NBA ALL-ROUND MAGIC オーランド・マジック&NBA最新情報ktkr!

え、このブログ終了したなんて誰も言ってないっスよ?いつの間にやら400万ヒットありがとうございます

Ordinary People

Ordinaly People 2 キース・クロス〜帰って来たヨッパライ

ブログネタ
NBA に参加中!


全米、そして全世界からタレントが集まるNBAの世界において、そこに留まり続けるだけでも並大抵のことではありません。NBA選手の平均在籍年数は確か4年ぐらいじゃなかったでしょうか?我々は10年は軽く在籍しているスター選手ばかり目にしているので気がつきませんが、殆どの選手はNBAを離れて他のリーグへと向かうか、人知れず引退するのが現実なのです。ま、競争の世界では芸能界から一般社会まで、意外とそんなもんなんですよね。

そんな激しい競争社会のNBAにあって、クリッパーズというチームだけは長年、なんだか悪い意味で別世界でした。なんつーかですね、ここだけ競争社会じゃ無い的な。こう言うと何だか平和そうで良さげですが、要するに勝負の世界にあってここだけ蚊帳の外だったんですよ。何しろオーナーが稀代のドケチでまともな補強もしない、有望そうな選手が現れても再契約でサラリーが高騰するのが嫌なのでFAになったらあっさり放出してしまう、・・・なかなかヒドイもんでした。しまいにはHCをオフに解任した後、すぐに新HCを決めるとサラリーの支払いが発生するからとわざと後任の人選を遅らせたなんて事が本当にあったんです。

なんでそんな有様だったかと言われれば、それは弱くてもクリッパーズがロサンゼルスのチームだから儲かってたが故です。補強せずともプレーオフに出られずともクリッパーズは利益を出す球団でした。同じ儲かるなら選手のサラリーとか減らしとけってなもんです。道理でレイカーズより安いチケットで球団経営を回せる訳ですね。そんなチーム状況ですからクリッパーズが優勝争いに絡むことなど長年まずありませんでした。ダニー・フェリーが入団を嫌がった気持ち、その意味では分からないでも無いんですよね。

'90sからのNBAファンにとってはそういうクリッパーズこそが見慣れたものでした。ラリー・ブラウン指揮下でロン・ハーパーが頑張った頃やブランド、オドム、ダリウス・マイルズなどの若手大集合で期待された時代の方が極めてレアだったんです。ブランド時代は最終的にカンファレンスセミファイナルまで行きましたけどね。そんな調子ですから、あの頃のクリッパーズを知る世代としては、クリッパーズが遂に優勝を狙えそうな昨今の状況が何だか不思議でしょうがありません。

思えばクリッパーズの人気球団だから補強しなくても儲かるしええやん、的なスタンスって駄目トラ時代の阪神タイガースそのものです。昔々、マジック時代のT-MACに取材に行った北舘洋一郎氏がアディダスにシグニチャーモデルとして色々作ってもらっていた当時、彼専用に用意されたTとMを組み合わせたロゴを見て「阪神タイガースに似ている」と言い、T-MACに向かって阪神タイガースとは日本球界のクリッパーズみたいなものであると説明してT-MACを凹ませていたのを思い出しました。北舘さん、よくよく思えば実に的確な喩えをしてたんだなぁと今頃になって思います。

TMAC_display_image


そんな残念なクリッパーズ時代を象徴するキャラ立ちセンターを今回はご紹介しましょう。全く何物にもなれなかったけど妙に印象に残る超大型センター、キース・クロスです。

キース・ミッチェル・クロスJr.は1976年4月3日、コネチカット州ハートフォード出身の6人兄弟の長男にあたります。生後6年間をハートフォードで過ごした彼はその後母親と共にロサンゼルス郊外へと引っ越しました。高校時代はカリフォルニア州のボールドウィンパークにあるシエラ・ヴィスタ高校に在籍し、そこで早くからコネチカット大、ユタ大、メリーランド大、アリゾナ大、ロングビーチ州立大などのリクルート活動を受けていました。しかしながら高校のコーチはクロスをチームから外し、上記の大学はクロスの勧誘から手を引きます。それでもクロスへの勧誘を止めなかったのがセントラル・コネチカット州立大でした。元々生まれ故郷で父親、祖父母に叔父叔母が揃っていたコネチカットに戻りたかったクロスは渡りに舟とばかり進学し、そこで2年を過ごした事です。

