かったのです。あ、気がつけば機内の日本人が揃って「たけし城」を見ていた事を言い添えておきますw

ともあれほぼまる1日のフライトを終え、私が初めて足を踏み入れたアメリカ、ヒューストン。ちょうど「ハリー・ポッター」の第1巻があちらでセンセーションを巻き起こし始めていた頃でもありました。あ〜、この眼鏡魔法使い少年のブームは確実に日本に来るなぁなどと思いつつ空港を歩いていたら、持ってきたのと同じSLAM誌が売られていたので思わず購入。何せ、ヒューストンの地で表紙がフランシスでしたからね。

さて、時間が来ましてトロント行きの中型航空機に乗り込むと、前の方の席にデカいブラック若人さんが。ちょっと目に入っただけなので誰なのかは分かりませんでしたが、もしやNBA選手かな?と思いつつ自分の席へ着き、飛行機は一路トロントへ。やはりヒューストンまで乗ってきた大型機と違って揺れます。

無事、トロントの地に到着して荷物受取所へ。すると、さっきのデカい人が。今度こそ分かりました、間違い無く彼はNBA選手です。何しろ、私がここまでやってくるまで読んでいて、更にヒューストンの地で更に1冊買い足したSLAM誌に1P記事が載っていた選手だったんですから。会社の先輩にサインペンを借りて、私はヘッドホンを耳にして立っている彼のところへ向かいました。かくて、言葉の無い会話が私と彼の間でかわされたのです。

私:(SLAM誌のページを見せて)「これは貴方ですか?」
彼:「うん」(と頷く)
私:(身振り手振りで)「サインOKですか?」
彼:「うん」(と頷く)


SLAM誌の自らの写真の上にサラサラとサインする彼に、更にお願いです。

私:(身振り手振りで)「写真OKですか?」
彼:「うん」(と頷く)


公私混同


写真撮影は一緒に来ていたエージェントと思しき方がやって下さいました。彼、ラシャード・ルイスは特に表情の変化こそありませんでしたが、プロ選手としてやるべき事を淡々とやってくれたのです。握手ぐらいしとくんでした。エージェントの方々に頭を下げて帰っていったのは覚えてます。それにしても彼、私より遥かに年下なんですよね。きっと彼の方ではそうは思わなかった事でしょうけど

後でコンベンション会場を兼ねたホテルに着いてから新聞を読んで知りましたが、ルイスはこのオフにFAとなっており、ラプターズとの交渉の為に故郷ヒューストンからトロントまで移動していたのですね。まあ、トロントの空港で彼に気付いていたのが私だけだったというのも何だか不思議でした。ホテルでESPNのニュースを早速チェックしているとT-MACのマジック入りが濃厚なんてニュースが流れていたこのタイミング、ラプターズファンにとってはそれどころでは無かったのかも知れません。T-MAC離脱の穴埋めにルイスってのは、まあ確かにラプターズの狙いとしては面白いところではありましたが。なお、このオフ結局ルイスはソニックス(現サンダー)との再契約を選んでおります。私が彼の姿を次に生で見掛けるのは、ジャパンゲームスのソニックスVSクリッパーズ戦を待たねばなりませんでした。

という訳で、トロントに着くなりNBA選手に遭遇した私はこれでほぼ運を使い切ったと言って良いでしょう。つーかシーズンオフにNBA選手に遭えた時点で最早悔い無しって感じですよね。でもまあ、折角来たんですからやはりまだまだ色々やってみよう!という事で、研修行事の合間を縫ってホテルから足を伸ばして向かった先は、エアカナダ・センターでした。

エア・カナダセンター


が、この日は勿論NBAもやってませんし、センター自体お休み。売店だけが開店していましたので、迷わずカーターのジャージーを購入。ホーム用のオーセンティックでした、というかオーセンティックはそれしかありませんでした。で、それを持ってまたホテルまで戻った訳です。因みに結構歩きました。その行きと帰り、どちらかは忘れましたが現地の白人の方にすれ違い様に「Nice shoes!」と例のAND1タイチロー赤白を誉めてもらったのは良い思い出です。確か、どこで手に入れたかまで尋ねられた記憶があります。頑張って仕入れて良かったです、KICKSさん有難う有難う。なお、ジャージーは早速コンベンション会場で着用しましたよええ。