http://www.sports-reference.com/cbb/players/keith-closs-1.html


クロスの特徴はとにかく圧倒的に高い上背。なにしろ7-3ですよ7-3、220cmです。そしてNCAA界において、彼はとてつもない記録を打ち立てました。クロスの1年目('94-'95)のスタッツはFG成功率.553で10.2得点7.4リバウンド、2年目('95-'96)はFG成功率.519で13.5得点9.3リバウンド。まあ普通にNCAAレヴェルではグッドセンターに見えますね。しかし、クロスの真価が発揮されたのはやはり、その背丈を生かしたブロックショットでした。1年目はNCAA新人記録となる5.3ブロック、2年目はなんと6.36ブロック!このデヴィッド・ロビンソンを越えた単年記録は1試合10回以上のブロックという試合を5回もマークしての成果でした。そしてキャリア平均5.87ブロックというのはNCAAディヴィジョン1において、2012年1月現在でも未だに1位です。

カレッジにおけるクロスの評価は悪いものではありませんでした。運動能力があり、ダブルチームが来ればパスアウトも出来、彼のアイドルたるカリーム・アブドゥル・ジャバーに倣ったベイビーフックショットを放っていたのです。実際NBAのスカウトがクロスをチェックしに来ていたのも事実ですし、クロスはオールミッドコンチネントカンファレンス(MCC)1stチーム選出を果たしてもいます。勿論ブロックショット数は母校でも歴代最高本数です。

で、在学2年の後に彼は'97ドラフトにアーリーエントリーした訳です。ただ、ここでひとつ謎なのは彼はNCAAでは'95-'96シーズンまでしかデータが残っていないのにドラフトは'97年にエントリーしている事。この1年は何のブランクだったのでしょうか?

クロスは'96年時点で大学を離れNBAを目指しましたがNBAスカウト達は結局彼をムーヴの少ない、大舞台での経験が少ないひょろ長選手としか看做しませんでした。そこでNBAから声の掛からなかったクロスはアトランティック・バスケットボール・アソシエーションなるリーグのノーウィッチ・ネプチューンズというチームにまず入団し、そこで12試合に出場します。彼のスタッツは12.3得点6.3リバウンド5.0ブロックですから、やはりブロックだけ数字が飛び抜けてますね。

'97年にはCBAのヤキマ・サン・キングスなる球団にも在籍した彼は今度こそアーリーエントリー(てか大学を離れてますが)。結局クロスはどこからも指名を受けなかったものの、今度はNBAを目指すべくFILA開催のサマーリーグへ。ここでレイカーズのルーキーやFA選手に混じってプレーしたクロスは13.3得点5.0ブロックをマークして一躍注目を集めます。そしてレイカーズと違う方のロサンゼルスのチームからクロスに声が掛かりました。それがクリッパーズだったという訳です。クリッパーズはFAだったマリク・シーリーをそのまま流出させ、空いたロスター枠でまだ未知数のクロスと'97年8月8日、なんと5年850万ドルの長期契約を締結。この契約についてエルジン・ベイラーGM(当時)は「あの子のポテンシャルを見れば、大したリスクじゃない」と言い放ってます。かくてクロスはドラフト指名を受けないままにNBA入りを果たしたのです。背番号33は憧れのジャバーに因んだものでありました。


keith_closs


かくして遂にNBAの舞台に登場したクロスでしたが、1年目の'97-'98シーズンには58試合中1試合に先発、平均12.8分出場してFG成功率.449で4.0得点2.9リバウンド、そして1.4ブロックを記録しました。36分出場に換算すれば11.3得点8.2リバウンド3.9ブロックですからなかなか良さげに見えます。実際スパーズ相手に6ブロックをお見舞いしたり、レイカーズ含め3チームに5ブロックの試合を披露したりと控えセンターながらなかなか大暴れです。



御馴染み短縮シーズンとなった2年目、'98-'99シーズンにはドラフト1位指名で入団したセンター、オロワカンディが加入して主に先発し、控えセンター役もロレンゼン・ライトに持って行かれた上にクロス自身も膝を故障した結果として出番は50試合中僅か15試合に留まります。出場時間は平均5.8分にダウン、FG成功率.522で2.1得点1.7リバウンド0.6ブロックという完全なベンチウォーマー状態に。そして3年目、'99-'00シーズンにはライトがいなくなったためか再び57試合に出場して6試合に先発、平均14.4分出場してFG成功率.487で4.2得点3.1リバウンド1.3ブロックという成績を挙げます。

が、クロスのNBAキャリアはこのシーズンを持って唐突に終わりました。この後彼はNBAで1試合もプレーする事無く、5年契約の満了を待たずして'01年5月4日にクリッパーズを解雇されたのです。しかし不思議なのはこのタイムラグです。'99-'00シーズン終了後'01年5月に解雇ということは、クロスは'00-'01シーズン中に解雇されたという事です。またしても起こったこの時間差はなぜ生じたのでしょうか?


http://sportsillustrated.cnn.com/2011/writers/jon_wertheim/08/05/keith.closs/index.html#ixzz1UBdJKcg6


実はこのクロス、なんと小学生時代からのアルコール中毒だったのです。家族もまたアル中揃いという酷い環境で育った彼は中学、高校と更にアル中が進みました。上記の高校時代にチームから外されたという話も、このアル中が原因と見て間違いないでしょう。何しろ大学時代も入学1週目に早くも飲み過ぎて入る家を間違え、大学からバスケットボールのチームで出場停止処分を受けたぐらいです。しかしながら彼はアルコール中毒を上手く隠し、上記のような成績をNCAAで上げていたという訳です。

実は'97ドラフトの際のワークアウトでクロスはレイカーズのジェリー・ウエストミッチ・カプチャックからアルコール中毒の問題を抱えてるかと尋ねられたそうです。この時の回答についてクロスはこう言ってます。

"I told them 'no,' and to me at the time, that was the truth. I go out and have a good time. That's all. It was obvious to everyone but me."

・・・なんか人を食ったような発言だと思いません?やっぱなんかズレてますよこの人。レイカーズが結局手を出さなかったのは賢明な判断だったのではないかと思います。実際クロスはすぐコーチと喧嘩し、短気を起こして何度も出場停止処分を受けていました。クロスはその頃の事をこう語ってます。

"People thought of me as uncoachable with a bad attitude. That was the drinking."


クロスは態度が悪くてコーチが出来ないと人々は思ったけど、本当はそれはアルコール中毒に起因するものだった訳ですね。こんな有様だったクロスは'98年のロックアウト中、2度DUI(飲酒運転再販防止プログラム)を受け、NBA本部に直接助けを求めます。NBA側はジョージア州のリハビリクリニックへクロスを送りましたが、効果はありませんでした。



そして2000年、クロスはクラブの駐車場で酔ってトラブルに巻き込まれます。見ての通り群集にボコボコにされるんですが、クロスが言うには怪我はしていないそうです。実際彼は翌日のブレーザーズ戦に普通に登場していました。クロスに言わせればNBAにはアルコール中毒の選手など普通に多くいて、それを上手く隠している選手もいる、大物選手もいてチームは彼らを大目にみているんだ、との事らしいです。そしてクロス自身は残念ながら大目に見てもらえなかったという事ですね。クリッパーズはクロスに見切りをつけ、彼をカットしたのです。

かくてNBAから去ったクロスはその後、マイナーリーグを彷徨う事となります。まずは2001年USBLのペンシルヴァニア・ヴァレードーグスで5.7得点4.7リバウンドをマークし、次に'01-'02年にかけてハーレム・グローブトロッターズに在籍します。ちょっと間を空けて次は'03年、USBLのペンシルヴァニア・ヴァレードーグスへ舞い戻って今度は平均4.3得点3.5リバウンド2.2ブロックを24試合で記録。お次は'04-'05シーズン、ABAのデトロイト
・モータウン・ジャマーズへ。更にはCBAでゲイリー・スティールヘッズ、そしてロックフォード・ライトニングにも籍を置いたのです。