コンベンションそのものでは日本代表のスピーチを!って事で、英語の全く出来ない上長さんが「ハロー、トロント!サンキュー!」だけでスピーチを終えた時は我々一同、飛行機離陸の瞬間よりも緊張したものでしたw また、コンベンション後のパーティーでは外人さんたちのノリについて行くのに苦労した覚えがありますね。特に同い年の同僚と2人でビリヤードやってたらこれまた2人に乱入された時はビビリましたよ。で、私はショットを空振りしたと思ったら微妙にカスってて、狙っていたのと違うボールを落とすという離れ業を演じ、「Oh, what a shot!」などとNBAのアナウンサーみたいな事を言わせて彼らを爆笑させたのでありました。ま、その後フルボッコで負けたのは言うまでもありませんがw

トロントでの日々は瞬く間に過ぎ、今度はニューヨークへ。こちらでは本社ビルの見学などを多少やったら後はもうフリータイムでしたね。私をスニーカーの道へと誘った先輩と一緒にナイキショップにも行きましたが、私が真っ先に向かったのはもちろんNBAストア。確か都合3回は行ったはずです。何を買ったかはやや記憶が怪しいですが、NBAロゴ入りバッグ、それとNBAのチーム別CDを買いまくった事だけは覚えてます。

NBAストアが閉店した事を思えば、これはこれで正解だったのかなと今は思いますね。あそこだけでしか入手出来ないものって、各チームのスター選手以外のジャージーぐらいだった気もしますが、やはり店の雰囲気はNBAファンとしては非常にテンション上がるものでしたね。店頭用ヴィデオで流れていたジェリー・ウエストのハーフコートショットを見て現地の方が「Crazy・・・!」とか言ってたのを思い出しました。

あと、HP常連のtackさんに頼まれてAND1タイチを探したりもしました。が、これが見事に在庫ありませんでしたね。やっとフットロッカーかフットアクションかで見つけたタイチはオール白のロー。ま、買って帰りましたが結局これは私のものになって、まだ手元にあります。

ニューヨークではあちこち地下鉄でウロチョロしましたが、街のスニーカーショップでAND1の怪しげなモデルとか売ってましたねぇ。こっちは買おうかどうか正直悩みましたが結局止めました。あと、上司がロレックス買って来いというので、チャイナタウンでお菓子入れるような缶の箱に纏めて入れてあったロレックスを買ったのも良い思い出です。因みに上司はそのロレックス、喜んで使ってました。

ニューヨークではベタな観光スポット(自由の女神とかそういうの)には殆ど行かなかったのです。それは別に構わないのですが、一つだけ後悔してるのはマディソン・スクエア・ガーデンに行かなかった事でしょうか。まあバスで前は通り掛かったんですけどね。

流石にもうNBA選手に偶然遭うとかそういうのは無く、我々も今度こそ直行便で東京へ。かくて、私のアメリカ大陸行は終わりを告げたのでありました。さて、今度アメリカへ行く日はいつの事でしょうかね、私。またこんなサインをもらえる機会が来る事を願います。

ルイス生サイン


(次回、「12〜師範がいた」へ続く)




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昔から、夢中になったら止まらない質でした。

兄の影響で色々ハマりました。昭和の子供にありがちですが太平洋戦争当時の日本艦隊の軍艦の名前を暗記したり、日本の城に詳しくなったり、国鉄(JR?何ソレ旨いの?)車両の種類を把握したり。プラモデル作るにもウォーターラインシリーズで何故か駆逐艦とか上陸用舟艇(分かります?)、しまいには戦艦ミズーリとか作るヒネクレ者でした。なぜそこで大和じゃない・・・。こういうところで既にマニアな性分が垣間見えてますね。

学生になってもハマるととにかく没頭しました。星新一の文庫本は全て中学時代に買い集めましたし、浪人中にそれまで買った総量以上のCD買ったりとかどないやねんと。実家には恐ろしい量のCDとカセットテープを置いてきてます。ちょっとでも安く、と関西人気質全開で日本橋(当時はまだ電気街でした)の中古CD屋とテープ屋をさ迷ったもんです。一時はカセットの商品名とグレードまで完全に頭に入ってたもんでしたね。