まだまだ続きます。'05年、IBLのデトロイト・プロス、'05-'06シーズンはABAのソーカル(南カリフォルニア)・レジェンズとオレンジ・カウンティ・バズ、'06-'07シーズンはCBAのビュート・デアデビルズ、そしてABAのバッファロー・シルヴァーバックスに在籍。シルヴァーバックスでは6.3得点6.0リバウンド3.3ブロックのアヴェレージを残しました。

http://www.nba.com/dleague/tulsa/Routies_Rowdies-272880-894.html

KEITH_CLOSS_school_day


そして'07-'08シーズンにはNBADLに登場してタルサ・66ersに加入。彼はここで、NBADL記録となる1シーズン133ブロックという記録を打ち立てたのです。本当にブロックだけは凄まじいですな。・・・今にして思えば、この時がクロスのNBA復帰ラストチャンスだったのかも知れません。その後'08-'09シーズンは中国CBAへ渡ってユンナン(雲南)ブルズで16.1得点11.9リバウンド、そして5.9ブロックというスーパーセンターみたいなスタッツを残しました。

http://germanvillagemedia.blogspot.com/2006/12/meeting-keith-closs-crew-production.html

20051128072247


何が凄いかって、この間殆どずっとクロスはアルコール中毒のまんまだったって事です。そんな彼がようやく変わったのは2007年、30才を迎えた時でした。長年の過剰なアルコール摂取が遂に祟り、クロスはすい臓炎となって30ポンドも体重を減らしたのです。彼の身長の高さを考えれば200ポンドを下回る体重は明らかに痩せ過ぎていました。生死の境を彷徨ったクロスは遂にアルコール中毒の治療に踏み切ったのです。2011年8月のスポーツイラストレイテッド誌インタヴュー時点で酒を断ってまもなく4年と書いてありますので、恐らくは現時点でも断酒には成功していると思われます。なるほど、クロスがNBADLでブロック記録を打ち立てた時期とこの断酒開始の時期は確かに一致しますね。この動画はそれぐらいの時期のクロスです。JBL Pro-am leagueなるところでのプレーのようですね。



こちらも同じく2007年、ストリートバスケに興じるクロスです。



クロスも今や30才半ばを過ぎ、NBA復帰は現実的で無いことを理解しています。その後はWCBL(ウエストコーストバスケットボールリーグ)のチームでプレーしていたようですが、このリーグが現在どうなっているかはっきりしません。ただ、クロスが現在プレーしているのはどうやらABAのロサンゼルス・スラムであるようです。

http://losangelesslam.ning.com/

SLAMAVChristianFlierupdated


http://losangelesslam.ning.com/page/slam-players-1

このチーム、メンバーがやけに面白いんですよ。ABAって本来マイナーリーグのひとつで若手中心だと思うんですけど、この球団だけは趣旨が違うようでラモンド・マレー(クリッパーズでクロスとチームメイト)、マイク・ペンパシー、トニー・ファーマー、ジェフ・トレパニア、ホアキン・ホーキンス、ショーン・ルックスといったtkさん級のマニアでないとなかなか名前と顔が繋がらないような元NBA選手がゴロゴロいて、更にそこへAND1などで御馴染みのボーン・コレクターことラリー・ウィリアムズ、そしてG-unitのメンバーとして知られる大物ラッパー、The Gameまでが在籍しているのです。つーかこのチームのキャプテンはThe Gameだそうで彼はこのチームでもう4年もやってます。NBA選手でラッパーデビューしたシャックやコービーみたいな人間がいるように、ラッパーでプロバスケを目指したヒトもいるって事ですかね。確か真剣にNBA入りを目指したパーシー・“マスターP”・ミラーみたいなラッパーもいましたし。