そんな具合でしたが、学生時代はお年玉だの小遣いだのバイトだのとありましたが、まあやはりハマれる趣味にも限界がある訳です。所詮は親に養われてる身ですからね。しかし、私も就職して自ら稼ぐ段となり、しかもたまたま一人暮らしとなりました。しかも知り合いもいない私にとって未開の地、名古屋です。元々大阪勤務時代に先輩方に仕込まれたせいで、私もそこそこスニーカーは増え始めてました。「営業だから靴がすぐ減る」なんて大ウソまでこいてましたが、まあそれでも親と同居してるうちは親が抑止力になっていた節があります。

その抑止力から遠ざかった尾張名古屋の地で、私は一人暮らしを始めたのであります。そりゃまあ色々暴走もしますよね。しかも、当時の勤務環境の都合で私には手当等が結構付くようになりました。要するに、経済面に余裕が出来た訳です。そんな時に私はスニーカーにハマりつつあったんですから、まあ渡りに舟だったんですね。まず私が始めた事は、名古屋の栄中心にスニーカーショップを回る事でした。

その頃、私は大阪時代の先輩が言っていた事を思い出しました。京橋にいたさるスニーカーショップ勤務の方が、そのショップ倒産後に独力でショップを立ち上げて頑張っておられると。時は既にインターネットな世の中になっていました。私がその京橋の店舗、KICKSをブックマークに加えるのにそう時間はかからなかったのです。更にこの時期、私は海外からの個人通販にも走り始めていました。イーストベイで買い物したら送られてくるカタログを会社の先輩が眺めていたのをたまたま見掛けて、私は個人輸入という手法を知ったのです。当時私が狙っていたのはズバリ、新興ブランド、AND1でした。

AND1が最初に日本のバスケファン、スニーカー好きにその名を認知させたのはミックステープよりもマーブリーとの契約とシグニチャーモデル発売では無かったでしょうか。何故か日本のスニーカーショップにも普通に置かれてた事もあるマーブリーの初代モデルは、しかしデザイン的にはまだまだこれから、って感じでしたね。私の心にAND1がヒットし始めたのはやはりダレル・アームストロングと契約した頃からでしょう。デザイン的にもレヴェルアップしていったのはこの時期だったと記憶しています。そして、その地位を確かなものにした選手が2人いました。

1人はラトエル・スプリーウェル。ウォリアーズ時代のカーリシモHC首絞め事件とNBA永久追放の憂き目からのニックス入り、そして'99プレーオフでの奇跡の第8シードからのファイナル進出。彼がその時履き続けていたのがまさしくAND1でした。「プラウド・サポーター・オブ・ラトエル・スプリーウェル」という誇らしげな広告のキャッチコピーのカッコ良さったら無かったですね。



もう1人は勿論ヴィンス・カーター。ルーキーイヤーに契約していたプーマと揉め、スニーカー界のFA状態になってナイキ、アディダスなどフリーに履いていたカーターが、史上最高のダンカーの地位を不滅のものとした2000年ダンクコンテストの夜、彼の両足を支えたのがAND1最高傑作と言える名バッシュ、タイチー・ミッドの白赤モデルだったのです。

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AND1 Tai Chi Mid アンドワン タイチ ミッド (White/Royal/Silver)
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当然ながらバスケファンの間でタイチーの人気はうなぎ登りになりました。が、当時まだ日本にAND1正規販売店はありませんでした。そのため、私はイーストベイ、そしてフットロッカーのウェブサイトに希望を求めたのです。当初私が欲しかったのはスプリーとアームストロングが履いていたモデルです。お分かりかと思いますが、これは青色ベースモデルでした。何とか1足はフットロッカーで仕入れたものの、サイズはやや小さ目でしたね。で、四苦八苦してた矢先にKICKSさんのサイトに辿り着いたという次第です。

KICKSさんが私の中で存在感をグッと増したのはやはりタイチー・ミッドを探し始めたあたりです。あの時点でAND1商品をあれだけガンガンに仕入れているショップはそうは無く、また名古屋というロケーションでは尚更店頭での商品探しは困難でした。

かくて私はKICKSさんのお世話になる事になりました。もう新しいカラー入る度に喜び勇んで購入ボタン押してましたね。私も若かったです、ハイ。あの頃は当然ながらアメリカでもAND1がブレイクしまくっていた時期なはずで、そんな品薄状態からどうやって商品を仕入れていたのか未だに分かりませんが、それが出来るのが店長ちゃんぷさんの辣腕というものでしょう。流石はスニーカー選手権チャンピオンです。

家に帰ればホームページ更新とバスケTV観戦、KICKSさん&フットロッカーのHPチェックの日々。なかなかいい感じにバスケ一色に染まりつつあった私に、物凄いタイミングで海外へ行けるチャンスが舞い込んで来ました。会社の研修の一環で、何年かに1回ある北米行き。そのおはちが、なんと私に回って来たのであります。

(次回、「11〜“ハロー、トロント!”そしてニューヨーク」へ続く)

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当シリーズ第7回でも書いたように、私は「バスケットボール・ウィークリー」(以下BW)でネットデビューを飾った訳ですが、その掲示板では案の定と言いますか、私も参加したくなるような話題での書き込みがあちこちにありました。私もそこかしこにツッコミを入れてみたりした訳であります。

掲示板の雰囲気は、それなりに平和、たまに波風が立つぐらいの感じでしたかね。2chなんかに比べればまだまだ可愛いものでした。まあ、2chカルチャーがまだ浸透していなかったってのもあるかも知れません。今やヤフー記事のコメント欄と2ch書き込みに大差無いですからねぇ。

それはさておき、私もこの掲示板で色々学びました。一番記憶にあるのは「ジャズ事件」でしょう。事件と言ってもそんな大それた話でも無いんですが、簡単に書くと、

ナゲッツファンが「今季はプレーオフ目指すぞ!」と書き込み
→私「そうだ!ジャズを蹴落とせ!」

・・・もうね、馬鹿かとアホかと(ry

ナゲッツファンを応援するのは良いとして、何故そこでジャズを叩く必要あんのかと。ツッコミ待ちかと。案の定、この書き込みにジャズファンの方がお怒りになりました。この方、後に私がマナーの悪い書き込みを注意した際に「あなたに言えた事ですか」と再度突っ込んでこられた程ですから、余程腹に据えかねたんだろうなと思います。これをご覧になっておられるとは思いませんが、いや本当にあの時はすいませんでしたm(__)m

あと、多分高校生ぐらいなんじゃないかと思いますが、「僕はNBAの事なら何でも知ってます!」なんて書き込みがあって、皆で質問責め(勿論NBA知識で)にしてしまった事もありましたね。うん、彼も彼だったとは言え、あれは正直大人気無かったなと(-_-;)

色んな事をあの掲示板で私は学んだと思います。ネットの書き込みなんだから誰もが見る可能性がある。そんな当たり前の事を知らなかったんですよね、あの頃は。

そんな中、BWの掲示板で出会った方々がいました。ipp-anさん、tackさんといった方々です。勿論ネット上での事ですから直接面識がある訳ではありませんでしたが、やがて私はipp-anさんのHP掲示板にも出入りする事となります。BW掲示板でも何だかipp-anさんとは話が合ったんですよね。そして、その頃、私はひとつのプランを進行させていたのです。それはホームページ作成でした。

実のところ、ホームページ設立プランは元々ありました。当時は「ホームページを作ろう!」みたいな事をよくプロバイダーが広告で謳っていたものでしたね。ホームページとか一歩間違えたらプライヴァシーに関わるんですが。ですので、私は最初から一切本名は出さないと決めていました。私をネットに誘った友人はホームページデザインもやってまして、私にもホームページ作成を提案して来たのです。私の方も文章を書く事に何ら苦痛を感じないどころか、むしろ長文を書くのはお手のものでした。ましてそれがマジックの話題なら尚更です。

友人と何度か打ち合わせ、ホームページのデザインの方向性を固めました。私の希望は「とにかく青色ベース」、友人の野望は「フラッシュを多用したHP作成」でした。2人のアイデアの合作があのロイヤルブルーベースの地色に白のフォント、そして友人が凝りまくったフラッシュによるコンテンツ表示だった訳です。

記事内容はBS放送などでの試合レビュー、全チームのレビュー、日々の記事をアップするさるさる日記、掲示板。正直企画倒れに終わったコンテンツもありました。まあ最初はどうしても気合い入り過ぎますからね・・・。

ともあれ、ホームページは無事竣工、私は「NBA Magical Inside」を立ち上げました。ipp-anさんに「最初からこんなカッコイイホームページ作っちゃダメでしょ!」とお誉めの言葉を頂いたマジックブルー一色のこのホームページを、私は毎日更新していったのです。

P.S.