そんな中にクロスも混じってプレーしているという訳です。そんなクロスの2012年1月8日アップという最新動画をどうぞ。残念ながらプレー中ではありませんが。



クラブの駐車場で暴れてた頃を思えば随分落ち着いたもんですね。この分だとアル中再発の心配も無さそうでしょうか。奥さんも息子もいて今でもロサンゼルスに居を構えているクロスの人生が、今度こそアルコールによって崩壊する事の無いよう願っております。

※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
nydailynews.comより「In A Closs By Himself Cent. Conn. Center Is Sultan Of Swat」(February 04, 1996)
sportsillustrated.cnn.comより「Who is This Guy? Keith Closs」(April 1, 1998)
sportsillustrated.cnn.comより「Closs gets his life in order after drinking sabotaged NBA career」(August 5, 2011)
sports.yahoo.comより「Keith Closs comes clean on his infamous viral beatdown, and lost NBA career」(August 5,2011)
tulsaworld.comより「The long road back」(2/12/2008)
slamonline.comより「Links: They Call Him Closs」(October 15th, 2008)
Play2Win Basketballよりプロフィール
NBA.comよりスタッツ
NBA.comよりNBADL時代バイオ
NBA.comよりキャリア概略(PDF注意)
draftexpress.comよりNBA/NBADLスタッツ
thedraftreview.comよりカレッジ時代スタッツ
バスケットボールリファレンス.comよりキャリアスタッツ
shamsports.comよりプロフィール等
The Unofficial Keith Closs Fan Page
ひばち(vanXLさん)より「Keith Closs」




ハレンチハレンチ
アーティスト:ザ・フォーク・クルセダーズ
アゲント・コンシピオ(2002-08-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

ゴールデン☆ベスト フォーク・クルセダーズゴールデン☆ベスト フォーク・クルセダーズ
アーティスト:ザ・フォーク・クルセダーズ
EMIミュージック・ジャパン(2004-11-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

Ordinaly People 1 ダーヴィン・ハム〜ダンク馬鹿からコーチ稼業へ〜

ブログネタ
NBA に参加中!


こんにちは、D・H両誌最新号のかなり苦しい紙面を見て編集者に心から同情したい六伍壱です。D誌はESPNもこの前やってた選手ランキングでしたが、どっちもレブロンが1位ってとこは共通してました。H誌に至ってはまさかの表紙&巻頭特集からドリームチーム・・・。大学特集も我々世代ぐらいまでは喜ぶでしょうが若い世代には「?」でしょうし。まあロックアウトについて掘り下げたところで読者が喜ばないのは分かるんですけど、それにしても何かやりようは無かったのかと考えてしまいます。まあ、それがすぐ思いつくなら苦労は無い訳ですが。そんな編集者も大弱りな中、「栄光無き〜」シリーズに新シリーズを追加してみようと思います。NBAで決して華々しい活躍が出来た訳でも、分かり易い足跡を残せた訳でもない、でも記憶に残る選手を取り上げていこうという趣向です。1回目となる今回はこのヒトで行ってみる事にしましょう。

http://espn.go.com/los-angeles/nba/story/_/id/7145439/los-angeles-lakers-announce-darvin-ham-join-coaching-staff

ダーヴィン・ハムがレイカーズのアシスタントコーチに就任、というニュースが先日、NBAニュースの少ない中で報じられておりました。・・・さて、ダーヴィン・ハムと聞いて「ああ、あのヒトね」と分かるNBAファンは決して多くないと思います。20代以下のファンはかなり高確率で「誰?」でしょうし、30代以上で彼を覚えていたファン達も、なんかダンクだけ凄いみたいなイメージしか無いでしょうね。そんな彼がレイカーズでコーチ?ダンク教えてどうすんの?そんな疑問が沸き起こるのは至極当然ですね。しかし、色々と掘り下げてみると、彼が今レイカーズのACになるのにはなかなか様々な人の縁が絡んでいるのです。という訳で新シリーズ1回目は、そんなダンク馬鹿一代について取り上げてみましょう。