当記事をもって、弊ブログの投稿数が1,000となりました。10,000、更に上を目指して引き続き頑張りますので宜しくお願い致します。

(以下、「10〜KICKS、そしてスニーカー狂時代」へ続く)

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余は如何にして篭球信徒となりし乎・8〜バッシュへの目覚め〜

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時計の針をまた戻します。'95年に登場した名作スニーカー、AIRMAXの登場と共にスニーカー市場は一気に活気付きました。渋谷の街頭には堂々と偽のAIRMAXが売られ、かといって本物を履いて渋谷に行けばAIRMAX狩りに遭う、そんなカオスなスニーカーブームが訪れたのです。

私の社会人デビューはそんなスニーカーブーム冷めやらぬ頃でした。会社の先輩方も例外では無く、既に2人が数日履いただけでソールの剥げるような偽AIRMAXを掴まされていたのです。そんな中、先輩方の見習いとして一緒に外回りをする間、新入社員の私は先輩方の私利私欲でよくスニーカーショップに連れ回されたものです。

そんなある日、とある先輩(このヒトは偽AIRMAXを掴まされませんでした)と一緒に寄った先は京橋、京阪モール。例の如くスニーカーショップに立ち寄った先輩が私に教えてくれた事がありました。このショップにはテレビ東京系の番組「TVチャンピオン」のスニーカー部門で全国優勝を勝ち取った凄い店員がいる、という事を。しかし、諸事情あってその店に長居は出来ず、私はそのカリスマ店員さんの横顔ぐらいしか見る事は出来なかったのです。それが、「ちゃんぷ」さんを初めてお見かけした時でした。しかし、私がちゃんぷにお世話になるのには、まだ時間を必要としていました。ひとつにはちゃんぷがお勤めだったショップが倒産してしまった事。もうひとつは、私自身がまだスニーカーに何も思い入れが無かった事でした。

シャックのお陰で大学時代に一度は彼のシグニチャーモデルを買った私でしたが、いざ履いてみるとジーンズには今一つ似合わなかったのです。そりゃあそうですね、私のジーンズは当時細身でしたから。結局それきり、私はステファン・エトバーグ(当時の「テニスの王子様」でした)モデルぐらいしか履いていなかったように思います。コンバース?家の近所で売ってた特価のグリーンをハイカットで履いてましたが、そもそもあれをバッシュという意識で履く人間は稀でしょう。

かくてスニーカー離れと言いますか、スニーカー自体特に意識もしていなかった私をけしかけたのは回りの先輩方でした。それでもしばらくは心動かなかった私でしたが、バッシュとNBAとの深い関係を考えれば、再びスニーカーに意識が向くのは理の必然ではあったでしょう。

きっかけはペニーでした。東京の先輩が、1足売りたい靴があるというのです。靴の名前はエア・ペニー2、最近やっと復刻されたあの名作でした。他ならぬペニーの靴ならまあアリかなと思った私は先輩からこのバッシュを買う事に合意したのです。これが、大きな大一歩でした。

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初めて履いたNIKEの靴は、噂に聞いていたAIRが非常に足に心地良かったのです。ああ、ハマるなこれは、と思いました。

やがて、私も徐々に商品知識を覚えていきます。エアジョーダン、フォースワン。'95AIRMAX復刻版も大学の後輩にあたるヒト(面識ありませんでしたが、たまたま会って話したらそうでした)の協力で阪急イングスにてゲット出来たり、当時既に売上が今ひとつだったエアジョーダン最新モデルに手を出したりしてましたね。

Nike Air Jordan 12 Retro ナイキ エア ジョーダン 12 レトロ (Black/White/University Blue) USAより直輸入!! ナイキ ジョーダン
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しまいに貯金を重ねて買ってしまった高級モデルの名前は、ペニー専用モデル、フォームポジット。スニーカーに興味薄な先輩に「それはカッコ良いのか?」としみじみ尋ねられた思い出のあるこの1足は、私にとって最重要バッシュの一つとなるのです。

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かくてスニーカーファンへの道をひた走りはじめた私に、更に深みにハマるきっかけが訪れます。転勤、です。名古屋の地で一人暮らしを始めた私を止める口うるさい親はもう近くにいません。そして、細かい説明は省きますが当時の私は可処分所得が結構ありました。私のスニーカー狂時代がいよいよ幕を切って落とされようとしていたのであります。