ハムは1973年7月23日、ミシガン州サギノー出身です。14才の時に流れ弾に当たって瀕死の重傷を負いながら生き延びるというハードな経験をしたハムは元々、地元サギノー高校時代も含めてバスケットボールを本腰入れてやっていた訳ではありませんでした。上級生になった時に彼の父がアメフトをやめさせたのがそもそもバスケの道へ進んだきっかけだったのです。そんなハムは高校卒業後オテロ短大へ進学し、ここでのプレー振りに目を付けたテキサス・テック大の誘いでハムは転校を果たしました。

ハムのテキサス・テック大での成績自体は3年間で平均8.1得点5.1リバウンド1.0アシストとスター級ではありませんでしたが、FG成功率だけは.597とFT成功率(.498)をも上回ったのです。・・・もうお分かりでしょうが、彼はシュート力は正直乏しかったものの、その圧倒的な運動能力を武器にダンクをぶちかまして得点する選手だったんです。ジャンプショットも駄目、ポストプレーも出来ないにも拘わらず彼はこの成績だったんですね。



そんなハムが全米に名を轟かせる事となったのがカレッジ3年目でした。30勝2敗と絶好調だったチームは'96年のNCAAトーナメントへ進出、スウィート16入りを賭けて名門ノースカロライナ大と対戦します。この試合でハムは味方の放ったシュートのオフェンスリバウンドを掴むとそのままリムに叩き付けるボースハンドダンクでフィニッシュ。すると、バックボードが粉々に砕け散ってしまったのです。

0325_large


この一発で流れを掴んだか、テキサス・テック大は見事ノースカロライナ大を下し、アップセットでチーム史上2度目のスウィート16入りを果たします。そしてこのハムのダンクはスポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾ったのです。



更にハムは'96年のNCAAダンクコンテストをも制します。とはいえ、運動能力とダンクだけでNBAが目を付けてくれるかというとやはりそう甘くはありません。彼はあの大豊作年だった'96年ドラフトで指名されることも無かったのです。が、努力の甲斐あってドラフト外でナゲッツとの契約を勝ち取り、NBA入りを果たしたのです。




そんなハムのキャリアにおいて貴重な檜舞台が、'97オールスターのダンクコンテストだった訳です。NCAAでのバックボード破壊歴にダンクコンテスト優勝歴もあるという事で彼にとってはチャンスだったはずですが、ハムはレイ・アレン、ボブ・スーラと共に予選で散ってしまいます。コービーのデジャヴ感溢れるレッグスルーとマイケル・フィンリーの側転ショー、そしてクリス・カーの結構頑張ったのに役不足感溢れる空回りといったところに完全にメインキャストの座を持って行かれ、ハムは数少ない目立つチャンスを逸してしまったのです。しかもこの時を最後に、ダンクコンテストが中止されるという悲しいオチまでついてしまいました。とどめにハムはこのシーズンが終わらぬうちにナゲッツから放出。ジェローム・アレンと交換でペイサーズへ向うも出番は1試合のみで終わります。

この後、ハムはジャーニーマンとして各チームを転々とします。ウィザーズ、スペインのCBグラナダ、NBAへ舞い戻ってバックスで3シーズン、ホークス、そしてピストンズ。ただ、彼は基本的にはシーズン中の解雇には逢いませんでした。上記の全チームで彼は基本的にはシーズンを過ごしているのです。ウィザーズ、バックス、ホークスでは70試合以上の出場機会を得ているシーズンがありますし、バックス1年目だった短縮シーズン(レギュラーシーズン50試合)の'99-'00シーズンに至っては35試合中実に21試合で先発、平均22.6分もの出場時間を与えられていたのです。バックスでは3年目となる'01-'02シーズンでも70試合出場とFG成功率.569を達成していますし、どうやら相性が良かったようですね。

しかし、NBAにおける彼のキャリアの頂点は意外にもNBA生活最後を締め括ったピストンズで、でした。ハムがピストンズに加わった'03-'04シーズンこそは、BIG4体制で臨んだレイカーズをピストンズがファイナルで撃破して見事頂点に立ったタイミングでした。ハムもまた長くは無いながらもレギュラーシーズンで54試合、ポストシーズンでファイナルの4試合を含む21試合に出場し、見事リングを獲得したのです。ダンクの威力は相変わらずであり、ピストンズのアナウンサーに「ダンキン・ダーヴィン」「ハム・サンドイッチ」というあだ名を与えられたりもしています。