(以下、「9〜“NBA Magical Inside”始動〜」へ続く)

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さて、私も遂に社会人となりました。自分の稼ぎが出来れば、私も今まで手の届かなかったものが買えるようになってきます。今まで多少立ち読みしていた「DUNK SHOOT」「HOOP」両誌を私が毎月25日朝に最寄り駅の書店で買うようになったのは就職後の事です。割と雑誌・新聞好きな私にしては、今にして思えばこれは意外でした。学生にはちと高い価格設定なんでしょうね、あれは。

社会人になろうとも私のNBA熱は変わりませんでした。しかし、もう一つ変わらなくて困った事があります。それはリアルな友人に、NBA好きが殆どいなかった事です。大学時代は結局サークルのイケメン後輩1人ぐらいしかNBAバナも出来ず仕舞いだったのです。会社に入ってもそれは同じでした。いや、むしろ状況は悪化しましたね。回りは全員先輩だらけ、とてもNBA話どころじゃありませんでした。私の職種は営業だったんですが、当時の得意先にもやはり同志はいませんでしたね。

後は一緒に家でテレビを見ていた兄ぐらいですが、兄も私が社会人に何年もしないうちに身を固めてしまい、新婚家庭を築くべく家を出てしまいます。もうこうなると、NBAの話など誰にも出来ません。まあ大学時代から実質そうだったんですけど。

何かにハマっているのに回りに同好の士がおらず孤独にその趣味に没頭する他無いかに思われた私のような人間への福音、いや悪の道だったのかも知れませんが(笑)、活路が開かれ始めたのがこの頃です。そう、それこそが皆さんが今見ているモノ、「インターネット」でした。

私のネット参戦はやや遅く、'98年だったかと記憶しています。パソコンに大変詳しいリアル友人が「これからの時代、パソコンも分からないと使い物にならない」と再三主張するのを受け、遂に私もパソコンを買う決意を固めたのです。当時会社にもネットに繋がったパソコンはまだ1人1台入らなかったぐらいでしたが、今にして思えば友人の言は全く正しかった訳です。プレステかセガサターンかの二択では間違えた彼でしたが、この件に関してはパーフェクトでしたね。

友人の指導の元にIBMを購入し、セットアップも彼が行いました。何もかもおんぶにだっこですね、ハイ。かくして私のネットライフがスタートします。テレホーダイとか今では死語ですよね。夜11時から朝8時まで、急に重くなるネット回線と格闘しながらのネットサーフィン(←これまた死語)に勤しんだのです。

ネットで最初に見たのは勿論NBA.com。私は決して英語が堪能だった訳ではありませんでしたし今でも怪しいものですが、そこにこそ最新情報が溢れている事が一目瞭然な以上、毎日見る以外に選択肢は無かったのです。しかし、NBA.comの公式情報発信だけではやがて満足出来なくなってきます。それに、やはりまだまだネットデビューもそこそこですから日本語サイトに行きたい訳です。日本語でNBAの情報を纏めたサイトはないものかと彷徨っていた私が辿り着いたのは、So-netのNBA情報サイトでした。その名前は、「バスケットボールウィークリー」(以下BW)と言いました。あ、リンク張ってみましたがもう跡形も無いですからね、念のため。どんなサイトだったかもう忘れてしまったという貴方のために、インターネットアーカイブという秘密兵器を使って、思い出してもらうとしましょう。

http://web.archive.org/web/19990218121338/www.so-net.ne.jp/BW/

ここには非常にコンパクトにNBAの最新情報が日本語訳で掲載されていたのです。このダイジェストニュース的なメインコンテンツが当時どれ程有り難かった事でしょう。連載陣にもジョージ・リベイロ、梅田香子といった有名どころのNBAライターさんを用意していました。そして充実したリンク集にはESPNをはじめCBS、CNNなどアメリカのメディア、アメリカを代表するバスケ専門誌「SLAM」、各選手の公式サイトなどが掲載されていました。

http://web.archive.org/web/20000823034216/www.so-net.ne.jp/BW/keiji/kindex.html

そして今ひとつ、ここのHPの魅力はこの掲示板でした。残念ながら今となっては書き込み内容までは確認出来ませんが、トゥリー形式のこの掲示板で皆思い思いのネタ振りで盛り上がっていたのです。それまでNBAのコアな話をする相手が全くいなかった私にとって、そこは桃源郷以外の何物でもありませんでした。ROM専だった私がネット書き込みデビューを果たすのに、さして時間は必要では無かったのです。

ただ、ペンネームならぬハンドルネームに悩みました。マジック大好きっ子さんとか今ならネタで名乗るかも知れませんが、関西人の癖にギャグセンスに著しく欠ける私は全く考えが浮かばなかったので、止むを得ず手近なCDの曲名などを眺めていたのです。で、手に取ったのが青いジャケットの名盤、「サキソフォン・コロッサス」でした。ポップスとクラシック少々はわかってもジャズの世界に疎かった私は、このジャンルも勉強してみようと思い、手始めにとソニー・ロリンズのサックスが吹き荒れるこのアルバムを買ってみていたんですね。で、割と気に入ってました。

このCDの1曲目「セントトーマス」を、そのままハンドルネームにしてしまったのです。ああ恥ずかしい。これ多分、ビートルズで言ったら「レット・イット・ビー」とか「イエスタディ」あたりを引用するようなもんじゃないでしょうかね。ともあれ、選んでしまったものは仕方ありません。かくて私も遂にネットの海原へと漕ぎ出したのでありました。

P.S.

「セント・トーマス」は私が一番仕事がはかどるBGMですね。何だか曲調に合わせてテンションが上がると同時に、手まで早く動くようになるんですよ。煮詰まった方、騙されたと思ってこのYoutubeでお試しあれ。ベタですが「サキソフォン・コロッサス」のヴァージョンが私は一番お勧めです。



(以下、「8〜バッシュへの目覚め〜」へ続く)

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マクドナルド。皆さん普通に利用されているあのファーストフードも、スーパーサイズミーとか名ばかり管理職とかバイトしたら女子高生の彼女が出来るなんて幻想だとか色々問題がある訳ですが、それはさておき、元々アメリカンな会社だけあってバスケットボールにはお金出してくれたりします。例えば高校生のオールスター戦の1つ、マクドナルド・オール・アメリカン・ゲームは分かりやすい例ですね。また、かつてはNBAの1チームがヨーロッパへ出向いてユーロのクラブチームと対戦する、その名も「マクドナルド選手権」が'87〜'99年まで開催された事もありました。

一方でマクドナルドという店舗自体、プロモーションの場として非常に有効なのです。時々マクドナルドと組んでポケモンとかが色々やってますが、あれなんかはマクドとポケモンを提供する側(株式会社ポケモンってあるんですね、初めて知りました)の双方にメリットがある訳ですよ。ポケモン目当てで子供の来客が増えて嬉しいマクド、ポケモン人気に拍車がかかって嬉しい(株)ポケモン、正にWin-Winなんですね。

かくて、話は'94年に戻ります。日本でNBAの展開を様々仕掛けていた伊藤忠商事も、この頃にはかなり手応えを感じつつ、より強固なファン層を確立したいと思っていたはずです。とはいえ、テレビというメディアはF-1やK-1、いやそれ以前にボクシングやプロレスがそうだったように日本人が選手にいないとなかなか取り上げてくれません。ではどうするか。ストリートプロモーションかけるにも、音楽や映画と違うのでやり方が限られます。

凄腕ビジネスマンの集まる伊藤忠商事は流石に違いました。彼らはNBAのイメージにピタリと合致する全国チェーンと組んでキャンペーンを組み、一番売り込みたい相手、若年者にもっともダイレクトにNBAを売り込める施策を練り上げたのです。

(ここから、BGMは中島みゆきの「地上の星」で)

かくて'94年、マクドナルド店頭キャンペーン、“Be the Best!NBA”がスタートしたのです。キャンペーンの概要は私もやや記憶が怪しくなってますが、こんな感じだったかと。

・セットを頼む毎に1枚、NBA各チームのロゴ入りステッカーを1枚プレゼント
・ステッカーが10枚たまると、店頭でチームロゴ入りピンバッジと交換
・更に応募抽選で特典

抽選のあたりがかなり怪しいんですが、だいたいこんな感じです。

しかし、私は正直応募だか抽選だかで貰えるようなものはどうでも良かったんです。そう、欲しかったのはピンバッジ。そして幸いにも、大学の近くにはマクドナルドがわんさかありました。