あと1年ピストンズに留まり、スパーズとのファイナルの舞台にも一応5試合出場を果たしたのを最後にハムはNBAを離れる事となります。彼が'06年、向かった先はなんとフィリピンでした。Talk N' Text Phone Palsなるチームでプレーした後、彼はNCAA時代にテキサス・テック大でプレーしていた縁からか、マヴスのプレーオフのスタジオ解説を努めていますね。その夏にはマジックの一員としてサマーリーグを戦った後、ネッツでプレシーズンを戦うも開幕ロスターには生き残れませんでした。

翌''07-'08シーズンはマヴスでプレシーズン生存競争に挑むも開幕直前でカット。NBADLのアルバカーキ・サンダーバーズ(後のニューメキシコ・サンダーバーズ、現カントン・チャージの指名を受け、プレー。シーズン中にオースティン・トロスへトレードされ、ここでプレーしたのを最後にハムの現役生活は終わったのです。余談ですが、ハムは現役時代に最もダンクを叩き込んだセンターはモーニングだったと後に語ってますね。



ハムの人生の転機はここからでした。ハムはそのまま、'08年から早速NBADLの世界でコーチ稼業へ転職します。サンダーバーズでACへ転職し、やがてHCへ。そんなハムにこのオフ声を掛けたのが、レイカーズのHCに就任したばかりのマイク・ブラウンだった訳です。ブラウンは何を隠そう、ハムがNBAデビューを飾った当時のナゲッツでバスケットボール運営スタッフとして働いていたのです。ブラウンはその頃からハムの事をよく知っていたのですね。そしてブラウンはハムの選手からコーチへの転職振りも見ていたのです。

レイカーズは、実はハムにとって数々の縁で結ばれたチームです。チームのエースたるコービーとはダンクコンテスト、そして'04ファイナルで対戦した仲ですし、AC仲間のうちジョン・キュースターはハムがピストンズ時代にはACだった人です。その後ピストンズでHCに昇格するも残念な事態になって解雇→レイカーズでACとなったのですね。更に別のAC、クイン・シュナイダーはハムにとってオースティン・トロスでプレーしていた時のHCなのです。どうです、縁が深いにも程があると思いませんか(笑)。

選手としては大成出来なくても、いやむしろそうだからこそコーチ稼業では成功を収めるというパターンは多かったりしますよね。ハムがレイカーズで新たなキャリアを築き上げる事を楽しみにするとしましょう。



※本文引用以外の参考文献
Wikipedia
Wikipediaよりダンクコンテスト
ballinisahabit.netより「Wednesday Where Are They Now?: Darvin Ham, Texas Tech」
バスケットボールリファレンス.comよりキャリアスタッツ



Get LiftedGet Lifted
アーティスト:ジョン・レジェンド
ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル(2005-11-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

Get LiftedGet Lifted
アーティスト:John Legend
Sony(2004-12-28)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
この文を書きたる者
ペニー
六伍壱 ◆MAGICcvM2E
昔の名前はセントトーマスこと 「NBA MAGICAL INSIDE」 (現在更新停止)管理人、 2chマジックスレ は最近はご無沙汰。シャック&ペニー時代からマジックを追っかける'90s世代NBAファンです。耳寄り情報・ご要望・リクエスト・リンク希望・ツッコミetcはmagicalinside651@gmail.comまでドゾー。twitterにもおりますので「六伍壱」で検索してみて下さい。
カテゴリ別アーカイブ
最新コメント
BBS
初めての方等、お気軽に一言どうぞ。前サイトのBBS流用です。 BBS
至高のスニーカーショップ
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ブログランキング
このblogでお楽しみ頂けた方、また他blog検索などの際にもポチっとどうぞ。 人気ブログランキングへ
QRコード
QRコード
緊急地震速報
ニコ生(青文字先輩フルボッコ)
楽天
Googleアドセンス
Google検索(当ブログ内検索用)
カスタム検索
  • ライブドアブログ