大学生時分、マクドなんて意識せずともそれなりな頻度で行くじゃないですか。私はサークルの友人達に頼んでマクドに行った際には件のステッカーを貰ったのです。嬉しい事に、そして悲しい事に友人達にNBAに興味を持つ者とて殆どおらず、彼らは躊躇無く私にステッカーを渡してくれました。そして私自身も勿論、マクド通いのヘヴィーローテーションを敢行したのです。もう完全にマクドナルドと伊藤忠商事総合開発部文化スポーツ事業室の掌で踊る孫悟空モードですな。因みに、最後まで自力でマジックのステッカーが引けなかったのは未だに心残りです、ハイ(-_-;)

かくて、私は結局5回はピンバッジをゲットしたと記憶しています。いつ見ても無かったのがブルズとレイカーズで、多分ニックスも品薄だった気がします。私が引き換えたのはマジック×2、ロケッツ、スパーズ、そしてキャンペーン末期の品薄な中で何故か選んだマヴス。因みに当時のマヴスは最下位独走の記憶も新しく、決してチームイメージは良くなかった頃です。そしてお目当てのマジックピンバッジですが、正直デザイン的には今ひとつでした。まあそれでもマジックファンなので喜ぶんですけどね。正直マジック以外の方がデザインが良かったのがちとシャクでした(笑)。

因みにマクドナルドのキャンペーンはこれだけではなく、なんと全国200ヵ所の駐車場がある大型店舗にはバスケットのゴールを実際に設置までしていたようです。どこが提供だったかは知りませんが、そこまでやるのは販促策としてもかなり金がかかる訳でして、いやはやよく頑張ったなあと思います。しかも期間中3on3大会とかフリースロー大会までやってたそうです。

で、肝心なのはそれで実際効果あったの?って話なんですが、それは正直なところ、私の行動で答え出てますね。結局のところ、私のような元からNBA好きな人間がマクドナルドに行く回数は増えましたが、ライトユーザーにとっては「ふーん」程度だったでしょう。あれでマクドに行く回数が増えはしなかったと思います。一般のお客さんが普通にあのシールを捨てていたのが思い出されますね。

ではNBAの宣伝効果はという話ですが、あれだけ露出すれば効果が無かった訳は無いんですが投じた費用に相応しい効果は得られなかった事と思います。実際、私の回りにあれでNBAに興味を持った人間がいたかというと、まあ正直いませんでした(つД`)

かくてマクドナルドと伊藤忠商事の壮大な作戦は、我々コアなNBAファンの心の中にのみ残るもので終わりました。正直、このキャンペーンが繰り返される機会は田臥ないし彼に続く日本人選手がNBAでセンセーションを起こしでもしない限り難しいでしょう。世界の舞台どころかアジアの予選すら惨敗の現状ではそんな日は夢また夢ですね。そう考えてみると、そういった日本人選手の活躍も無しにあれほどのキャンペーンが成立した点だけみても、当時のNBAブームがそれなりに熱かった事の証明ではあります。私達の世代はその事に感謝するべきなのでしょうね。まあ感謝すべき対象は決して日本バスケ協会なんぞでは無く、デヴィッド・スターン、伊藤忠商事、そして勿論この頃も「スラムダンク」を執筆していた井上雄彦先生な訳ですが。

さて、この話には後日談があります。私の前の職場で、私がNBA好きと知っている先輩が突然、この画像にあるボールを持って来てくれたのです。「○○(←私の名前)が好きなんちゃうかなーって思って」・・・イエス、オフコースと私も即答、♪あな〜たを〜連れ〜てい〜く〜よ〜ってな勢いで持って帰った次第です。

2332de0b.jpg


自分の趣味趣向をひた隠しにするのもそのまま出すのもそのヒトの自由です。しかし、この件に関しては間違い無くNBA好きを公表しといて大正解だったなあ、と未だに思うのであります。

(以下、「7〜バスケットボールウィークリーからネットの海へ〜」へ続く)

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この文を書きたる者
ペニー
六伍壱 ◆MAGICcvM2E
昔の名前はセントトーマスこと 「NBA MAGICAL INSIDE」 (現在更新停止)管理人、 2chマジックスレ は最近はご無沙汰。シャック&ペニー時代からマジックを追っかける'90s世代NBAファンです。耳寄り情報・ご要望・リクエスト・リンク希望・ツッコミetcはmagicalinside651@gmail.comまでドゾー。twitterにもおりますので「六伍壱」で検索してみて下さい。
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